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誕生日はひとりで好きに過ごそう

高1の誕生日、高2の先輩たちは修学旅行中だった。その日、高3の先輩に告白された。初めてだった。

家が近かったので、時々自転車で一緒に帰ることがある先輩だった。たしかにその週だか、前の週だったか、たまたま2日連続で帰っていた。先輩の自転車がパンクして、遅かったときも、当時の私は「いい子」だったので、嫌がらずにつきあった。もちろん私は先輩に好意があったわけではなく。嫌いではなかったのだろうけれど、ただ単に家が近いし、そろそろ帰る時間だし、一緒に帰りましょうか、とそれだけのことだった。が、発情期の♂には(失礼、だけどAceから見たAllosexualの人ってこう見えるかも?)、そうは思えなかったのだろう。思えば私はこの頃からAceだった。

誕生日になったばかりの夜中、先輩から電話がかかってきた。というか、電話をするからね、と言われていたので、起きて待っているしかなかった。翌日、今日も一緒に帰ろうねー、と馴れ馴れしいメールが来た。嫌だったので、しばらく放置してから、今日は一緒に帰れないと返したら、やっぱり話があるからと呼び出された。行ってみたら、告白された。

「昨日電話をしたら嬉しそうだった。もっと幸せそうな顔が見たいと思った。」とか、なんとか、言われた。内心は別に嬉しくなかったし、勘違いもいいとこだなあ、と思った。笑

人通りは少ないものの、廊下の踊り場で告白されてしまい、「いい子」だった私は、すぱっと断って去るのが申し訳なく、何とか逃げようと絶望的な気持ちになりながら話をはぐらかした。そういえば、一緒に帰った時に、彼氏がいるのか聞かれたなあ…高1から見た高3って年上すぎて無理なんだよなあ…この人が放課後クラスに迎えに来たり、手をつないできたりとかしたら、嫌だなあ…私は全然望んでいないのに、勘違いして突っ走って、キスとかされたら洒落になんないよなあ…と思いながら。1時間ほどたったところで、ただはっきり言えないだけなのに、"真剣に考えてくれて嬉しい"と、またもや勘違いを続ける先輩に、私も耐えられなくなり、

「いや、考えてないです。ほかに好きな人とかいないけど、ごめんなさい。これで受験に落ちたとか言わないでください。笑」
と言って去った。(って書くと私、けっこうひどい?)

生徒会室に戻り、同期の男友達に話したところ、やっぱりかー、と言われた。女友達には、私も前にその先輩に告白されたよ、と言われた。
「最低だよね。誕生日の残りの時間はめいっぱい楽しんで。」そう言って送り出してくれた。


私の特別な日を、台無しにしやがって!

読めばわかると思うのだけれど、何というか、私はとことんこの先輩に勘違いをされていて、私の特別な日を、台無しにしやがって!と、正直思った。以来、友達を誘ってごはんに行ったこともあるけれど、基本的に誕生日はひとりで、好きなことをして、おいしいものを食べて過ごすようにしている。誰にも邪魔されないように。笑

このあと、高2の先輩2人とたまたま話す機会があり、ほかにもこの先輩に告白された人が複数いることがわかった。

「あの人は、まったく。」
「こういうタイプが好き、っていうんでもないしねー」

だけどそう話す"自分も告られた先輩"は、以前私に”あの人はいい先輩だよ”と言っていたのだった。どうしてそんな”悪い人”を、いい先輩だよなんて紹介するんだ?危険な人じゃないか!と思った。理解できなかった。

数年後、同じように手あたり次第女子にメールを送る輩と出会ったけれど(私は仲良くなる前に無視して退散)、やはり女友達の間で評判は悪かった。気を付けよう、男子高校生!しかし、発情期の♂には厳しい視点なのかもしれないなあ。私はAceですんで、恋愛わからないので、言うのは簡単なのかなあ。

告白されるって、選ばれるって、好かれるってー自分が特別だ、価値がある、って思える機会だと思う。だけどこうもいろんな人に告白している人に告白されても、私の特別感がないじゃないか。いかにも、誰でもよかったのが丸見えじゃないか。私の良さをわかって、愛でてくれる人なんかいなくて、こういうがつがつ系にしか好かれない。それだけの価値しか、私にはないんだな…と思った。

この頃私は、"女の子は可愛くて細くて頭が良くなければ好かれない。魅力的な人は何もしなくても自然と自分が好きな相手から好かれて幸せになれる。自分が好きな相手が寄ってこないということは、自分には愛されるだけの価値がないということ。もし、誰でもいいから彼女がほしい~という人しかやって来ないのなら、それが自分の価値だと認めて、嫌な相手でも受け入れるしかない。" とまあ、だいぶずれた価値観で自分を苦しめていた。
その後、自分からデートに誘えるようになるまでの話は、↑の記事に書いていて、そこに至るまでの自信を取り戻した話については、以下を読んでいただきたい。

その後、この先輩はしばらく姿をくらませてくれて、顔を合わせて気まずい思いをせずに済んだ。もしかして微笑みながら話を聞いてくれると思っていた後輩にふられたショックで、顔を見せなかったのだろうか…高校生だったからなのかもしれないけれど、先輩後輩に好かれてしまい、成就せず、やさぐれて生徒会をやめるーみたいな話も、いくつか聞いた。というか毎年あった。卒業前に1度だけ顔を合わせたけれど、その時は私も久しぶりだなーとしか思わなかった。変わらぬノリで話した後で、そういえばこの人とは気まずい関係だった、と思い出した。ちなみに先輩は浪人した。笑

好意とは、怖いもの

私は高校の時に恋愛をしなかった。不思議といい人がいなかったし、恋愛へのあこがれはあったものの、正直つきあうことにあまり興味がなかった。とにかく自分に自信がなく、人生で数えるほどしかないどん底に生きづらい時期だったので、それどころじゃなかった。高1で先輩と付き合ってsexしているclassmatesの話を聞いて、信じらんねえ、相手はそれだけが目的なのに、なんでわからない!?と思っていた。思い返せば、私は常に、恋愛も性欲もわからない、不思議だ、理解できない、と思っていた。

私にとって好意とは、怖いものだった。好かれること=controlされること、押し付けられること、自分を犠牲にしないといけないこと、と正直今でも思っている節がある。なぜなら私が受け取った親からの”愛”は、というか好意は、いつだってconditionalだったから。それに、この先輩がいい例だけれど、アタックしてくる人って、自分の都合だけで突っ込んでくるような気がしてならない。私が本当は嫌がっていることなんか全然伝わらず、勘違いして突っ走ってくるので、怖かった。好かれるということは、つまり、相手の要望を押し付けられて、私はそれに答えないといけないということである、と思っていた。どうなんだろう、Aceじゃなかったら、ここって違う感じ方になるのだろうか。

こんな意味づけをしていたら、そりゃあつきあうのが怖くて当然だよね、一歩進むのをためらうよねえ、と気づいたのも、つい最近のこと。今や顔を見ないpartnerだが、どうやら何の引き換えもなしに、”ただ喜ぶ顔が見たい。自分が喜ばせたい。”と思って私の好きそうなものを選んでくれたり、好きなものが食べられるお店に連れて行こうとしてくれたりすることに気づき、これは、newだなあ、と思ったのだった。そんな動機で親が何かをしてくれた覚えは、少なくともそれが伝わった覚えは、正直なところなかった。だけどよく考えてみれば、私はいつだって同じことを考えていた。この人が好きだと言っていたものを選んであげたし、楽しませたいと思ってお店をチェックしていた。じゃあ、同じことなんじゃないだろうか。

Birthday Twin

時は過ぎ、誕生日が同じ人と出会った。
お互い特に予定がないことを前日確認したら(好奇心で聞いてみただけなんだけど)、それを見ていた周りの人々(事情は知らない)に、僕たちちょっと席外そうか、と言われた。それを受けて、

「(私たち明日誕生日だから予定を聞いてみたんだけど、私から誘うつもりはないの。む・し・ろ、)私は(自分の誕生日は)静かに過ごしたいんだ!(だって前に台無しにされたから!)」
と宣言した。(心の叫び)なので、意味不明だっただろうけど…

翌日、たまたま2人になってしまいlunchには行ったものの、誕生日おめでとう、と言われることはなかった。笑

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