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ラマダンについてイスラム教徒に聞いてみた

【バングラデシュ人女性に最近聞いてみた話】

いわゆる9.11と呼ばれるアメリカの同時多発テロから、先週末で20年。テロはイスラム過激派によるアメリカへの攻撃だった。

けど、一方でよく一般的に言われているように、大半のイスラム教徒(ムスリム)はごく穏健。そしてイスラム教の国を旅行すると、人々のやさしさに心を強く打たれる。

そこでムスリムの友人に、イスラム教の考え方について聞いてみた。

話を聞く切り口としては、とっつきやすい「ラマダン期間中の断食」について。これはムスリムにとって重要な行事で、ラマダン期間中の約1ヶ月間は、日の出から日没まで基本的に水と食事を口にしない

話を聞いた相手は、友人のバングラデシュ人女性(理系大学院生、20才台)。彼女はバングラデシュで生まれ育って、大学院に入学する時にドイツにやってきた(*僕もドイツに住んでいます)。そんなムスリムの彼女に、ラマダンを切り口にイスラム教の考え方について詳しく聞いてみた。

ラマダンについて

バングラデシュ人女性
「ラマダン期間中のムスリムは、基本的に日が出ている時は食べ物や飲み物を口にしない。正確に言うと、喉の中を何も通さないことを指しているの。だから私も、歯磨きしている間にうっかりと水が喉を通ってしまわないように、とても注意して歯を磨いていた。ラマダン期間中の断食は基本的にムスリム全員が行うものだけど、例えば病気の人や妊婦などは、望まなければやらなくてもいい


「子どもの時からやってたの?」

バングラデシュ人女性
「やってたよ。でも子どものときは辛かったなぁ。一回失神してしまったこともあった。でもね、子どもって、うっかりラマダン期間ってことを忘れちゃうときがあるのよねー。何も考えずに水を飲んでしまって。飲んでから『しまった!』と思って周りを見渡して、誰もいなくてホッとしたこともあったんだ」


「でも、アラーは全てお見通しだから、人に見られるかどうかは、関係ないんじゃないの?」

バングラデシュ人女性
「ふふ、それはその通り。でもね、うちは母が厳しかったから。『もし母に見られたら、どれだけ怒られることか!』って恐れていた。とにかく母に見られたかどうかで頭がいっぱいだったのよね」

ヨーロッパでのラマダン

バングラデシュ人女性
「で、大学院に入学するためにドイツに来て、最初の年は同じようにやってみた。でもドイツで実際にやってみると、夏は日が長くて、空気も乾燥してるじゃない。それで体調を悪くしてしまってね。だからドイツで断食するのは無理があるって悟って、それで2年目からはやらなくなった。バングラデシュだったらそんなに日が長くないから、できたんだけど」


「バングラデシュで断食する方が楽なの?」

バングラデシュ人女性
「季節によりけりかな。ラマダンの時期って年によって季節がだんだんずれていくんだけど、バングラデシュの場合は、春とか季節が良い時はあんまりつらくない。けど、夏はとても暑いから、夏のラマダンはつらかった。力仕事をしているリキシャ(人力の三輪タクシー)の運転手とか、本当にかわいそう。気を失って倒れる人もいる。しかも、ラマダン時期はみんなが殺気立っているから、喧嘩も起こりやすいし」

ラマダンの目的は


「ところでラマダン期間の断食って、食べ物や飲み物のありがたみを感じるためにあるのかな?」

バングラデシュ人女性
「うーん、ちょっと違うんだよねー。まず、断食をおこなう直接的な理由は、ムスリムが行うべき5つの行動の柱の一つにあるから。5つの行動とは、

『信仰告白
『礼拝』
『喜捨
(貧しい人への施し)
『断食』
『メッカ巡礼』

でね、断食する目的は『喜捨』と密接に結びついている。貧しくて食べ物や飲み物が充分にない人たちの気持ちが分かるようになることが大事なんだ。イスラム教の教えでは、お金持ちも貧乏な人も、その状態はあくまでも変わりゆく人生の段階の暫定的な状態。貧乏な人はまた良い状態に変わっていくし、お金持ちもいずれ貧しくなっていく。だから、お金のあるなしによって人を侮ったりしてはいけない。みんな平等な存在なんだ、と。いずれ自分もそうなるんだから。そういった貧しい人たちの気持ちが分かるようになるのが、断食を行う目的


「なるほど、食べ物のありがたみを感じるためではなく、人の気持ちが分かるように、ってことやってんね。ところで『喜捨』って話では聞くけれど、本当にやってるんやね。具体的には、どうやって貧しい人に施しをするの?」

バングラデシュ人女性
「喜捨って『自分の財産の一部を他人に分け与える』こと。例えば路上の人たちにお金を渡すこともあるけど、でも一番多いのは、自分の知っている貧しい人たちに財産の一部を分け与えることだね。例えば地域にいる貧しい知り合いだったり、職場にいる知り合いだったり


「へー、そういう施しをしていたら、『自分も社会を支えている』とか、『自分も社会の良き一員だ』っていう感覚が得られるね」

バングラデシュ人女性
「そう。そしてラマダン中は、人の悪口を言ったり、汚い言葉を使ったり、悪いことを考えたりするべきでないとされている。心を静かに落ち着けて、貧しい人たちのことに思いを馳せる。瞑想の一種みたいな側面もあるんだ」

別のバングラデシュ人男性も

それとは別に、ドイツに住んでいる別のバングラデシュ人男性の友人と先日メールをしていたら、彼も似たことを書いていた。

バングラデシュ人男性(40才くらい)
「ラマダンで何が辛いかって、断食の方じゃないんだ。それよりも『内なる断食』、つまり悪いことをしたり、悪い言葉を使ったり、悪いことを考えてはいけない。食べたり飲んだりできないよりも、こっちの方がよっぽど辛い思いをするよ。ヘヘ」

ということで、話を聞けば聞くほど、考え方として現代にも通用する、よくできた風習だなあ、と思った。

話を聞いて思ったこと

イスラム過激派のテロのニュースって、ショッキングで耳目を集める話題だから、ニュースになるのは分かる。でも、過激派とか国際情勢といった話は、あくまでも「応用問題」のように見える。

応用問題に注目する前に、まずはそもそもイスラムってどういう考え方なのか、といった基本的な点について、みんなが理解を深めることに意味があると思うんだけど、どうだろう。

というのも、これは僕がnoteに書いている記事の一貫したテーマと共通している部分でもあって、自分と違う世界観の人たちとじっくり話をして、相手を曲がりなりにも理解できるようになると、そうやって話をした人たちに親近感が湧いてくる。彼ら/彼女らとは、背景となる文化や考え方は大きく違っても、「人としての根本的な部分は、理解可能で自分と似たようなところがある」って思える感覚は、人としてとっても大事なものだと思うから。

そうやって、世界に20億人近くいると言われているムスリムの人たちが、普段何を考えて、何を大事にしながら生活しているのかを、今よりもう少し理解するのって、意味があると思うのと・・・、あと自分としてはそういうことが何より楽しいと思うわけなんですわ。


↓ ところで下の写真は20年ほど前に、かなり硬派なイスラム国家のイエメンで一人旅した時に撮ったもの。現地の子どもが、珍しいアジア人の僕を発見して、おっかなびっくりながらも興味津々で覗き込んできた。子どもの表情はどの国でも変わらんもんやね。

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by 世界の人に聞いてみた

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