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そもそも男が好きじゃなかった

Bobにアイロンで少し巻いた髪。星野源のUTパーカーにズボン。
Musicalsが終わってからは、こんなスタイルになった。前にポケットがあるのって便利だよね。


ヘアカット

少し短くしたいな、としばらく思っていた。Musicalで男役をやらなきゃいけなかったけれど、それが終わったので、housemateからいい場所を教えてもらった。

「いつも、同じような、こういうかんじなんですけど、切りたくて」
「なんで髪型変えたいの?なんで今なの?」
「気分転換に」

そうして私はBobになった。髪が多いから減らしましょう、ということはなかった。Complexは、変えましょう、というやつは、日本の文化なんだなと気づく。変に量を減らすから、扱いが難しくなる。そのままであれば、すんなり行く。
「ただ乾かすだけじゃ、こうはならないから、you need to put a little bit more effort on that」
以来、今までする気にならなかったアイロンを使っている。持ってきてよかったと思う。

「髪がストレートの人は巻きたがって、パーマをかけたりする。Curlyな人はストレートにしたがる。みんな、自分にないものを求める」
Grass is greenerである。私はこれまで、重いほうが扱いが楽だから…伸びると適当によいcurlになるから…と活かしてきて、Bobも似合うとよく言われるので、今回はそうしてみたのだけど、やっぱり劇的には変わらないんだなと少しがっかりもする。自分を認めざるを得ない。自分の良さを受け入れて、活かせばいいと思うけれど、髪についてはなぜか求めたくなる気持ちがわかる。

ところで美容室では、どこの国でも、同じことをほめてくるものらしい。
乾かしながら、お姉さまは私をほめてくれた。髪がきれいで量が多いこと、いい癖毛であること。若く見えること、肌がきれいであること。
そして恒例の、名前である。私はいろんな言語にいる名前なのだけど、特にこの言語圏の人は、
「あなたもしかして、私と同じ言語喋れる?」
と、聞いてくる。喋れない。苦笑

Fashion

この髪型は、とても気に入った。ふわふわの犬のようでもある。これに、パーカーやColorfulなoxford&pants/denimを着る。それが、すごく私っぽいと感じる。

気がつけば服も変わっていた。私はfeminineが好きだったはずなのだけど、いわゆるfeminineなスカートはしばらく履いていない。嫌いになったわけではないが、大人しくて洗練というのは、今の気分じゃない。男を惹きつける必要も、まわりにfashionable!とアピールする必要もないならば、ちょっと違うかな、と思う。

Ace literature

私がこうなったのは、明らかに、自分のidentityを受け入れてopenになったから。Musical afterpartyでother Acesと話したし、その少し前から、もっと自分を知ろうということで、Asexualを検索するだけでなく、本を読み始めた。探しても出て来るのは定義の解説ばかりで、Ace characterの出てくる良い小説があるとは思わなかったけど、探せばあるものだ。

母と境界線を引き、musicalが終わってリセットしたいタイミングで、日本語でfollowしていたものを減らした。バイオパークも、GW中のライブに追いつけなくなって見るのをやめてしまった。そうすると暇になるわけだが、代わりにこうして本を楽しく読むことに落ち着いた。Lovelessの著者Alice Osemanはイギリスの人で、本人もAro/Ace. Netflix showでもあるHeartstopperを描いた人でもある。(無料で読めるよ)

Lovelessは別世界だけれど、ほかの本はすべて同じ世界の違う時間軸の話。Queerなキャラクターばかりだが、楽しくいい人ばかりのYAでなかなかよく、読み漁っている。

そもそも男が好きじゃなかった

読んでいるうちに中性的な気分になったわけではないが、気づいたのは…♂を惹きつける見た目にしたくないですよね、もういいですよね、ということだった。

Aceである、恋愛・性愛をしないということについて、"だれにも矢が向かないなら、性別は関係ない"と理論的には思っていた。まるで誰にも向いていない矢を持っているような気分だった。だけど私の矢には♂と書いてあった。自分がそう感じるなら、それでいいこともわかっていた。
一般的にAceだと気づく人は、"異性に興味がないなら、同性が好きなのかな?それも違った"、という道をたどることが多いようである。だけど私は元々demiだったから両立した。私の対象は常に♂で、同性が好きだと思ったことはなく、"恋"だと思っていたものは男性にあったから、疑うことはなかった。

だけど、自分のidentityに正直になり、まわりのqueerな人々を見ていて思った。

気が合って、好きで、一緒に生活したいと思う相手を求めているならば。
その対象は…♂じゃなくてもいいかもしれない、と。

子供を持つ手段はいくらでもある。男女でなくても、この国では同じ権利がある。

こう思うだけの出会いがあったことは付け加えておく。相手はもちろん♂ではないわけだが、私は一切驚かなかった。

そう思うと♂への興味は薄れていった。嫌いではないので、housematesやらとは普通、これまでと変わらない。ただ、そういう対象として見ないだけである。

そもそも好きじゃなかったのかもな、と思うと、いろんなことが納得だった。なぜ男がきもかったのか。そういう目で見られることが嫌だったのか。
なぜそこまでgender equalityが気になったのか。結婚にもpartnershipにも男にもいいイメージが持てなかったのか。どうしてこれまで恋愛もつきあいもうまくいかなかったのか。なぜ、恋の進め方も何がしたいのかもわからなかったのか。なぜ日本が嫌な理由の大部分が男だったのか。

すべて、腑に落ちた。

男といるか、一人でいるか。その選択肢しかなかったから、男を求めなければと思っていた。女性が好きだったわけでもないし。
だから、男性心理は研究した。相手を立てなければならない、好かれなければならないと思っていた。なぜなら…この社会で成功するためには、それが必要だと思ったから。嫌でも、やらねばならない。来たものは、受け入れねばならない。

それでも、本音では、近寄ってくんじゃねえよ、と思っていた。特に、日本は男性の性欲に甘い。女性を性的対象として見ている。

  • だって、話聞いてもらえないじゃん。共感してくれないじゃん。脳の構造違うらしいじゃん。

  • 愛情表現、足りないと思っても、わかってあげなきゃいけないらしいじゃん。男にとってメールのは手段だから、連絡がなくても云々、って記事山ほど見るじゃん。

  • 結局sexがほしいだけじゃん。

  • 結婚したら、sexつき家政婦になるだけじゃん。

  • なんでこっちばっかりそんなに我慢しなきゃいけないの!!!?

加えて、私はモテるので、誘いをすべて断りながら、申し訳ない…とも思っていた。好かれているのはわかっているのに、君たち全員に興味がありませんで、ごめんね、と。

だけど、そう不満に思っていたことのすべては、相手が♀だというだけで、あっさり解決した。

話が通じる!!!
連絡もちゃんと返ってくる!!!
こんなに簡単なのか!!!

と、ようやく自分と趣味の合う、話の通じる人を発見したような、新鮮な気持ちになった。今思うのは、こんなtroubles(としか私には思えないこと)を経てまで♂と一緒にいたいと思う皆様は、やはり男が好きなんだろうということ。そう思わない私は、♂のことは好きじゃないということ。

パートナーがほしいけど男は嫌い

私と同じように感じていても、背景にはいろんな理由があると思う。"男がきもいのは、大人の(性欲がある)女性であることを自分が受け入れられていないから"というものしか見かけないけれど、それがmajorityなのかもしれないけれど、私は違った。

Aceは性別に関係なく好きになると読んだことがある。そのときは、ちげーよ!と思っていた。だけど考えてみれば、"そういう風に惹かれることがない"のであれば、そこには性別も何も関係ない。何もない(わけではないのだが、ここでは便宜上ないことにする)のだから。関係ない=何でもいい、とは違っていて、むしろ「誰であろうと、違う」のだけど。

ここで私が実感するのは、自分のpowerfulさである。恋でもないものを恋だとしてしまえること。好きでもない相手を、こうも落とすことができること。それならば。私が好きなことに打ち込んだら…すごいんじゃない?

というわけで、"私は♂には興味ありませんよ、探してませんよ"という看板を掲げているのである。
Shorter hairに、androgynous popなかんじ。肩は出すかもしれない、ちょっと肌を見せるのは好きである。だけどpantsがいい。Colorfulがいい。

これが、今は気分である。

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