なぜメルケル首相は難民受け入れを決断したのか?ドイツ人たちに聞いてみた
世界史を左右するような大きな決断だったのに、その決断の理由についてみんなに聞いてみると、それぞれ違うことを想像していた。
「なぜ?」や「何のために?」を大事にしているドイツ人たち。にも関わらず、この件については、その理由についてみんな違った考えを持っていた。
今日のテーマは、先日書いた記事「ドイツ人たちに移民・難民問題について聞いてみた」のスピンオフのテーマ。2015年のメルケル首相の難民受入れ政策について。
世界に大きな影響を与えた難民受け入れ政策
2015年の晩夏。ハンガリーの首都ブダペストの中央駅に、行くあてもなく溜まっていた大量のシリア難民たち。その難民をドイツが受け入れると宣言した結果、一年間で100万人の難民がドイツに入国。
それによるインパクトは、規模的に「そっとしておく」とか「公然の秘密」では通用しないレベル。先日の記事でも書いたように、それまでは腫れものに触るような話題だったドイツの移民・難民問題に、急速な転機がもたらされた。
大量の難民の流入にともない、ドイツにおいて「行政のパンク」「人々の不公平感の増大」「難民による犯罪」などの要因によって、少しづつ、しかし確実に世論のうねりが巻き起こっていき、「塩を入れ過ぎた塩水のように、混ざり合わなくなってしまった」と表現されるほどの混乱が生まれた。
その混乱を見ていたイギリスでは、ブレグジットの是非を問う国民投票に影響を与え、そしてアメリカでは自国第一主義に影響を与えた。そして今も注目されているヨーロッパでの極右や保護主義の台頭を促すことにもなった。
そんな大きな判断だったのに
それから何年か経ったあとで。僕はフト、そういえばどうしてメルケル首相はそんな大きな決断をしたんだったっけ?と、この重要な転機について自分がしっかり理解できていないことに気が付いた。そこで、周囲のドイツ人同僚たちに聞いてみた(当時はドイツで働いていた)。
僕
「なぜメルケル首相は難民受け入れを判断したの?」
通常、僕の周りの同僚たちはニュースやドキュメンタリーを熱心に見ていて、だいたい国民の間の共通見解を語ってくれる。つまり、重要な話題では同僚たちのだれに聞いても、同じような回答が返ってくる。
でも、この議題については共通理解がほとんどなかった。
唯一、みんなで共通していた理解。それはドイツが経済的に強いこと。たしかに当時はヨーロッパの中で比較してドイツ経済が活況で、難民を受け入れる「経済的な余裕があった」という点。
でも、それ以外の理由を改めて聞いてみると、みんな驚くほどバラバラのことを言っていた。
①ドイツ人女性
「・・・その理由は、本当に分からない。彼女は東ドイツ出身だから、社会主義の『困っている人はみんなで助けよう』という精神から出た行動なのかも」
メルケル首相は社会主義国家の東ドイツで育ち、35才の頃にドイツが統一された。社会主義国家はお互いに助け合って支え合うという思想のもとにつくられた国家なので、そこに原動力があるのでは、という見方だった。
次の同僚も、メルケル首相の個人的な背景に原動力を見い出していた。
②ドイツ人女性
「答えは決まっているでしょ。メルケル首相のお父さんはキリスト教の牧師さんで、その親から教えられた信仰による寛容の心で判断した。え?そうじゃない見方をしている人もいるの?みんなそう思っているって信じていたんだけど」
こちらの同僚は、キリスト教にその原動力を見い出していた。
社会主義の考え方もキリスト教も、日本人とは一般的に馴染みが薄い存在だけれど、彼女たちはこれらメルケル首相の「思想的な背景」に理由があるとみていた。
次は、ドイツ人同僚の男性に移る。興味深いのが、こちらの男性たちは思想的な原動力ではなく、より現実的というか実利的なところに原動力を見い出していた。
③ドイツ人男性
「当時、大量の難民がハンガリーへ入ってきて、行くあてもなく首都のブダペスト駅にたまっていたよね。結局は、そうやって滞留している難民たちをどのような方法によって処理するかというEUの政治上の課題に対して、『経済的に裕福なドイツが受け入れましょう』という解決手段で合意した、ということだったと思ってるんだけど。単純に。思想的な背景は無くて経済状況を考慮した合理性で判断したはず。え、違うの?別の見方をしている人もいるの?」
この男性は技術系で、いつもロジカルなドイツ人らしい答えを返してくれる。彼としては経済状況に応じて、ドイツがその役割を担ったとみていた。
次の男性は営業の人。人の置かれた立場や裏を読む傾向があって、この時も深読みしていた。
④ドイツ人男性
「僕は、メルケル首相個人の政治上の理由と思っている。というのも、その政策を発表する少し前に、メルケル首相はテレビの公開討論会に出たんだ。そこで出演していた少女が、難民としてドイツへ入ってきたけども、受入れ基準を満たさずに本国へ送還されることになっていた。彼女は泣いて自分の窮状をメルケル首相に訴えた。『私はドイツから追い出されるの』って。でもそれに対してメルケル首相はいかにも典型的なドイツ人らしく答えた。『あなたはルールに定められた基準を満たせばドイツに住める。ルールを満たさなければ帰ってもらう。それは仕方ないことだ』って木で鼻をくくったような答え方をした。それがテレビで放映されて、有権者の反感を買ったんだよね。それで彼女は自分のイメージが悪くなってしまったと反省したはず。その個人的なイメージの悪化を挽回しようとして、突然難民受入れを表明した、と僕は見ている」
というように、聞いたら聞いただけ違った見方が返ってくる。世界史に影響を与えるほどの決断だったのに。
ドイツの外から見ると
ここまで読まれて、感じられた人もいるかもしれない。
「あれ?ドイツが難民を受け入れたのって、過去のナチス・ドイツやホロコーストに対する贖罪の意識が動機になっているんじゃないの?」
そう。「ドイツと難民」の話題になると、かなりの確率で言及されるのが、「ドイツにおける過去の歴史を克服する動き」。つまりナチス・ドイツ政府による第二次世界大戦での軍事侵攻やホロコーストの歴史に対する反省の行動である、という趣旨のニュース記事がたくさんみられる。
以下はあくまでも一つの例だけれど、こんな論調が多くみられた。
ニュース記事
「(メルケル首相が)内戦で国を追われた人を受け入れたのは、おそらくかつて無辜のユダヤ人を国から追放し、命まで奪った罪を贖う意識もあったからでしょう」
実は僕も、これらのニュース記事で見られる論調と同じことを考えていた。いや、僕だけではない。当時ドイツで一緒に働いていたスペイン人やバングラデシュ人など、ドイツ人ではない同僚たちと話をすると、彼らも一様に同じ見方をしていた。
つまり、「ドイツは大戦中に、ユダヤ人に対してホロコーストを行ったから、世界中から人種差別の悪いイメージを持たれている。今こそオープンに難民を受け入れて、その悪いイメージを払しょくしよう。大戦での失態を挽回する二度とない機会が来たと考えたはず」と。
でも、この見方をドイツ人に聞いてみると、必ずみんな一様にやんわり否定する。「まあそれも無くはないかも知れないけど、でもそれがメインじゃないよ」って感じで。みんな、同じような表情で同じようなことを言っていた。
これこそが、以前の記事で書いたこと。ドイツ人的には終戦後に、ナチス・ドイツは決して許してはいけない絶対悪と位置付けて、既に切り捨てている。だからナチス・ドイツやホロコーストは、現代の自分たちとは繋がっていない存在。現代のドイツ人たちのスタンスは、あくまでも「過去に一部のドイツ人たちが民族差別という悪事をおこなったが、後世の自分たちドイツ人はその過ちを決して容認せず、異なる民族に助けの手を差し伸べて世界の融和に貢献する人たち」と位置付けている。
だから第二次世界大戦のことを持ち出しても、「それが中心じゃない」という回答が返ってくる。ドイツ社会として、そのような位置づけにしているという意思を感じた。
このように、僕たち外国人からの見え方と当のドイツ人たちの感覚には、大きな乖離があった。良いとか悪いとかいう問題ではなく、戦争という大きな出来事を消化していく際には、そのような過程を経るようだ。
だからこそ、まだ戦争の痕跡が社会に残る戦後100年間くらいは、みんなが意思を持って過去を克服する努力が必要なのかもしれない。
まとめ
いかがだったでしょうか、今回の「なぜメルケル首相は2015年に難民受け入れを判断したのか?」というテーマにまつわる話。
実際にあの大きな判断をしたメルケル首相ご本人は、いったいどのような心境だったのだろうか。思想的な背景が大きかったのか、それとも現実的な判断だったのか。もしくは、第二次世界大戦の歴史の克服に向けた大いなる挑戦だったのか。それぞれの要素が、どれくらいの割合で混ざっていたのだろうか。
政府としての公式見解とは別に、いつかご本人に、ご自身の心の奥も見つめながらじっくりと語ってもらいたいところ。
by 世界の人に聞いてみた