魔法使いプリキュアは日常系アニメとして見るべきである
どうも。院生ニートと申します。
2025年1月11日に「魔法使いプリキュア!!~MIRAI DAYS~」の放送が始まります。
2016年に放送された魔法使いプリキュアの正当続編になるっぽいですね。
で、このいわゆる「まほプリ2」の放送前に、「まほプリ」を見ておこうと思いまして、さっそく全部見終わりました。
なのでまほプリの感想をざっくり話していこうと思います。
なお、ネタバレ有りなので注意してください。
ざっくり感想
まあ全部見終わって思ったことは「これは日常系アニメだな」って感じですかね。タイトル通りです。
個人的には「そこそこ面白かったな」って感じですが、名作って感じではないですね。
あくまで「日常+萌え」として楽しめただけです。
プリキュアに対して「激しいアクション」や「奥深いストーリー」を求めている人はつまらないと思います。
まあ、あとで語りますが「設定だけ」なら相当面白くできたと思うんですけどね。ここはまじでもったいないと思いましたね。
ちなみに「日常+萌え」と聞いたら、皆さんは何を頭に浮かべますか?
ぼくは「きららアニメ」ですね。
「ご注文はうさぎですか?」とか「ぼっち・ざ・ろっく」とか「ゆるキャン」とかがきららアニメですね。
きららではなくても、「ゆるゆり」とか「のんのんびより」あたりも「日常+萌え」って言えるでしょうね。
そんで、これら「きららアニメ」が好きな人だったら、「まほプリ」は楽しめると思います。実際、僕もきららアニメは好きです。
ただ、きららアニメが苦手な人は、、、
あんまり視聴をおススメできませんね、、、
個人的な細かい感想
こっからは僕が気になった細かい感想を書いてきます。ポジティブな意見、ネガティブな意見、どちらも入ってます。
登場人物全てが可愛すぎる!(これが一番の感想、、、)
このアニメは登場するもの全てが可愛すぎます。
プリキュアである「みらい、リコ」のカップリングは素晴らしいですし、妖精ポジションのモフルンも可愛すぎました。
その他のキャラも基本全部可愛いです。
個人的には「チクルン、モフルン」のペアが一番好きでした。
でもね、逆にいうと「これが一番の感想」なんですよ。
全部で50話あって、今作は二つの敵組織があって、それで真っ先に浮かんだ感想が、「モフルンたち可愛い!」なんですよ。
これって逆にマズくないですかね。
ほぼきららアニメ
ざっくり感想のところでもいいましたけどまほプリはほぼきららアニメです。
きららアニメを見たことない人に説明すると、きららアニメっていうのは「可愛い女の子たちが、ほとんど男がいない世界観で、素敵な日常を過ごすアニメ」です。
はっきりいってまともな人間が見てもたぶん面白くないです。
ちなみに僕はまともじゃないので、きららアニメ好きです。男キャラなんていらないし、可愛い女の子にブヒれればなんでもいいです。
まほプリってそういうアニメです。
そんなアニメが子供たちに刺さりますかね?
実際にまほプリ好きって男性が多いんですよね。公式の投票でもそれが証明されてます。
プリキュアって基本的に女児が見るアニメですよね。
にも拘わらず、男性票が半分弱入ってます。そして年代別だと「20~29」が一番多いです。
これって相当異常なことだと思いますよ。
ちなみに他のプリキュアシリーズである「プリキュア5」の人気投票の男女比はほぼ9:1です。
プリキュア5は男である僕もめちゃくちゃ楽しめたアニメです。なんだったら歴代TOP3に入るぐらい好きです。
そんなプリキュア5も男性票は1割ぐらいしか入らないんですよ。
プリキュアって残念ながら普通は女の子が見るアニメですからね。
にも拘わらず、まほプリは男性票が約半分です。
まほプリが歴代の中でもかなり異色なのがわかりませんか?
初代に似てる
まあこれは良い悪いではないですね。
単純に初代に通ずるものが多いです。
例えば「みらい、リコ」はふたり一緒じゃないと変身できないです。初代と一緒ですね。
あとマザー・ラパーパは初代の光の園のクイーンに似てるし、ドクロクシーの組織はスプラッシュスターの敵組織に似てると思いました。(だからこそ、ドクロクシー側近のヤモーはゴーヤーンのポジションだと思ったんですがね)
初代が格闘少女だとすれば、まほプリはまさに魔法少女って感じですかね。
ちなみにプリキュアシリーズって「フレッシュプリキュア」とか「プリキュア5」と似た雰囲気の作品は多いイメージがありますけど、なにげに初代をベースにした作品って少ない気がします。
世界の秘密がわかってから面白くなってきた!、と思いきや、、、
43話でこの世界の秘密がわかります。(逆にいうと43話までほとんど話の進展はない)
ネタバレですけど、世界の秘密の内容は、
魔法界とナシマホウ界はもともと1つ。
→だけど世界をめちゃくちゃ?にしようとしたラスボスとマザーラパーパとの戦いで世界が2つに別れる。
→マザーラパーパに封印されそうになったラスボスの眷属が、将来的に復活するために、世界各地に闇魔法の呪文?のパズルをばら撒いた。
→そのパズルを読み解いたのが20話ぐらいまでボスヅラしてたドクロクシー
→ドクロクシーが闇魔法?を使ったおかげでラスボスの眷属たちが復活できた。
→つまりドクロクシーたちのやっていたことは全て、ラスボスの眷属の思惑通りに過ぎなかった。
みたいな感じですね。
ぶっちゃけ設定だけなら結構面白そうじゃないですか?
実際、この設定が判明した43話~45話あたりまではかなり楽しみに見てました。
しかしまほプリはこの設定を上手く活かしませんでした。
なんやかんやの流れでラスボスをあっさり撃破。そのままエピローグ。
たぶん歴代シリーズの中でも一番ラスボスをあっさり撃破したんじゃないでしょうか。
この部分をあっさり終わらせたのは、正直ナンセンスだと思いましたねぇ
そういう意味でもシリアスな展開を見たい人にはまほプリは向いてないと思いますね。
校長が無能すぎる
まほプリの世界には「魔法学校」が存在し、そこには校長先生がいます。
まるでハリーポッターのホグワーツみたいな感じですね。
しかしホグワーツ校長のダンブルドアと違って、まほプリの校長は無能でしたね。
まあとはいえ無能なだけなら別にそこまで気になりません。
プリキュアの世界でオトナが有能なシリーズの方が珍しいので。
自分が気になったのは、校長が「世界の危機をプリキュアに押し付けてる」ところですね。
だってプリキュアである「みらい、リコ」は魔法学校の生徒ですよ。
自分の学校の生徒に、世界の危機を押し付けるのっていくらなんでもオトナとして無責任じゃないですかね。
最終回をキラプリの宣伝に使いやがった
ラスボスを倒した後、エピローグってのはよくある流れだと思います。
その流れ自体は全く問題ないと思います。
ただ自分が気になったのは、最終話をほぼ全部使って、次回作の「キラキラプリキュアアラモード」の宣伝まがいのことをしていたことですね。
キラプリの主人公が最終話にゲスト出演して、ちょっと活躍するって感じですね。
自分は次のプリキュアへのバトンタッチのシーンは普通に好きですよ。
でも1話分使う必要ありますかね? 最後の3分とかでも十分じゃないですか?
この最終話を使ってラスボスとの対決をもっと深堀ってほしかったですね。
もちろんこの最終話は、単に次回作の宣伝以外の役割はありましたよ。
例えばさいごに見知らぬ子供二人が仲良くなるシーンとかよかったですよ。「ああ、まほプリのテーマは本当に友情なんだな」って。
でもさあ、ラスボス戦を削ってまで、この最終回にする必要あったのかなぁ
余談
完全に余談ですけど、まほプリの映画で、最後の5分ぐらいに3Dアニメーションがあるんですよ。
この時、3Dになったキュアミラクルが結構きもかったですね。
なんでもかんでも3Dにすればいいってもんじゃないですね。
まとめ
ここまで結構ネガティブなこと書いてきましたけど、「日常系アニメ」として見れば面白いですよ。
もし「シリアスな展開」が見たいのであれば、フレッシュプリキュアとかドキドキプリキュアとか、そういうのを見ましょう。
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