ただいま飛行機の中である。イスタンブルから上海浦東空港を目指し、およそ9時間ちょいのフライトの大体半分を過ぎたぐらいだ。 今回ミスったのは持ってきた本が案外すぐに読み終わってしまったということ、そしてトルコ時間で昼発夜12時着というフライトのため全然眠くないということである。 なお、本をもう1冊持ってこれなかったのは、今回機内に持ち込んでいる荷物がサズという楽器だからだ。そのサズのソフトケースについてるポケットに機内に持ち込むもの全部入れなきゃいけなかった。そうしないと
相手に悪意があるのかどうなのかわからないが、どうしても許せない・忘れられない言動がある。みんなもあるよね〜。たまにはそんな話、というかいつもそうであるが。 受験の雰囲気が始まる頃、贅沢と音楽に向き合うことになった。 量より質 最近、学校でも自分の好きな音楽をよく聴く。それで、ちょっと前までハマっていた曲がEmeraldの「ムーンライト」という曲なんだが、だいたい6分半ある。それを聴いていたところ、隣の女子に「6分半もあるの?量より質じゃない?」と言われた。 怒りと
ただ今、キオス島。5時半。真っ暗である。何をやるにしても向いてないこの時間帯にギリシャの離島に放り出された。日本だと高速バスでも客を放り出す時間を考えて、出発の時間を遅らせたりしてスケジュールを組んでくれるのだが、海外ではそんな客向きな話は無い。今日だって4時半には放り出されたし、この前乗った深夜バスも5時半に目的地に着いた。他のスケジュールを見ると深夜3時発のバスがあったり。その思いやりと言うべきかわからないが、そんなものがあるのは日本だけかもしれない。 ただ、悪いこと
何年前の年末年始に書いたものです。嫉妬と希望とが入り混じったような、結局諦めているような、そんな感じです。 新年 詐欺やらなんやらと騙し合いが横行する中、信じることの価値が下がり続けている。「信じるより疑え」そういうのがビジネス上のスローガンとなっているように感じる。学校でもしょうもない騙し合いと、それに対する煽り合いと、そこに発生する対価として女子からの信用が買えたりする。信じるのが「バカ」だとされる世界が生まれる。それはそれこそ「ビジネス社会」の反映だったりするの
文章を書くことにどうも疲れた。思うことはあるし、思想だって積み重なっていくけど、文章に書きたいってなんか思わなくなっていった。多分、目の前でたくさんの才能を見たからだと思う。自分には追いつけないところにすでに行っている人を見て、疲れていたからだと思う。だからと言って、実家帰ってきて、せっかく持ってきたギターもろくに触らずにっていうのはなんとも甘えているというべきか何なのかわからんけど、とりあえず、その人たちが手を出していないであろう文章で俺は自我を取り戻したいってね。
感覚の違いを否定するのではなく、その違いを楽しむことができる大人になりたい。こんなことを言っている時点で人の上に立つ玉じゃないけどさ。 でも、そんなことができるようになるには自分を確立しておかないと違いもわかんないよね。まあ、それは一旦置いといて。 まったくもってわからない 冬休みとなりました。もうクリスマスという感じで、しかしながら未だ彼女は作れず、結局家族とクリスマスを過ごすことになりそうですが、なんとも思いません。嘘です。スラムダンクの映画を一緒に見に行く彼女
この前の「青春とは?」の続きのつもりで書いたんですが、着地点は想像もつかないところになりましたね。まあ、それを楽しみたかったってのがあるんですが。 「普通」に違和感 「普通」って何?という疑問を抱いてから何かそこ知らぬ沼に入り込んでしまったような気がする。 「普通に考えて」「普通にすごい」というフレーズが最近の一つの流行語になっているが、果たしてその「普通」とは一体なんなのか。多分その「普通」の中身を聞くと「単純な形容詞のつもりで」という返答になると思う。だから、「
そういえば、大学入ってもう挫折しました。それも2回も。 なんだろうね、挫折にどこかワクワクしちゃってるのが我ながら気持ち悪いよね。 まだどれくらいの深さの挫折かはわからない。わかる頃にはきっとその谷も埋まっているはず。未来の自分にぶん投げている感覚。
高校生活で一番苦しんだこと、また大学生になった今でも苦しんでいること。単純に言えば自意識過剰なのだが、「単純に言えば」で解決するぐらいなら自意識過剰になんかにならないはず。 どこまでも「定石」が用意されている世の中、多数側が「正しい」とされる世の中、その中に生きづらさを感じる。 日清カップヌードルのCMで「アオハルかよ」シリーズがあった。ああいった映像がテレビで流れることで社会的青春の定義が構築されていく。 中高で、僕は、というか僕がいたクラスでは一度も打ち上げがなか
確か「半分、青い」で「どっち?どっちどっち?」みたいなくだりがあった。それを「なんで?なんでなんで?」ともじって疑問が出た時に遊んでいます。何の報告だよこれ。 疑問 疑問が止まらない。しょうもないことだが、どうしても止まらない。 ここに今、思ってるしょうもない疑問をちょっと書いてみる。 ・なぜパンツはパツパツが良くてユルユルではいけないのか。ちんこが変な方向曲がるじゃないか。ちんこに自由を!! ・棒アイスをフェラみたいにしゃぶりながら食うって至高の食べ方なのになぜ
サボりすぎたせいで書くことがあまりにもたくさんある。別に計画的に書こうとしている訳でもないからなんでもいいちゃいいんだけど、書きたいことを書くためにはその前提、つまり自分の現状まで触れないといけないとわかりにくいはず。誰かに向けて書いてるということもないし、大々的に公開しているわけでもないけど、せっかくならわかりやすい文章を書く練習にしたいじゃん。だから事の経緯まで全部書きてえなって思ってるの。それが足引っ張ってんだけどね。 本当を言うともう新年度。大一。大学生。高校生で
聞いてられない・つまらないことがこの世にはたくさんある。それに対していちいち怒っていたら疲れるに決まってる。でも、我慢ができないことってあるじゃん。 おもしろくない この前、クラスマッチがあった。僕はバスケに出て3ポイントを5本打って全て外して初戦敗退となった。僕がバスケを選ぶ理由は圧倒的に3ポイントを打つためであり、3ポイントをただただ一人で打っているのがめちゃくちゃ楽しいのである。しかし、これだけはずしちゃねえ。練習しないとな。 それで、敗退が早々に決まったが、
高二の夏休みが終わる頃、メンタル的にどうかなっていました。理由は今でもわかりませんが、もうすぐ始まる学校が鬱陶しくて鬱陶しくてしょうがなくてこんなことを書いたのは覚えています。 うちの高校では夏休みが終わった後にすぐテストがあるのですが、その1日目からご飯が喉を通らなくなったのに、学校には行かされて。3日目にもう体調がもたないとなんとか両親に言ったらなんか冷たい反応で。家にいるのが辛くてその日の夜に家から出て、深夜の公園のど真ん中で歌って踊ってました。そうしてないと居場所
1年生の頃書いてたことはあまりにもつまらなかったので、2回目から2年生の時に書いたやつになります。かといってこれがおもしろいかどうかと言われると自信はないけど、まだマシかと思います。 覚悟 僕は将来、どこかで働くことになるのだろうか。例えば、会社とかで。 それがすごく怖い。 会社で働き、「自分」という商品を評価され、金を稼ぐ道具になる。毎日同じ場所に向かい、同じように働き、ただ帰って寝る。それを機械的に繰り返さなくてはいけない日々が10年もしないうちに来ると考えると恐
所詮、中学卒業したばかりの高校生予備軍のの日記である。それも初めてに相応しいような内容ではないとも思う。それでも、温かい目で読んでくださると助かります。読む人がいるかは別問題。 遊びに行った時の話 何を真面目にしゃべればいいのか。自分のやったことの少なさに驚きながら悲しくなる。学校がないと話す内容もなくなる。 では、今日、久しぶりに遊びに行った時の話をしよう。 その1:一人がずっとスマホをいじっていた。そして、そのあと他の友達に「充電ないんだけど、家行っていい?