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父の言葉

あ、言い忘れてたけど、藤沢周平、良かったので、別のを買って読んでます


実家で久々に食事をしたその翌日、父からLINEが入っていた。誕生日だか父の日だかに同氏の小説を贈ったのを思い出す。


寡黙な父親。私が出産してから、やっと互いに自然と、と言えるかはわからないけれど、話せるようになった。今ではもう、父というより、じいじだ。


食事をした日の帰り際、おもむろに私の横に座る父。夫とずっと飲んでいたので、だいぶんお酒がまわっていたと思う。夫とはなにやら会社や仕事の話をしていたようだ。「組織」とか「理念」とか、そんな言葉が断片的に聞こえていた。


「あまり皆が集まっている時には言いづらいけど」

父は、こんな風に突発的に語りかけるときがある。


「もう自分は65歳になった。

あと10年で、私の父が亡くなった年齢の75歳になる」


とつとつと、輪郭のない何かを手繰り寄せるように話す父。

居間からは、酔った夫と娘たちがきゃっきゃとはしゃぐ声が漏れてくる。


「今目の前の、こういう時間や風景は、永遠に続くように錯覚してしまう、最近。」

この永遠という言葉は、何か別の四字熟語で、私の知らない言葉だったと思う。たぶん、永遠という意味だろう。どこか宗教的な響きだった。


「でも、違う、」


何か私に伝えたいことがあるんだなと、じっと耳を傾ける。


「君たちに、親が死ぬということはどういうことか、少しずつ伝えていかないといけない時期に来ていると思う」


三姉妹の長女の私はこの家に残るという道を選ばなかった。妹の二人も、同じく、嫁いだ。


そういう、家のこと、何やかんや後始末のこと、形式的なことを含めて、感情の波のようなものが押し寄せて、私の心を締め付けた。


気持ちが収縮したまま言葉を選び、選ばれながらも整理されないまま、私は答える。

「私も、少し前から、そういうことを考えないといけ ないなと、思ってた」



論理的な会話じゃなかったと思う。特に互いに深堀りもせず、意図を求めるわけでもなく、感情と感情の大雑把な、でも爪痕の残るようなやり取りだった。


ふりかえれば、そういう会話が多かったかもしれない。交わした言葉は少ないけれど。



「はははっ、そんなぁ~。人生100年時代って言うがん~そんなん考えるの早すぎるよ~」

と、笑い飛ばせば良かったのだろうか。

あるいはただ父は、自分自身に言い聞かせていただけだったのかもしれない。私に何かを伝えたかったわけではなく。


目まぐるしくて、ちょっとつらいときもあって、でも愛し過ぎる日常の流れに身を任せていた私。

そんな日常に、不整脈のようにトトんと脈を打つ、夕暮れ時の玄関先での会話だった。



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