大邱の自慢 大邱湯飯/達城人
「名物にうまいものなし」という日本のことわざがある。
一理ある言葉だ。普段から新たな味覚を求めてやまない我々が、名物という名前に流され、あまりにも過敏に期待してしまうのが理由のひとつ。製造業者が名物に頼りきって利益ばかりを追及し、適当な仕事にかまけ、徐々に平凡化していくのもまた理由である。
そんな「名物」はさておくとして、ここでひとつ大邱湯飯(テグタンバン、大邱式のクッパ)を味わってみよう。この料理は、本来の名前をユッケジャン(牛肉の辛口スープ)と言う。
我が国では一部の人が、滋養強壮の食材として犬肉を好む。特に南部地方の田舎では「姻戚が来れば犬を料理する」と言うほど、ケジャン(犬肉のスープ)を手厚いもてなしと考える。だが、近ごろは犬肉を苦手とする人も多く、犬肉自体も貴重になっており、そんな事情を踏まえて作られたのがユッケジャンだ。
端的に言えば、牛肉のケジャン風(訳注:ユッは漢字語で「肉」=「牛肉」を意味する)。昨今の人気で、本場の大邱からソウルまで進出している。
3斗釜に牛肉をどっさり入れ、コムタン(牛スープ)のようにじっくり煮出したスープを作り、そこへ粉唐辛子と牛脂をたっぷりと入れる。
表面を濃厚な脂が覆い、太く立派な長ネギはスープを吸ってくたくたに。そこへ煮込んだ牛肉を引き上げて、手で適当にちぎり入れれば、舌を火傷するように熱く、湯気のもうもうと立ち込める真っ赤なスープとなる。
その一杯を前にして、つばをゴクリ。
どんなに寒く凍てついた顔であっても、ひとりでにほぐれ、全身もとろけてむずむずする。
大邱のユッケジャンは、ケジャンを原型とした点と、我が国の人たちの好みに合わせた粉唐辛子の辛さに本来の特色がある。うっかり食べ間違えば、くちびるが腫れあがって恋人とキスもできず、悲しい涙をこぼすであろう。
私が大邱に住んでいた中学生時代。
『イントレランス』(アメリカの映画監督D・W・グリフィスが1916年に制作した映画)という名作映画を鑑賞した。見終えてみると夜中の12時。手足が凍える中、ぶるぶる震えながら当時行きつけだったユッケジャンの店に入った。
一気呵成にたいらげるや、訪れたのは唐突な眠気。
3斗釜のふたが開くたびに、何やら怪物が息を吐くかのようで、もうもうとした湯気がぬくぬくと……。
気付けば、熟しかけのトマトにも似た女将のひざまくら。そのとき食べたユッケジャンはいまも鮮明であり、若かりし頃が懐かしまれる。
達城人-『別乾坤』1929.12
(写真上:大邱式のユッケジャン、写真下:一般的なユッケジャン)
<訳者解説>
大邱湯飯(大邱式のユッケジャン)は、1920~30年代にソウルなどで大流行した料理。他地域のように豆モヤシやワラビなどは具に入らず、ごろんと大きな牛肉のうま味と、どっさり入った長ネギの甘みが味の柱となる。現在の大邱でも名物として親しまれているが、大邱湯飯という名称は本場の大邱も含め、全国的にほぼ使われなくなった。唯一、その名称を残すのが日本であり、焼肉店などで見る「テグタン」のルーツが大邱湯飯だ。
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翻訳者:八田靖史
コリアン・フード・コラムニスト。慶尚北道、および慶尚北道栄州(ヨンジュ)市広報大使。ハングル能力検定協会理事。1999年より韓国に留学し、韓国料理の魅力にどっぷりとハマる。韓国料理の魅力を伝えるべく、2001年より雑誌、新聞、WEBで執筆活動を開始。最近はトークイベントや講演のほか、企業向けのアドバイザー、韓国グルメツアーのプロデュースも行う。著書に『目からウロコのハングル練習帳』(学研)、『韓国行ったらこれ食べよう!』『韓国かあさんの味とレシピ』(誠文堂新光社)ほか多数。最新刊は2020年12月刊行の『あの名シーンを食べる! 韓国ドラマ食堂』(イースト・プレス)。韓国料理が生活の一部になった人のためのウェブサイト「韓食生活」(https://www.kansyoku-life.com/)、YouTube「八田靖史の韓食動画」を運営。