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そう見えるかもしれないけど

好きな作家がいた。この人が書いていることには、とても助けられたし、この人も海外に行っていたこともあって、guideのように見ていた。
イベントで実際に会ったときには、留学前で、"やってみないとわかんないよね"とadviceももらえたし、参加者1名に当たるという物も当たった。Randomだったのか、応援したいと思ってくれたのかは、わからない。それは今でも使い続けていて、目の前に置いてある。

ところが、2度目に会ったときは、散々なものだった。そして私はこの人をfollowすることをやめてしまった。


何が起きたのか

この人が書いていることをたどって、心理学や自分と向き合うことも始めた。そうして帰国したあと、当時の自分に必要でベストかどうかはわからなかったけれど、きっかけになったことだしイベントにも行ってみたいと思い、この人のイベントに参加した。
が、その日は、なんだか調子が悪く、気を許すことができなかった。

  • いつもどおり私は遅刻した。

  • 書いてみよう、と言われて書いているものをこの人が覗きに来るのも嫌だった。

  • 手を挙げて―というところで私だけ挙げなかったことも不審がられた。

  • 親に言われて傷ついた言葉をペアで言う、というworkがあって、私にはこれがうまくできず、この人が代わりに言うと、相手は泣き始めた。

  • 休憩時間、まわりに何もない場所だったため、部屋が使えないかな…と思い行ってみると、この人が作業中で、"この時間までだめだって言ったじゃないですか"と、怒られた。

これが、私側のstoryである。なんか合わなかったなあ、残念だったなあ、である。
加えて、参加前のアンケートというかテストのこと、そして、私が腕を剃っていなかったこと(海外の女性は腕を剃りません)もあったのだろう。
もちろん、この人自身の問題もあっただろう。この人は、私は発達障害だ、と結論づけた。

「私は医者じゃないけれど、そういう人のまわりにいるからわかる。普通の人にはわからないと思う。言ってもいいかしら。悪いことじゃないわよ。
発達障害を調べてみて。限りなく白に近いグレーだから、診断を受けても違うと言われると思うけど、これが絶対ではないと思って、ね」

この人がそういう記事を書いているのも知っていたし、どこかで、"私は異常じゃない"と言われることがこの日のゴールだと思っていた自分もいた。
そういうこともあって、とてもショックで、私は泣くしかなかった。
既に日本は合わない、誰にも理解されないと、切実な生きづらさを感じ始めていた。この人ならわかってくれる、同じような道を経てきたはずだ、と思っていたこの人にも理解されず、それどころか否定されてしまうとは。
加えてこの、"診断されないけれど普通じゃない"。私は普通とは違って、何かおかしいんだ、という怖れていたことは確定で、だけど程度が低いが故に、解決策もなければ、できることもないという、とんでもないdilenmaに押し潰された。
このあとにも課題があったが、出さなかった。このイベントがあった場所周辺には、行く用事もないし、もう行きたいとも思わなかった。

家に帰り、ごはんを食べながら、言われたことを家族に伝え、私は泣いた。
「そんなこと、思ったこともないけれど、医者じゃないのにそんなこと言うってその人どうなのよ」と母は言った。弟は、何も言わずにテレビを見ていたので、私が消した。こういう時に慰めることができる家ではなかった。

調べる

このイベントのあとに、大学生のときにやりたかったvolunteerをさせてもらえることになっていた。大丈夫なのか私…普通に働けるのか…その前に伝えておいたほうがいいのか…と、不安だらけだった。

ここでもあんまりいい経験はしなかった。合わない場所が多いって辛い。

というわけで、私は、とことん調べた。ちょうど、大人の発達障害が話題になり始めていた頃だった。本は山ほど読んだし、相談センターにも行った。
「診断はここではできないけれど、誰しも発達障害的なところはあるの。それに対してできることを、あなたはすでにやっているんじゃないかしら」
そして、どれだけ本を読んでも、、、私にはぴんと来なかった。これは本人の自覚がないだけで他人は…という話ではなく、違う、当てはまらない、私はこれではない、だった。

すべての本に書いてあったのは、発達障害が生きづらさにつながるのは、日本社会の仕組みと、性別によって期待されることが違うからということ。Systemに合わないものが問題とされてしまうだけで、systemが違えば問題にすらならない。そういう意味でも、アメリカで自由に楽しく生きていた私には、やはり日本は合わないのだった。日本のルールに従っている人は、私のように外で活躍することはできない。それができるのが私の良さなのに。

なんでそう見えたのか

私が発達障害だなんて言ったのは、前にも後にも、この人だけである。

  • 遅刻したのは、罪悪感が強く、それがパターンになっていたため。このイベントに対して緊張していて、不安だったため。そもそも時間通りや、それよりも早く着いておくもの、というルールの場所で生きていなかったため。

  • アンケート・テストの回答は、それが精神異常を調べるものだと知らずに、原因・向き合い方がわかったほうがいいじゃん、と答えていたため。

  • 手を挙げなかったのは、みんなと同じものは嫌だ、という、rebel tendencyのため。詳しく言えば、そうして反抗することで、なめんじゃねえ!一括りにすんじゃねえ!私はuniqueな人間なんだ!と主張していたため。

  • Role playがうまくできなかったのは、感情に蓋をしていて、何も感じられない状態だったため。

見えているけれど、見たくないから顔を背けて、目線を動かさず、見ていないふりをする。聞こえているけれど、くだらなくてつまらなくて反応をしたくないから、無視をする。反応をしない。
そういうことを、私はよくやってしまう。特に日本では。
これはEmpathのすることらしい。敏感で感受性豊かといえば、感情豊かな人を想像するけれど、豊かであるがゆえに、刺激をブロックする、ということで実は無表情に見えるらしい。それは、見えていない・聞こえていない・伝わっていないように見えるかもしれないけど、実際には違う。

その後

以来、この人をfollowするのは、完全にやめた。だけど、手帳を作っている人で、これは使い勝手がいいので、いろいろ試した後に戻ってきた。
ぶるぶるに来て、フランス語のplannnerを買ってみたけれど、やはり使い勝手が悪かった。それもあって大変に忙しかったのかなあ…
この人の文章は、今でも役に立つ。実際に会ったあのときの人とは、分離されているように思える。

そして数年後、この人のブログを見てみたら、発達障害に関することが全部消えていた。事情はわからないけれど、何か理解して学んでくれたんだろうな、と受け取ることにした。

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