器の力
忙しすぎてバタバタ続きな日々をすごしていた時、疲れすぎた時、やっと時間ができた静かな朝に自分だけの為に朝ごはんを、その時の気分で器を選んで丁寧に盛り付けし、景色を眺めながらボーっと過ごします。先日の金曜日はそんな日でした。
食事の内容はいつもと同じようなものなのに、それだけですごく贅沢な朝食になります。食べれれば同じだと思う方もいらっしゃると思いますが、器一つでその時間の価値が大きく増します。
通常のご飯の時でも、通常のご飯が何倍も美味しく感じられます。たかが器、されど器。プラスチック皿で食べるのと、陶器やガラスの器で食べるのとでは感じ方が違ってきます。
私の実家は愛知県瀬戸市という陶磁器で有名な場所にあります。小学校での給食の器が文化伝承の為に陶磁器でした。それまで転勤族で他の地の小学校を経験しているのですが、アルミの器でした。アルミから陶磁器の器を経験して、陶磁器で食べる給食の時間がより美味しく感じたのを覚えています。確かその時の教えが、陶磁器は割れ物なので大切に扱うことでした。片付ける時も器をそっと置きます。今思うととても大切な教育だったと感じます。
結婚して子供達が産まれてからは、その教えや経験からか、遊び食べでお皿を掴んで投げたりしなくなる月齢になって以降、もちろん今もですが滅多な事がない限りプラスチックの器を使わないようにしています。
小学生の時、陶磁器で食べる給食が美味しかったこと、小さい子でも割れ物だと知れば大切に扱う事、そして運ぶ時も気をつけながら運んで滅多に割れなかったという記憶があるから。
子供達が1歳から使っているアラビアのムーミンのお皿とマグカップは15年以上使っていますが未だに現役です。
子供用の器でも、割れてもいいを前提に考えず、子供達も器は割れる物という認識を持って扱うことと、器一つで時間が豊かになる事を感じて欲しいと勝手に思っています。
食べて生きていくからこそ、より美味しい時間、少しでも日常にあるその瞬間がテーブルという空間で豊かになる一つが器だと感じています。
#暮らし #エッセイ#器#食の時間
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