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テストがあるからといって勉強しない

先日学力診断テストの試験監督をしていて、ヒマだったので真面目にやっている生徒の数を数えてみた。真面目にやっているというのは、開始後10分を過ぎても問題に取り掛かっている子。やる気のない奴は10分も経たずに寝る。(他の教員にバレたら「真面目にやれ」って言われる案件ですね。ごめんなさい。)

数えてみると、大体クラスの30%程度が真面目に受けていた。普段教えていても、そのくらいの人数が体感として文章も読めて真面目に勉強しようとする割合なので予想と同じ。逆に言うと70%は文章があまり読めなかったり、授業を真面目に受けなかったり、ただ存在していることになる。その中の多くは小学生の頃に学習でつまづいていて、そこから何がわからないかわからない状態で今にきていると思う。教員として頭を抱えるのはこの層ではないだろうか。教えても教えても暖簾に腕押し状態で無力感が募る層。

教員の多くはこの層の成績を上げるために対策を取っているが、それでもうまくいっていない。対策としてよくみられるのは「テストを増やす」「進度を上げる」「課題を増やす」だと思う。今チームでやっている教員の一人が「みんなの学力を上げるために毎月テストします!」という方針なのだけれど、正直それでは上がらないと思う。

なぜか? 私もテストがあれば勉強する層だったので以前は上記の教員と同じ考え方だったが、それは全体でも30%ほどの人間だ。教員になるのはこの30%の中からさらに1-5%くらいの割合なので、私を含む選ばれし真面目民は「テストは真面目に受けるもの」と思っている。職員室にいるとそういう考えの人ばかりで何の疑問にも思わないのだろうが、この真面目民は全体で見れば相当少数なのだ。職員室内のエコーチェンバー効果で見えずらいだけで、教員は自分は少数派の人間だと言うことをもっと意識したほうよい。
テストだから勉強する--この「真っ当な(非)常識を持つ少数派」を「不真面目な大多数」に適応させようと思ってもうまくいかない。大多数の生徒はテストをするといっても、
「テストやるんだって」
「うわー勉強してねえ〜やばいっwww」
で終わる。終わんな、と思うけど、マジでそれで終わる。
真面目民たちからすれば、「それじゃダメでしょ」「まともじゃないよ」になるかもしれないのだが、こういう真面目民は少数派なので、逆に私たちが「ああはなりたくない」「なんかいってるけどあいつらどーせ少数派だし」と思われていると思ったほうがいい。

授業の一部は「やらなきゃいけないことをやらない人たち」「できないことはできないままで過ぎるのを待つ人たち」「別に新しいことを知ったからといって何が面白いかわからない人たち」に思考を合わせて設計したほうが、基礎学力を向上させる上では効果的だと思う。学力不振で喘いでいるのはこういう人たちなので、こいつらにテストの数を増やしたからといって見込める効果は少ないだろう。逆にできる人がもっとできるようになるだけだ。

じゃあどんなことをすればいいか? 大多数がテストで点数を取ることにメリットを見出せないなら、ほかのメリットを与えればいいのではないかと思っている。理解できる喜び、世界の見え方が少し変わるおもしろさ、友達と共通の話題ができる楽しさ、勉強すると喜んでくれる先生の反応など。テストそのものを重要視していない人たちへは、別の方法で学ぶことに興味を持たせればいいのではないかというのが今のところの考えだ。なるべく高圧的になるのではなく、生徒側が「仕方ないな〜やってやるか」となる方向に導いていければ、そのうち軽くでも勉強し始めているのではないかと思う。

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