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国の領土が変わって引き裂かれたハンガリー人夫婦の話
本題の前に、まずはウクライナに関する話から。
今回のロシアによるウクライナ侵攻について、多くのロシア人たちは正しい行為だと支持している、と報道されている。
なぜか?
元々、ウクライナの東部にはロシア語話者が多い。僕の友人のウクライナ人も、頭の中ではロシア語で考えていると言っていた。
そしてウクライナには、既に何年も前からウクライナ政府の主権が及んでいない「親ロシア派が支配している地域」が存在していた。
しかもロシア政府は2019年から、そういった東部のウクライナ人の中で希望する人たちに対して、ロシア国籍を与えてきた。
そのためロシアは、ウクライナへ攻め入った理由を、「ウクライナに住むロシア人やロシア語話者の同胞たちが、ウクライナ政権に虐殺されている。だから彼らを解放して助けなければいけない」としている。
これまで何度も書いたとおり、人は「同じ言葉を喋る人たち」に対して親近感を持つ傾向がある。その理由は、人は意思疎通できる人たちに共感するから、だと思う。
なお、別にロシア政府が彼らに共感したから軍事行動を起こしているわけではなく、ロシア政府はロシア国民のそのような共感する気持ちを上手に政治利用している、ということだけど。
そして、たとえ国籍が違っても、人々は同じ言葉を話す人たちのことを同じ民族とみなす傾向もある。
さて、そんな人間の性質を踏まえて、今回はハンガリー人の友人から聞いた、彼の祖父母に関するなんともやるせない話を(*最近までドイツに住んでいました)。
昔は広大だったハンガリーの領土
第一次世界大戦までのハンガリーは、広大な領土を支配していた。そんなハンガリーは、第一次世界大戦で敗戦して、自国領土の三分の二が周辺国に奪われて失ってしまった。
ハンガリー人と歴史について話をすると、みんな判で押したように必ず言う。
「ハンガリーは、もともと今の三倍の領土があったんだ。つまり今の領土は、本来のハンガリーのわずか三分の一しかないんだよ」と。
確かに、過去の地図をみてみると、ハンガリーの領土は今では信じられないほどに広大だった。
そして続けて、
「第一次世界大戦で失ってしまった広大な領土を取り返したい、というハンガリー国民の心の隙に巧みにつけいったのが、ヒトラーだった。ドイツと一緒に戦えば、奪われた領土を取り返せるぞ、という口車に乗って、ドイツ率いる枢軸国に参加してしまった。
結果はご存じのとおり。領土は戻ってこないばかりか、実質的にソ連の支配下に入って社会主義国家になってしまった。それによって、戦後の50年間は世界の発展から取り残されてしまって、無駄に空費してしまったよ」
という話の流れになる。
壮大で立派なハンガリーの国会議事堂
ちなみに、この写真はハンガリーの国会議事堂。人口がわずか1000万人程度の国にしては、あまりに壮大で立派な建物。旅行で訪れた皆さん、その美しさと壮大さを絶賛する。
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しかし、この国会議事堂についてハンガリー人に聞いてみると、ちょっと微妙な反応。
ハンガリー人
「あの国会議事堂、デカいだろ。1900年頃に建てられたんだけど、今の3倍の領土があった当時に設計されたんだ。大量の議員たちを収容できるようにね。
でも、その後まもなく国の領土が大幅に縮小してしまって、あんなに大きな国会議事堂は必要なくなってしまった。実際、あの建物の多くの部分は使われなくなったんだよ。
でも、いったい誰が『もうそんなに大きな国じゃないんだから、国会議事堂を小さくしよう』なんて言うか?もちろん、誰もそんなことは言わないよ。逆に、国の領土を元に戻して、つじつまを合わせようと考えるもんだ。だから今もそのまま、国の大きさに合わない巨大な建物が残っている、というわけさ」
ということで、この記事を読んでらっしゃる人で、もしハンガリーを旅行して現地の人とあの国会議事堂について話をするときは、少しだけ気を遣って大きさではなく美しさについて褒めることをお勧めします。
ちなみに、だいたいどの国も「自国の歴史上で最大の領土=本来の自国の領土」と定義する。だからハンガリー人としては、今のハンガリーは本来の三分の一の領土しか認められていない、と主張する。そのため彼らは現代のハンガリーを「小ハンガリー」と呼んでいる。そしてその3倍の「本来の領土」のことを「大ハンガリー」と呼ぶ。
ちょっと自分たちの都合の良いように主張しているようにも聞こえるが、でもあながち、実態と全然違うわけでもない。
というのも、実際にハンガリーの周辺国(スロバキア・ルーマニア等)には、現代の世の中でもハンガリー語を使って生活をしている、”いわゆるハンガリー人”がたくさん住んでいる。
その「ハンガリーの周辺国に住んでいるハンガリー人」は、ハンガリー国籍ではないけれども、アイデンティティーはハンガリー人。なぜならハンガリー語を喋って、ハンガリー人の様式で生活しているから。
ルーマニアに住む”ハンガリー人”
そこで、会社にいるルーマニア人同僚に聞いてみた。ルーマニアはハンガリーのお隣の国。
僕
「ルーマニアって、今でも”いわゆるハンガリー人”が住んでいるの?」
ルーマニア人同僚
「そうだね、今でもルーマニア北部には、70%くらいの住民がハンガリー人で占められている地域があるよ。そういう”ハンガリー人の一族”の中には、現代でも”ルーマニア人”と結婚するのはまかりならん、とあくまでもハンガリー人の純血にこだわっている家も多くてね。この時代になっても、全然ルーマニアに溶け込まない家族も多い」
そんな背景があるからか、ハンガリーとルーマニアはギクシャクしがちな関係。もっとも、ヨーロッパの隣国同士で仲良しこよし、という話はあまり聞いたことはないが。
そんなこんなで、いわゆるマイノリティー問題の解決は、100年経っても進まない様子。これって、以前に僕がnoteに書いた「ラトビアに住むロシア人」と同じ構図やね。
そんな歴史を持つハンガリー人たち。僕の仲が良いハンガリー人の友人が、自分の家族の歴史について教えてくれた。聞いたのは2017年くらいだったと思う。
彼は当時で50才くらい。ハンガリーで働いていて、エンジニア職の幹部を務めている。僕よりも少し年上で、とても理知的で真っ直ぐ(すぎる)性格をしている。どこかウマが合う上に、彼はおしゃべり好きな性格だから、よくアレコレと長い時間話し合った。
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友人の祖父と祖母の人生について
ハンガリー人の友人
「僕の祖父と祖母は1900年頃に生まれた。祖父は『小ハンガリー』、つまり『現在のハンガリー領土』で生まれ育った。一方で祖母は『大ハンガリー』、つまり『現在のハンガリー領土の外側にある昔のハンガリー領土』で生まれた。
祖母が生まれてから歴史は動き続け、そのハンガリーだった領土が、ルーマニアに奪われた。それによって祖母は、”ルーマニアに住むハンガリー人”として育った。
そして第二次世界大戦が勃発。ドイツとともに快進撃したハンガリーは、大戦中に一時的にルーマニアから領土を取り戻したんだ。
祖父はその僅かな合間に、教師として祖母が住んでいた街に移住した。そこで祖母と知り合って、結婚したんだ。
しかし、そんな時代は長く続かず、あっという間に終わってしまう。第二次世界大戦ではドイツとともに敗れて、結果として、その土地はまたルーマニアに奪われてしまった。
そしてどうなったか。ハンガリーの外側に住んでいたハンガリー人たちは、選択を迫られた。
小ハンガリー(現在のハンガリー領)へ戻るか?
それかルーマニア国籍を取ってルーマニアに残るか?
祖父はルーマニア語ができなかった。だって、たまたま移住した地域が、またルーマニアに奪われただけだからね。彼はルーマニア語が喋れないから、ハンガリーへ戻る道を選ばざるを得なかった」
ちなみに、ハンガリー語はアジアの言葉と共通点が多くて、ヨーロッパの中では特殊な言語。一方でルーマニア語はヨーロッパのラテン語系で、ハンガリー語とは全然違う。だから、その友人のおじいさんがルーマニア語を習得するのが容易でなかったことは充分理解できる。
ハンガリー人の友人
「一方で祖母は、年金生活の曾祖母の面倒を見るために、生まれ育ったルーマニア領に残らざるを得なかった。なぜなら、ハンガリーへ移住すると年金が支給されなくなって、曾祖母が生活できなくなるからね。
このような祖父と祖母のそれぞれの事情によって、二人は住む場所が引き裂かれて、離婚せざるを得なかった。だから僕は祖父母の離婚を『政治的原因による離婚』と呼んでいる。やるせないけど、そういう時代だったんだ」
僕
「となると、離婚はしたけど、子どもはいたってこと?でないと、キミはこの世にいないよね」
ハンガリー人の友人
「そう、祖父母が離婚した時には、既に娘が二人いた。そのうちの姉が僕の母。つまりルーマニアに住むハンガリー人。そしてのちに、やはりルーマニアに住むハンガリー人である、僕の父と結婚した。だから僕は青年になるまで、ルーマニアに住むハンガリー人として育ったんだよ。別に特殊なことじゃない。育った町では、みんなが”ハンガリー人”だったからね」
僕
「え!じゃあ子供の頃はルーマニア国籍だったの?全然知らなかった」
ハンガリー人の友人
「そうなんだよ、実は。でも僕ら家族にとっては、自分の育った国の領土が、たまたまこの時代にルーマニアが支配していた、というだけの話。自分たちはあくまでもハンガリー人なんだよ。
でもね、しょせん僕たちは、ルーマニアの中ではマイノリティー。居心地が良くないんだ。だから両親は、今のハンガリーへ移住するために、1986年に移住を申請した。
ところが、そう簡単に移住が認められることはなかった。というのも、父は技術者で、特許の権利を持っていて、政府が父を手放すことを渋ったんだよ。つまり、父の特許の権利がアダとなって、移住の許可が下りなかった」
僕
「価値あるものが、逆に自分たちを苦しめてしまうことになったって、それは残念やね」
ハンガリー人の友人
「そうやって僕たち家族は、いつハンガリーへ移住できるだろう、と心待ちにしながら、4年ほどが経った。
そうするうちに、1989年に東西の壁が崩壊して、東欧の社会主義国家が次々に体制崩壊していった。ルーマニアの独裁者だったチャウシェスク大統領が、1989年のクリスマスに処刑されたら、事態が急展開したんだよ。1990年の年明けすぐに、ルーマニア政府からようやく念願の移住の許可が下りたんだ。
それでやっと、マイノリティーではない僕たちの”ホームタウン”である今のハンガリーへ戻れたよ。いやー、ハンガリーへ戻れた時は嬉しかったねえ。当時僕は19歳の頃だった」
僕
「そんなに嬉しいものなの?」
ハンガリー人
「そりゃあ、そうさ。人ってそんなもんだよ」
という彼のファミリー・ヒストリーについて教えてくれた。
ということで、国の領土が変わると、その後100年単位で大きな影響が残る。
ウクライナの未来に思いを馳せると
ところで、また話は戻ってウクライナ情勢について。
今回のロシア侵攻によって、現在はウクライナの東部と南部の一部がロシアの軍事的な支配下にある。
今後、このロシアの支配下にある領土が、ウクライナに戻るのか、ロシアが手に入れるのか。もしくは、ウクライナに戻るけれども、実質的にロシアが影響力を持つ地域になるのか。
そして、その土地には”ウクライナ人”が住むのか、”ロシア人”が住むのか。それか”親ロシアのウクライナ人”が住むことになるのか。更に、彼ら/彼女らはどういう比率になるのか。
今後どのような展開になっていくのかは、僕には分からない。ただ想像するに、こういった今回の変化が、今後100年単位に亘って、現地で生活していた人々やその子孫に対してダイナミックに影響を与えていくのだろうと思う。
個々人に与える影響は、それぞれのケースによって千差万別になって一概には言えないだろう。という状況ではあるものの、ただ、今の段階で願うことは、
これ以上は人命が失われませんように。
家族や友だちが不本意に引き裂かれませんように。
人々が自分で住みたいと思う土地に住めますように。
少なくとも、この3つは願いたい。
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by 世界の人に聞いてみた