高校生日記⑧「信じる」と主人公
何年前の年末年始に書いたものです。嫉妬と希望とが入り混じったような、結局諦めているような、そんな感じです。
新年
詐欺やらなんやらと騙し合いが横行する中、信じることの価値が下がり続けている。「信じるより疑え」そういうのがビジネス上のスローガンとなっているように感じる。学校でもしょうもない騙し合いと、それに対する煽り合いと、そこに発生する対価として女子からの信用が買えたりする。信じるのが「バカ」だとされる世界が生まれる。それはそれこそ「ビジネス社会」の反映だったりするのではないだろうか。
いつからだろうか。目の前に転がってきたものに対するファーストチョイスが「信じる」から「疑う」になったのは、いつからだろうか。
いつからだろうか。「信じる」勇気がなくなったのは、いつからだろうか。「疑う」って一歩下がって考えると「逃げ」だったりするんじゃないかな。
「信じる」のデフレは見ていられない。人間の多くは「疑う」に価値を見出している。リスクヘッジとして優秀だから。とはいっても、「疑う」の価値上昇と「信じる」のデフレは結構難しいところがある。例えば、この文章だってそう。自分の思っていることと溢れ出てくる言葉は必ずしも同じではない。というか、だいたい違う。いや、違うわけではないのだ。その言葉を疑って仕方がないのだ。溢れてくる言葉をそのまま文字に起こせば1時間ぐらいでだいたい書ける。昨年頃まではそうやっていた。しかし、その言葉もすら信じられなくなってしまった。丁寧にやっているといえば聞こえはいいが、そんなんじゃ文章は楽しくない。ことばの排出口にいろいろ溜まっている感覚だ。今はその膿みたいなものをなんとか吐き出している最中かな。
表現をした意味からすると出てきたものを信用できないというのははっきり言って表現者としてしんどいし、多分、そこを超える必要があるってことかね。ということはもう一度、信じなければならない、表現者として。でも、それは今の時代に逆行することになる。どれだけどれが大変なことか。
僕は疑うことに目覚めたのは遅い方だった。だから、散々やられた。その分の経験がある。どれだけ時代に逆行することがしんどいことなのか、手を取るようにわかる。出る杭は打たれる。私はもう一度打たれた身だ。いや、一度どこじゃない。幾度に打たれた。気づけば私は変な方向に曲がってしまった。ミスったビスのように。
しかし、折れてはない。
ここまで「信じる」ことと「疑う」ことを書いてきた。
ここで私の「主人公論」を提唱させていただきたい。
私の思う主人公は「信じてやまない」。
私はルフィが羨ましくてしょうがない。彼は自分勝手で、勝手に先走って怪我したり、どうしようもないほど頑固である。現代社会にいたらどうだっただろうか。煙たがられていたのではないか。しかし、彼には人を巻き込む力がある。それは彼の地肩の強さもそうだが、それだけじゃない。自信が信じられないぐらいある。おそらく、負けというものを考えたことがない。その力がゾロを始めとしたあの強力な人材を集めるに至ったし、それが現代人の心まで巻き込むほどの力となっているから、あれだけワンピースという漫画は売れているんだと思う。(これだけ偉そうに語っていますが、私は40巻ぐらいまでしか読んだことがありません。それはいろいろな背景があるのですが、それでも言えるのは40巻でもだいぶ巻き込まれていたし、大きな影響が私に残ったのです。)
そういうやつがおそらくこの世の中には結構いる。
例えば、サッカー選手。日本代表はカタールでスペインとドイツを倒してベスト16まで進んだ。なぜ強豪を倒せたのか。それは選手自身から戦術にまで、ピッチ上に置いてきたものが信じられているからだ。これは悪く言えば洗脳。でもそれがなにかとてつもない力を生み出し、勝った。選手たちは我を忘れていた瞬間があるのではないだろうか。「日本で応援しているサポーター、どんだけいるのかな、このド深夜に」とか思っていることができた人っているのだろうか。逆にそれは才能だけど(でもそういう人が日本にはいないよね)。
例えば、アイドル。日向坂46という私が好きなグループがあるのだが、彼女らは自分のやっていることを信じているし、メンバーを信じているように見える。それがいわゆる結束感を生んでファンに伝わる。そのパワーを作り出すのはすごいことである。だからアイドルグループって若い子を採用するのかもな。でも、「ファンなんてクソ」と思ってるアイドルだっているだろうな。それがいいのかどうかはわからないけど。
言い換えれば、私にとっての主人公は「曲がらないビスを心のなかに持っている人」だ。なんであんな強いビスを作れたのだろうか。
私に矛先を向ける。
絶対に待ち合わせ時間に間に合わないというとき、「間に合わない」と思うし、実際たいてい間に合わない。しかし、絶対にうんこが間に合わないというときは自分の肛門に「間に合うぞ、間に合うから待ってくれ」と囁く。そうやって「間に合う」って自分に言い聞かせていたら間に合ったりする。というかうんこ漏らしたことはないから必ず間に合っているのだ。
部活かなんかで「絶対に勝つ」という気持ちで全力で練習に励み、試合に臨むというチームがいる。そんなチームはそれなりの格上も食える。それが自信となり、さらなる力となる。それでも負けることがある。でもそれがいつかのまた大きな力となる。それは今までよりももう信じられないぐらいの大きな大きな力だ。それを発揮できる場所がその後人生で見つからないかもしれない。でも、それは私のように中途半端に部活をやっている人間より遥かに豊かだと思うし、楽しいと思う。私は試合に怯えながら臨んでしまっているんじゃないだろうか。
毎日遅刻してくるやつがいる。学校に来ないやつがいる。勉強をしないやつがいる。しょうもない悪さをする人がいる。人を殺す人がいる。未来を知らない人がいる。過去を忘れた人がいる。「今」を生きている人がいる。「今ここ」を楽しんでいる人がいる。
一概には言えない。一概には言えない。その中で苦しんでいる人がいるのは十分承知の上で言わせてもらう。
きっとこころのどこかで「どうにかなる」って思ってんだろ。「どうにでもなれ」って思ってんだろ。それすらできずに毎日なんとかして学校に滑り込んでいる俺は一体何なんだ?「どうにかなる」「どうにでもなる」って思う勇気もなくて不登校になりたくてもなれない俺はなんだ?お前らが憎くて憎くてしょうがない。怒りが溢れ出てきそうなほどだ。
おい、お前らが俺は心底羨ましいぞ。なにが社会的に見て正しいとかじゃない。俺はお前らが羨ましいんだよ。
ほんとうにどうにでもなくなったら死ぬんだろ?その勇気は俺にはないよ。嫌味でもなんでもない。俺はできるならそっちに回りたい。死ぬという選択肢を自分の胸ポケットにチャカとして入れておきたい。それすらできない苦しみをわかってくれねえかな。わかんねえよな、主人公さんよ。
しかし、折れてはない。
折れてはいないのだ。
主人公と呼ばれる人間が憎い。何事にもまっすぐで、それ以外の雑音はノイズとしてでしか聞き取れなくて。それがきれいな物語となり、語り草として後世に名を残しちゃったりするんだろ。
僕はナルシストで自意識過剰で自信がなくて素直じゃなくてへなへなだけど、やりたいことだけが目の前に溜まっていく。信じられないほどやりたいことがある。それを一つずつこなせていけたら、俺は絶対おもしろい人生をおくれる。それにはとりあえず、覚悟ぐらいが必要だな。自信なんてないんだから。覚悟が自信を連れてきてくれるんじゃないかな。いつか。しらんけど。
俺は今年一年悩みに悩みまくった。苦しみに苦しみまくった。きっとそれは来年も引き継がれてというか、来年はもっともっともっと大きくなるんじゃないかな。無理して自分のこと信じても失敗することだってある。それがいわゆる背伸びやけど、でも、それだってあるんじゃないか。だって、今やらなかったら、将来できなくなるかも。今のうちに自信を作っておかなきゃいけないのかも。
ただ、自分信じてやるのが自分にあっているのか。自分は主人公でいていいのか、わからない。私は4番ですか?それとも7番セカンドで死んでくんでしょうか。大器じゃないってのはわかる。スター性もないし、人を巻き込む力なんて小さいもんだ。でも、脇役で終わりたくないんだ俺は。主人公を憎んでるのだって自分が主人公になりたいから憎んでるのであって。
葛藤が個々にある。ここにもある。俺は、俺は、表現者として生きていきたい。文を書き、音楽を作り、なにか主人公になりたい。無敵になってみたい。あの部活のみんなと喋っているときの無敵感を、俺は音楽で作り上げてみたい。文で訴えかけてみたい。一生ハンド部のままかもしれない。
俺は7番セカンドで低打率のクリーンナップになりたい。
俺は7番セカンドで4番を作りたい。
神はいない。いないなら、自分が神となる。自分を崇めたいわけでもないし、崇められたくもない。ただ、信じる対象を自分にしてみるって考えたこともなかったからおもしろいかも。
でも、そうしたほうがいいって考えてる小賢しい感じってどうなんだろ。主人公らしくないのかね。あ、でもさ、読み返してみたら全部小賢しいね。小賢しいんだけど、今、ちょっと無敵だったかも。この文章を書いている間。小賢しさにも主人公は眠っているのかも。そう考えたら、主人公がもっとわからなくなるな。
新年あけましておめでとうございます。紅白を尻目にしながら書き始めて年を跨いで今、2時半でございます。いつもの調子です。昨年はさんざん傷つけられた一年でした。今年もそうなると思います。受験の一年。もう逃げたい。でも、逃げていてはつまらないし、楽しくない。そう思っていたけど、この文章だってかけずにいました。主人公云々カンヌン。信じるやら疑うやら。書いていてなかなかしんどかった。自分を見つめ直すのはどこまで行ってもタイト。でも、新年の未明からこうやって一つ潰せたのはいいことなのかもしれません。
これを書いていたせいで、見逃してしまったあちこちオードリーを見て寝ようと思います。ほんとはアーセナルブライトンも見たかったけど、断念。明後日にはドルフィンズのプレーオフをかけた大一番があるので楽しみ。エース・タゴヴァイロワが怪我なのかなんなのか欠場らしいので、いかがなものか。でも、私を初めてのプレーオフに連れてって!頼むから。
2022年12月31日-2023年1月1日
現在
「主人公になりたい」
そう思って生きてきたけど、別にクラスの中心になれることすらなかった。
「主人公になりたい」
そう思ってきたから、どこか他の人を敵対視する感情が芽生えてしまったのかもしれない。
醜いなって思う。でも、ずっと思ってきた感情を「醜いな」で片付けてしまったら、それまでだと思う。なぜなら、一個だけ褒められる箇所があるから。
諦めが悪い。
たくさんの実力を見てきた。たくさんの先頭を見てきた。僕もそうなったことがある。でも、恥ずかしさを拭えなかった。結局、殻の中でずっと収まっている。
それでも、憧れをどこかに捨てられずにいる。
この文章は、僕の中で精神的に一番まいってた時期に書いたものだ。人生で唯一、どこにも居場所を感じられなかった時期だ。辛過ぎて、夜の公園に飛び出して、一人で大声で歌って踊っていた。
あ、ここにも音楽がいる。
何かを信じていたい。宗教がダメというなら、やはり自分を信じる以外無さそうなのだ。
痛いなって思うだろうけど、うるせー
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