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「CULTiVT カルチベート」の旗を掲げました

それは、人生計画。

2022年の10月頃でしたでしょうか。
私は一冊のノートを取り出しまして、ページの中央上部に「ワイン」、右側下部に「菜園」、左側下部に「読み書き」の単語をそれぞれ中くらいの大きさの丸で囲いました。カテゴリー分け。関心事の中で一生の生業にしても良さそうな3カテゴリー。
次にそれぞれの丸をノートいっぱいにふくらんださらに大きな丸でつないで一つの数珠のような図を描きましたら、真ん中の空白に"家族"、"自然"、"調和"、"多様性"、"生命の循環"、"人情"と、言葉を並べます。
"調和"のワードだけが四角い線で囲って強調されていますね。おそらく3つの生業をバランス良く、一つもおろそかにすることなく進めることが大事だと考えてのことだと思います。
そしてページの左上に、やや太字でタイトルを次のように書き足し、私の人生設計図としました。

「カルチベート計画」

カルチベートという言葉はもちろん太宰治の『正義と微笑』の一節から取りました。
ヒトはなぜ勉強しなければならないのか、その理由を説く有名な一節。有名すぎて、そのまま流用するのが恥ずかしいくらいで、躊躇いました。
ですが、それを読んだ当時、約10年前、社会人になりたての私にとって、学ぶということが妙にかっこよくてロマンチックで、勉強する意味だけじゃなく、愛とは何か、ヒトとして生きる意味は何か、みたいなところまで派生するほどに心に響き、腑に落ちる感覚を得られた言葉であるのは間違いなかったのです。

「~前略~
日常の生活に直接役に立たないような勉強こそ、将来、君たちの人格を完成させるのだ。何も自分の知識を誇る必要はない。勉強して、それから、けろりと忘れてもいいんだ。覚えるということが大事なのではなくて、大事なのは、カルチベートされるということなんだ。カルチュアというのは、公式や単語をたくさん暗記《あんき》している事でなくて、心を広く持つという事なんだ。つまり、愛するという事を知る事だ。学生時代に不勉強だった人は、社会に出てからも、かならずむごいエゴイストだ。学問なんて、覚えると同時に忘れてしまってもいいものなんだ。けれども、全部忘れてしまっても、その勉強の訓練の底に一つかみの砂金が残っているものだ。これだ。これが貴いのだ。勉強しなければいかん。そうして、その学問を、生活に無理に直接に役立てようとあせってはいかん。ゆったりと、真にカルチベートされた人間になれ! ~後略~」
出典:太宰治『正義と微笑』

太宰治の言うカルチベートは、英語の動詞cultivate…のはず。

1 〈土地〉を耕す
2 《正式》栽培する
3 《正式》〈品性・才能など〉を磨く、高める、〈人〉を教化する、啓発する
4 《正式》〈愛情・友情など〉を育む、深める
5 〈ひげ〉を生やす
出典:ジーニアス英和大辞典

なんと万能な言葉だろう。人の感情に訴えかけ、独りよがりでなく周囲を巻き込んで、共生することを得意としているような。それまでなんとなく座右の銘みたいな位置づけで存在していたカルチベートという言葉が、「ワイン」「菜園」「読み書き」それぞれを繋ぎ合わせるように、我が人生計画のタイトルにカチッとはまって、それだけで計画が半分成就したような気がしました。

理想の生き方そのもの

CULTiVTカルチベートは、理想の生き方そのもの。
これから世の中がどのように変化したとしても、「ワイン」「菜園」「読み書き」それぞれの生業を通し、私と私の家族の心と体が健康であること、環境に配慮することを目的に生きていくための指針としてCULTiVTカルチベートの旗を掲げます。

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