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"住む"と"旅"の合間を彷徨い続けたい

自分が大学生だった時、通う大学の隣にスタバがあった。そのスタバは、都内の駅近に構えており、近所の人、大学生、旅行客、さまざまな人が入り混じる少し賑やかな風情があった。
その日、私はその空間に溶け込むかのように、大学生らしくスタバで英語の勉強をしていた。就活を目前に控え、TOEICの単語集と睨めっこしながら、ティーラテを啜っていた。

次のページに移ろうとした時、突然、隣の人が「Excuse me」と話しかけてきた。突然話しかけられてびっくりしてその人の方を見ると、続けて、

「英語を勉強しているの?」

と英語で質問された。ぎりぎり相手とコミュニケーションできる英語を話すことができたので、そのまま「そうだよ。資格の勉強をしてるんだ」と返した。

そこから、しばらく会話が続いた。隣に座っている30代ぐらいに見える男性は、フリーランスのプログラマーで、アメリカからきたという。旅行で来たのか?と尋ねると、「そうでもあり、そうでもないよ」と少し曖昧な返答が返ってきた。私は不思議に思って、どういうことなのか、と尋ねると、彼の目の前にあるPCを指さしてこう言った。

「僕は世界中どこからでも仕事ができるから、旅行でもあり、仕事でもあるんだよね」




それが、私にとって初めて「仕事をしながら旅をする人」との出会いだった。その記憶は、今も自分の中に鮮明に残っている。衝撃を受けたと同時に「羨ましいな」とも思ってしまったからだ。

当時はまだ「ノマド」や「ワーケーション」という概念がそこまで一般的ではなかったから、彼の姿を見た時、純粋な憧れと、漠然とした将来として「旅と仕事」という概念が自分の中に新たに芽生えた。自由に場所を変えて、仕事をする様は、今まで見てきた仕事という概念からは遠く離れたもののように見えた。


「どこでも住めるとしたら」という言葉を見た時に、パッと思いついたのはこの「思い出」「憧れ」だった。
現在は、一般的なリモートワーカーとしてIT企業で働いているが、あの時、スタバの彼から感じた憧れはまだ心の中にある。ノマド的な働き方もかなり一般的に認知されるようになった。私が現在英語を教えてもらっている先生もノマドワーカーでアジアを転々としている。
その一方で、あれから時は経ち、自分自身もアラサーと呼ばれる年齢となった。体力的にも、さまざまな場所に飛び回って仕事をするようなことは難しいとも思う。

だからこそ、私がもし、どこでも住めるとしたら「"住む"と"旅"の合間にいたい」と思う。

たとえば、日本と海外のどこかに半年ずつ住むような形で、定住する場所を2箇所置いたり、毎年住む場所を交互に変えてみたり、定着するような暮らし方ではなく、さまざまな場所に居を置いて試してみるような暮らし方だ。

自分自身、イギリスに1年間留学した経験があり、その経験はなによりも代え難い経験であった。違う場所に住むことによって違う価値観が生まれたり、元いた日本への愛着を感じることもあった。住む場所を変えることで、自分が見えてなかった「なにか」が見えることもあると思う。"旅"と"住む"の合間を彷徨い続けることで見える「新しいなにか」を体験してみたい、そう思う。


コロナ禍を経て、私は日本・地元への愛着が少し増したと思う。ここでの生活は居心地が良い。リモートワークもできて、ワークライフバランスも上手く取れるようになった。けれど、心の中では少しの「旅と冒険」を求めている。そんな暮らしをしてみたいと、今でも思っているのだ。

#どこでも住めるとしたら



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