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80's Magazine Cue

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本来の居場所は90年3月の表参道、キャットストリートあたり。 1965年7月 神奈川県、海の近く生まれ。中森明菜とは18日、小牧ユカとは20日違い。「今は獅子座のあなたに夢中よ」…
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1980年11月 祭りのあと

中学3年の11月中頃、秋が深まり、陽が短くなり、運動部は大会、文化部は発表会/コンクールが終わり、それぞれの部活を引退、盛り上がった文化祭も終わり、放課後が自由になる頃の話。 自由になると言っても、受験生は受験生、家に帰ってひとりで受験勉強するのが心細かったのか、N君、R君ら友達数人と遠回りや寄り道して帰るようになった。『帰りにチャーハン食うぞ!』とか、午後の授業中に手紙が回って来るのだ。 その時に何度か行った中華料理店が印象深い。高級なものではなく、ラーメン屋に毛が生えたと

1980年11月 とても好きさ

秋というと、中学の時、夏休み明け早々、運動会の行進の練習を何度も何度もやらされたイヤな思い出があるのだが、二年に一度の文化祭は、練習を含め楽しかった思い出が残っている。 中3の文化祭は、ライブハウス。教室の窓に暗幕を張り、机を固めて並べ、その上に柔道の畳を乗せ、ステージを作った。 我々のグループは、ブラスバンド部のトランぺッターR君を入れ、この年デビューし大ブレイクした、シャネルズの「ランナウェイ」を歌った。 メンバーの兄貴から借りたグラサン、学ランの襟を内側に折り、ノーカ

1980年10月 Hey Hey We're...

モンキーズ(THE MONKEES)  デイビー・ジョーンズ(Vo)  ピーター・トーク(B)  マイク・ネスミス(G)  ミッキー・ドレンツ(Dr)  (※写真右から) 1980年、中3の秋。山口百恵が芸能界を引退、巨人軍の長嶋監督が解任された10月、たのきん人気に負けじと、空前のモンキーズ・ブームが始まった。 コダックフィルムのテレビコマーシャルで、オールディーズがCMソングに採用され、ママス&パパスの「夢のカリフォルニア(CALIFORNIA DREAMIN')」、ジ

1982年10月 YOUは何しに・・・

高校の修学旅行は、九州(佐賀、長崎、熊本)4泊5日。 一日目の10月7日は、最寄りの駅から京都へこだまで移動、ひかりに乗り換え博多、博多から西鉄バスで佐賀県へという、ほぼ移動で終了という予定。あと、この日は、一風堂が「ザ・ベストテン」に出演するという。大好きな明菜が出るうえに一風堂。それを楽しみに、朝から友達との約束の時間に遅刻(関係ないか)。待ち合わせの場所へ向かう途中の踏切で予期せず捕まったのだ。ひとりで全クラスが集合する駅へ行く羽目になったが、こちらの集合時間には間に合

平成元年初秋

岡村孝子さんの曲をよく聞くようになったのは、社会人になり、バブル絶頂期の東京で働いていた、89年の初秋あたりだった。 遊びに出なかった週末の夜中、部屋の灯りを落として、CDをレンタルしてテープに録音してあった何枚かのアルバムをヘッドホンでよく聞いていた。 "OLの教祖"と言われるとおり、OLの気持ちを歌っていたり、女性が共感する曲が多いのだろうが、人間関係に疲れ、仕事に違和感を感じていたサラリーマンにも響く物があった。 正直、曲を聴いたからといって、前向きになったり、「また

1986年秋 乾いた色の無声映画

♪予感 | 斉藤由貴 作詩:斉藤由貴 作曲:亀井登志夫 編曲:武部聡志 1986年10月リリース アルバム「チャイム」収録 斉藤さん(*斉藤由貴をデビュー時からずっとこう呼んでいる)の「予感」という曲がリリース直後から好きで、歌詞の中に出てくる「銀色電車」を、ずっと東急東横線のイメージで聴いていた。 通学にも使っていたし、渋谷へ遊びに行く時も使っていたので、愛着もあったし。 数十年のちに、横浜出身の斉藤さんが『東横線の反町に親戚がいて、子供の頃に・・・』というようなエピソー

1983年8月 主役交代の夏

第65回夏の甲子園、「1983年4月5日」で取り上げた池田高校、大会前の評価では、夏の二連覇、夏春夏三期連続優勝も曇りなしかと思われた。 幕を開けてみると、初戦は大差での勝利だったが、納得いかない内容。3回戦の広島商戦では、水野投手が頭にデッドボールを受けたり、夏の暑さにも苦しんだ。しかしながら、準々決勝中京戦では、野中投手との投げ合いを制し快勝、順当にベスト4進出。 準決勝第一試合、相手は下馬評の決して高くないPL学園。水野は試合前、完封を狙っていたらしい。 しかし、こ

1989年8月 閑古鳥が鳴く外野手が叫ぶ

1987年のドラマ「男女7人秋物語」の劇中で、川崎球場の外野席で待ち合わせをするシーンを覚えている方はいるだろうか? 片岡鶴太郎さん演ずる貞九郎のセッティングで、良介(明石家さんま)、高木(山下真司)の三人が、沖中美樹(岩崎宏美)、島村一枝(手塚理美)、小泉ひかる(岡安由美子)の三人と野球場で待ち合わせをする。面識がないので、男女それぞれのグループが、それらしい三人組を探すというシーン。 ちょっとシチュエーションは違うが、私たちも川崎球場で待ち合わせたことがあるのだよ。 平

80年代微妙飲料見聞録

「勝ち組、負け組」という言葉は好きじゃあないが、前回はいわゆる勝ち組となった、ポカリスエットの話を書いたが、今回は負け組、負け組にもなれなかったかもしれないという話。 生まれては消えてゆくいくつもの新製品、景気がよかった80年代ならではの冒険しすぎ?微妙だった飲み物たち。 チェリーコーク 1985年 (コカ・コーラ社) 好き嫌いがはっきりしそうな味だった。チェリー味がクセになりそうではあるが、漂う薬品感、ケミカル感。しょっちゅう飲みたい味ではなかった。 数年後に廃盤。以

1980年 禁断の青

一時代は、綾瀬はるか、川口春奈、中条あやみなどアイドル女優の登竜門であり、キャンペーンソングも大ヒット、今の時代では、夏は青春ドラマのようなCMとアニメ映画のようなCM、冬は吉田羊と鈴木梨央演ずる親子のCMとその親子が歌うカバーソングも話題になる、ごくごく一般的な飲み物として定着しているポカリスエット。 そのポカリスエットは有名な80年代の発明品で、あの聖子ちゃんと同じく1980年4月1日にデビューしている。 缶ジュース100円の時代に価格は強気の120円(245ml缶)。最

平成元年 真夏の出会い

印象に残っている“夏歌”で毎年聴きたくなる曲がある。 YELL!~16番目の夏~(井上昌己) 1989年リリース。甲子園大会のベンチに入れるメンバーがまだ15人だった頃の曲で、「熱闘甲子園」の挿入歌、地方予選版「速報!甲子園への道」のエンディングテーマ曲だったかな。 私はこの年、社会人一年目。高校野球は休日しか見られないような時期で、それこそ「熱闘甲子園」でチェックする程度だったが、この曲は印象に刻まれ、今でも真夏に沁みるのである。 作詩作曲とも自作ではないのだが、井上

夏の日の少年

夏本番、学生は夏休み真っ最中。夏休みで思い出したのが、高校生の頃、ギターのソフトケースを肩に掛け、アンプをチャリンコや原チャリの荷台にくくりつけて、いそいそとバンドの練習に通った夏休み。普段の練習は、日曜や祝日なんだけど、夏休みは平日も練習できるのだ。 今でこそソコソコの楽器がリーズナブルな値段になってきたし、スタジオも料金も昔とあまり変わってないみたいだけど、私たちの頃ってバンド人口が少ない頃だったし、スタジオとか借りるのも高価で、ライブ前のリハの時に借りるくらいだったの

平成最初の夏

昭和が終わり、平成となった1989年、社会人1年目、バブル絶頂の東京で働いていた。 前年は、晴れ間と激しい通り雨の繰り返しという冷たい夏だったが、この89年から夏の暑さのレベルが変わったのが記憶が残っている。 ビルに囲まれ、風が抜けず、クルマの排気ガス、エアコンの室外機からの熱風がこもった、暑い暑い東京から離れて、涼しい田舎へ行きたいなぁと思いながら、夏休みを待っていた。 実家から通っていたので、待っている人も、帰る田舎もなかったのだが、空想のふるさとの情景や、まだ空き地や遊

1982年7月23日 長崎大水害

1982年7月23日の長崎大水害を違う面から書いてみる。 平成元年、社会人になって初めての職場の飲み会での話。 「高校の修学旅行で長崎に行った時、その年の水害で壊れた眼鏡橋が工事中で見られなかった」という話を長崎出身の先輩M樹さんにしたところ、こんな話になった。 ~M樹先輩の1982年7月23日の話~ 『あぁ、あの水害の日、私、居酒屋で友達と飲んでたんだ・・・』 小雨だった夕方から居酒屋の二階の窓際の席で飲んでいたら、急激に雨が強くなり、雨が止むまで飲み続けようという