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『所詮そんなもんさ論』


拝啓 / 李徴サイクル


己をカスと思っている諸君
カスから脱却せねばと抗う諸君
落胆する癖結局何もしない諸君

「お前はどうしようもねえ」

といざ他人に言われれば敵愾心を抱く諸君。
一度はこの言葉を見聞したことがあるだろう。

"自己肯定感低いのにプライドは高い"

どっかの誰か

"臆病な自尊心と尊大な羞恥心"

「山月記」中島敦


諸君。

諸君らと同類である私は、長らくこのカラクリ、
その真意が分からなかった。しかし分かったのだ。
ドミノ式に言えば、


"できないこと"に対する絶対的忌避

できなければ自己肯定感の低下

"自分にはこれしか残ってない"
達成できない自分への失望、
なけなしの"できること"が押し上げられる。

再び失えば後がないと切迫する。己が消えないように
己の"価値"を保つため、プライドの向上


このサイクルだ。くそだろ。
じゃあ何故、できなければ自己を蔑むか。
私はこのサイクルの中に答えはないと思う。
なぜならこれ自体が、Virtual Reality並みに
よくできた"幻"に過ぎないからだ。

例えそれが、
自分以外の人ができる事であっても
須くできなければ価値がないと言われることであっても
その事象ひっくるめて"こんなことで" と、己ごと下へと追いやって
初めて"不幸"が完成する。
同時にそれは、己への期待の膨らみが大きければ大きいほど、破れた時により高いところから落とされるのだ。

"価値"という幻

"価値"、そんなもの最初からないのだ。
正直、望むことができなければ自分にガッカリするだろうし、悔しい。欲求を果たせない不自由に縛られ、
苦しいいっそのこと殺せと思うのだ。
斯くいう私も、自部屋(およそ5畳)全ての整理整頓、断捨離を目標3時間に設定したことがあった。
実際は半分で5時間かかって、凹んだ。

そこのお前。
お前だよ!!!今しょうもねえと思っただろ。
そこだよ。
他者の絶望を己の基準で測っても無駄なだけだ。
  お前はお前の絶望を客観で測っているんだ。

まとめ / 認める言葉


己(理想)を応援する 己(理想に片足入れる現実)が、
満たせない己(現実) を認めるのは難しい。
そしてこの世界には無情にも、己(理想)を 己(現実)より体現している他人がいる。

しかし、よく考えてみてほしい。
それがおまえの言う
"生きる価値"という幻の概念に、直接結びつく事はない。

陳腐だが、できなくてもいいじゃないか。
できなければ恥ずかしい?
お前の生きる目的は、"できる"なのか?
"完璧な自分を他者へ見せるショー"なのか?それ以外は地獄でもいいのか?ぶっちゃけ、認められることに重きを置く論理なら周りはお前のことを注視していないぞ。いやこれは嫌味でもなんでもないマジ。
私は15歳までレアル・マドリードを知らず生きてきた。
私は20歳までバーガーキングを知らず生きてきたのだ。
そういうことだ。
馬鹿にした奴は葬ってやる。

ただ、かと言って何もないまま虚しく在ることは別だ。耐えられないだろう。
だから私は、できるできない以外で心が満たされることが重要だと思うのだ。


己(理想)を応援する己(理想に片足入れる現実)が、満たせない己(現実)というものを認めるのは難しい。
お前が自分に絶望して、打ちひしがれて、価値がないと思う前にこう唱えるんだ。皮肉ではない、きっと今の己を受け入れられる言葉─

心が落ち着いた後
風を浴びるように澄ました頭で、もう一度考えるんだ。
お互い健闘を祈ろう 弱気になればここを頼るんだ。
じゃあな 𝑏𝑜𝑛 𝑣𝑜𝑦𝑎𝑔𝑒 ───

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