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おばあちゃんの愛を受け取る

大人の反抗期を経て、おばあちゃんが大好きだったことに気づき、会いに行った話です。

背負う

うちの親父は、私が生まれる前、母とも出会う前に父親と弟を亡くしている。おばあちゃんからすれば夫と息子である。
おばあちゃんの兄弟は多く仲がいいものの、私と弟にいとこはいない。2人が亡くなったあとに私が生まれ、おばあちゃんは息子2人だったこともあって、とても嬉しかったらしい。とても可愛がってくれたし、お年玉も多かったし、おばあちゃんの家にはいまだに私が子供のころの写真がいくつも飾ってある。

そのおばあちゃんのことを、子供の私は背負わないと、幸せにしないと、と思ってしまい、くれるものはすべてもらってあげないと、と思って断れなかったし、母が親父とおばあちゃんのことを嘲笑しているような節もあり、なんだかうとましく思っていた時期も長かった。
だけど、デッドゾーンを経ていろんな人を手放していく中で、私は本当はこのおばあちゃんが大好きだったということに気づいた。

会いに行く

久々に会いに行くことになった日、友達とcafeに行っていて、1時間ほど遅れて駅に着いた。まあいいだろう、と思っていたのだが、駅で待たせてしまって申し訳ないとあとで思った。
昔からおばあちゃんの家には何度も来ていた。いつも親父の車で行くのだが、今回は迎えに来てくれることになっていた。駅から歩いておばあちゃんの家に行ったり、道中の風景を眺めたりしたかったのだが、駅まで来てくれて、結局タクシーで一緒に行くことになった。

おばあちゃんの家に着くと、大量のフルーツとお菓子を出して迎えてくれた。ちょうど誕生日だったこともあり、もらった蘭の鉢植えを見せてくれてもらったいちごは出してくれた。
親父が来るまでの間、おばあちゃんの生活の話、仕事の話、おじいちゃんやおじさんの話、ちゃこちゃんが自由人だった話、おばあちゃんの育ちの話などを聞いた。こういう話、今まで聞こうと思わなかったけど、年齢が年齢で、聞きたい、聞いておかなければ、という気持ちもあった。
頑張ってほしいから、と、年金暮らしだけれど、お小遣いもくれた。
「楽しみがあると元気でいようと思うから、また会いに来てね」
「私はいつでもおばあちゃんに会いに来たいよ」
「…うれしい!」
と、やり取りをして後にした。

生かされていること

マンションに戻り、私は胸いっぱいだった。
おばあちゃんはすごい人だった。仕事で先進的なプロジェクトに関わり、60歳を過ぎてから単身赴任(というか)をしていたし、海外旅行にも行っていた。退職してからも慕われて、未だに仕事を手伝っているし、運動を続けていて健康な上に、仲間もたくさんいる。私の面倒を見に来ては、母には美容室に行ってらっしゃい、とも言っていたらしい。

前に会ったのが何年前だったのかも思い出せないけれど、"会いたい、会いに来て"なんて絶対に言わなかった。
田舎ということもあり、物や食べ物やお金をくれることで愛情表現をする人で、たくさんの物を用意して待っていてくれた。
私は愛されていると、感じずにはいられなかった。

子供の顔を見せられなくてごめん。
今の仕事で、成功していなくてごめん(こういうものも出てくるのだ)。
大好きだって、言えさえしなくてごめん。
私は書きながら号泣した。

そして、今回のことで、自分が生かされていることを感じずにはいられなかったのは、ルーツの話を聞いたからである。
親父は元をたどれば屯田兵、というのは知っていたが、そんなに昔のことじゃないのだ。おばあちゃんの家は屯田兵の隊長で、その町の史料館の一番上に名前が書いてあるらしい。おばあちゃんはお手伝いさんがいる大きい家で育ち(おばあちゃんはお嬢様で姫^^)、今そこにはおじさん(おばあちゃんの兄)が住んでいるらしく、いい季節に会いに行こうと決めた。

今まで反抗したりありがたみをわからなかったりしたけれど、私がいろんな人たちの苦労や人生の上に、というか、末に、生かされていることを感じた。
そして、私はそうした家族のことを知り、感謝して、外に出て行こうとしているのだった。


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