短編小説を書きたい男とわたし

「どう伝えようか悩むのよ。短編小説を書こうかなと思ってもアイデアだけが溜まる溜まる。どうにかならんもんかな」
都会の隅っこにあるカフェテラス、隣に座る男が私へ話しかけるように独り言をつぶやく。何故独り言とわかるのか。そりゃそうだ、私はこの男が誰なのか知らないのだ。



数分前。

「は〜い、そこの可愛い子猫ちゃん。今ひとり?隣いい?よいしょっと」
こちらの返答も聞かずに隣に座る男。これがナンパというものか。生まれて初めての体験を今からするのだと思うとやや緊張するが…
どうも納得がいかない。何が子猫ちゃんだ、私はれっきとしたオトナだ。そもそもそんな古臭い言い回しがあるか。私は怒りと呆れの混ざった表情を浮かべつつも、それを悟られないように反対側を向いて無視を始めた。

 陽は高い。テラス席に架かった黄色のパラソルが光を通し、同じ色の影を作っている。果たしてあのパラソルは仕事をしているのだろうか。
 先程から隣のテーブルではビジネスマン風の男が何やら思索にふけって目の前のキーボードを重々しく叩いている。逆隣のテーブルに座る丸眼鏡の女性は原稿用紙を睨みつけてはウンウン唸っている。それぞれがそれぞれ悩んでいるのだろう。

「ねえお姉さん、聞いてる?ちょっと相談事があるんだけどさ、聞いてよ。……え、聞いてくれないの。なら勝手に話すけどさ」
聞いてる。そう、聞いてはいる。聞いた上で無視をしている。

「季節のせいなのかな、爽やかな小話でも書いてみたいなーとか思ってんだよな。その時にしか書けないものとか、その時にしか書こうと思えないものってあるじゃん。どれだけ稚拙な設定であってもさ」
 独り言もここまで来ると清々しい。そんなにアイデアを話したいなら私ではなく向こうにいる女性に話しかけて来れば良いだろう。
 そんな私の冷え切った態度を気にも留めず、次々と男は語る。

「設定自体はすぐ思いつくのよ。今日起きたことを書いておくと10年後それを追体験出来る不思議な日記を手に入れた人とかさ、流した曲の歌詞が現実になる音楽プレーヤーを売る商人とかさ。」
確かに稚拙。突飛な上に安い設定だ。そんなにすぐ思いつくのならそれを発展させていけばいいではないか。何故そのさわり部分だけを言ってくるのだろうか、この男は。そんな物語など私がひっくり返してやろう。

「いや、わかってる。継続する力とか熱意に欠けてるのよ俺は。すぐ飽きちゃうんだな。相手に伝えようと思っててもそれを続けられない。歯痒いよ、本当に。」
同情でも誘っているのだろうか?残念ながら私にそういうものは通じない。見ず知らずの相手に温かい人間味など求めないでいただきたい。
 


 暑さのピークを過ぎたといえどもまだ暑さの残る季節である。昼下がり、照りつける太陽は私達をじっくりと蒸し上げている。
隣のテーブルでは丸眼鏡の女性が怪訝そうな表情でこちらを見ている。無理もない。突然座ってきた男が何度無視されてもめげずに話しかけているのだ。声を掛けるか、店員を呼ぶか、何かしら考えているのだろう。だが話しかけられているこちらだってそれなりに恥ずかしいのだ。できることならば目をそむけていてくれると助かるのだが。

「ねえお姉さん。」
 しかしながらよくもまあここまで無視を貫いているのに飽きもせず話しかけてくるものだ。この男もなかなか人の理から外れた太い神経を持っているではないか。
「背中にゴミついてるよ」
そう言って私の背中に伸ばした手を振り払い、この失礼な男の顔面目掛けて鉄拳をお見舞いする。
いつの間にか頼んでいたであろう男のアイスコーヒーがひっくり返る。しまった。

「……!!痛いなあ…ごめんごめん。驚かせてしまったね。」
そう言って彼は何事もなかったかのように私の腰を撫でた。そう。そこなら良いのだ。
思わず手が出てしまったのは私も驚いたが、急に背中を触って来るのは流石にルール違反ではないか。
…触られ慣れていない。私もまだまだ子猫だったということか。



 昼下がりのカフェテラスの中でアイスコーヒーが宙を舞う。
先刻から昼寝していた猫に一生懸命話しかけていた男が遂に猫から反撃を食らっていた。男は少しだけ驚く表情を見せたものの、すぐにその猫の尻尾あたりを優しく撫でつけてご機嫌をとっていた。
 猫に悩みを相談していたこの男はおそらく私と似た境遇である。私にはなんとなくわかる。手詰まりを迎えた物書きなのだろう。
しかしながら私には先程からその様子を見ていたというアドバンテージがある。

 もしもあの猫が人間のようにモノを感じ、考えていたら。無遠慮に関わってくる有象無象をどういなすのだろうか。
 猫だけに通じる言語なんてものがあるのだろうか。
 興味は尽きない。

 私は丸眼鏡をクイと上げて、やっとこさ湧いてきた創作意欲の波になんとか乗ろうとしていた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?