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都会住まいだからこそ、植物の力を借りて暮らしたい

名古屋市に隣接する小さな町。それが私の生まれ育った場所。
自然というよりは、田んぼが多い平野の真ん中にあるのどかな街だったので、山や川に囲まれて自然いっぱいという土地とはまた少し違うけれど、自宅には小さいながら庭もあり、子供の頃に拾ってきて埋めたどんぐりが成長した木があるくらい、植物が身近にある環境で育ったことは確かだ。

進学した名古屋市内の大学は、主要な地下鉄路線に囲まれた場所ではあったものの、大学内でも一番はずれに位置する私の学部は、農学部という学部の性質もあってか(?)、大学の緑化率に埋もれたような建物内にあった。林学系の基礎学習は構内でできるのではというレベルだったし、測定機器を借りるために通った隣のラボのプレハブは、落ち葉に埋もれた木の階段をえっちらおっちら登っていかなければたどり着かないような場所。「ミステリードラマの撮影に使えそう」なんて友達と冗談を言うくらい、都会っぽくない環境だった。

そんな風に、顔を上げれば植物がある生活から、就職のために上京し都内での生活を初めてすぐ、緑の少なさに息苦しくなっていた。正確には、息苦しくなっているのに気づかず、はじめての都会生活の目新しさばかりに惹かれ、遊び回っているうちに、息苦しささでにっちもさっちもいかなくなり、心身の不調がでてやっと気づく有様だった。

社会人生活と地元を離れた生活を一気に始めなければならなかったことも大きかったのだろうが、就職してすぐのころは、毎月のように新幹線にのっては、愛知の実家に帰る日々だった。そんな生活を、多分3年以上はしていたと思う。それでも地元に戻るために転職するという選択をしなかったのは、その時の仕事が、こころからやりたい仕事であり、東京でしかできないということがわかっていたからだ。

だとすれば、私が考えるべき道は一つ。都会暮らしでも、こころ穏やかに暮らせるようにする工夫をすることだ。私が、植物に関わる学びや活動を始めたのは、これが大きな理由のひとつだったと思う。当時は無意識のうちに、「興味のあること」として選んでいたものだったけれど。

”植物のある暮らし”、”ハーブのある暮らし” をするならば、庭があって自分で育てられるような環境で暮らすのが一番だ。そんな暮らしで20年以上育った私は、よくわかっている。自分が埋めたどんぐりの木が今でも恋しいし、季節ごとに香る金木犀や木蓮のある生活は最高だった。祖父母の家の裏庭には、どくだみやよもぎが生えていて、お風呂に入れていたことも懐かしい。

でも、私は今、タワーマンションが立ち並ぶ都市のど真ん中に住む。それは、ここでなくてはできない仕事との縁があったからだし、今は同じ思いで仕事に励む夫がいるからだ。やりたい仕事、家族との暮らし、理想の生活スタイル… 私たちは人生の中で優先順位をつけて選ばなければいけない。

でも、都会で暮らす選択をしたからといって、植物のある暮らしを諦める必要はないのだ。むしろ、都会で暮らす人々にこそ、日々の生活の中で、五感をめいっぱい使って植物の力を分けてもらうことが必要なのだと思う。そしてそれが、実は意外に簡単なのだということにも、ハーバルセラピストとして学びを深める中で気づいた。

やりたいことのために都会で暮らす人たちに、日々健やかに暮らすための小さなアイデアとして、植物やハーブを取り入れる方法を提案したい。これが、私が今、ハーバルセラピストとしてやっていきたいこと。



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