「図書館の子」 佐々木譲 著
みなさんは、タイムマシーンについてどんなふうに考えていますか?
かのアインシュタインが唱えた相対性理論によると、時間旅行は可能に思えたし、タイムマシーンはどれぐらい先かはわからないけれど、将来、必ず実現しそうだと夢見ていました。
しかし、数年前にふと、「何年待ってもタイムマシーン(以下TM)の実現はムリなのかも」と思いました。
理由はとても単純で、「未来から誰も私を訪ねて来ないから」。
もしも、タイムマシーンがあったなら
それまでの私は、未来から私自身がやって来て、10年後、20年後の私について「こんなふうになっているよ」「こんな生活を送っているよ」と教えてもらったり、「15年後にこういう絶体絶命なピンチに陥るから、こうやって避けて」みたいな忠告をされるとか、そんなことを考えていました。
あるいは、私の子孫がやってきて、
「ボクの/わたしのおばあちゃんのおばあちゃんがどんな人なのか知りたくて会いにきました!」とか、私が過去に行って自分のルーツを探るとか、時代を自由自在に行き来できる、そういうTMの利用方法を妄想していました。
どちらかというと、TMの自己都合利用ですね。
ミッションを帯びたタイムトラベル
ところが!
この短編集はそんなほのぼのしたTMの利用目的ではなく、
「意に沿わないタイムトラベルをしてしまった」とか、命を帯びたタイムトラベルとか、ハードなシチュエーションでの時間旅行6編がおさめられています。
すべての話はどこかでつながっているのかなあ、と丁寧に読み返したページもありますが、私としてはこれら6編はすべて独立した話だと結論づけました。
読んだことのある方のご意見はいかがでしょう?
短編集ですので多くは語りませんが、もし、本当にタイムトラベルしてしまったとしたら、こんなふうなんだろうなあ、とトラベラーとしての立場を感じられますし、自分の前に突然、別の時代からのタイムトラベラーが現れたとしたらこういう気持ちがするのか?と、それぞれの立場を想像しながら読める小説です。
私が特に気に入ったのは後半の2編。
「追奏ホテル」と「傷心列車」。
両編ともに「満洲国」が舞台になっていて、作者はまるでその時代にそこで過ごしていたかのような描写をしており引き込まれました。
少し不気味な雰囲気が6編すべてに漂っているので、ホラーは絶対にイヤ、という方にはお勧めできません。
私のように、TMにドラえもん的な発想しかない人には、思いがけない方向からのタイムトラベルモノになること間違いなしです。
ハードボイルド系作家
作者の佐々木譲さんは、「廃墟に乞う」のような静かなハードボイルド系を書く人だと思っていました。
思い返せば、「砂の街路樹」が北海道・小樽を舞台にした幻想的なストーリーで、霧の中に登場する渡し舟の夫婦、あれがTMでありタイムトラベラーぽいですね。
タイムトラベルモノを嘘っぽくなく、ファンタジーでもないテイストで書けるのは、やはりハードボイルド系が得意な作家だからでしょうか。
子供のころ、勉強机の引き出しに入り込めたら、好きな時代の好きな場所へ行ける、と胸躍らせて引き出しを引いたり戻したり中を覗き込んだりしていたあなた、大人になった今、「図書館の子」を読んでみてはいかがでしょう、秋の夜長に。