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さくらももこのエッセイ


息子を妊娠中、ホルモンの乱れにより、例に漏れず情緒が不安定になった。何もする気が起きない。夫の一挙一動に過敏になり、この人は子供を望んでいないのではないかなどとばかり考えるようになる。すると、とにかく何かにすがりたくなり、さくらももこの妊娠手記「そういうふうにできている」を手にした。(妊娠中 本 とかなんとか検索して出てきた。)私は読書が苦手なのだが、なぜだかその時は本を読みたくなった。

その頃はちょうどさくらももこが亡くなって間もなく、各書店では追悼フェアと謳ってさくらももこコーナーができていた。さくらももこって、漫画以外にも結構たくさんエッセイ出してたんだなあ。

「そういうふうにできている」が非読書家にもサクサク読めてかなり面白かったので、他のエッセイも次々に読んだ。(そういうふうにできているは他のエッセイとは少々風味が違い、今回再読するとかなり哲学的で感動さえおぼえる良書。)「まるちゃん」そのもののような自虐的かつクスッと笑える独特な文章は、かつてさくらももこは高校生ながら「現代の清少納言」と評されたという逸話がある。



今回「そういうふうにできている」で興味深かったのは、さくらももこなりの「魂・心・脳」の解釈。(妊娠中に読んだ時はあまり脳に処理能力がなく小難しい部分はすっ飛ばして読んでいた。)帝王切開手術での局部麻酔によって、さくらももこはこの三つの違い・関係性がわかったのだという。


先程の8選にはないが、「ひとりずもう」について少し触れてみたいと思う。


こちらはさくらももこの思春期から漫画家デビューまでのちょっとせつない青春物語。私が読んだのは漫画版で、「ちびまる子ちゃん 青春ストーリー」といった感じ。前半では、呑気でぐうたら三昧のももこ。後半ではいつしか漫画家を目指し、挫折も味わいつつ、寝る間も惜しんで漫画を描き、ついにデビューが決まる。同じ頃親友のたまちゃんはアメリカ留学し、お互い別々の道を行くというような描写もあり、素直に夢を見るって素敵だなと思わされる内容。

そして、見逃せないのは父・ヒロシの重要性。まる子のお母さんはアニメでも描かれているように、まる子の顔を見ては小言を言う。ざっとこんな感じ。

「まったくももこはバカだよ。漫画なんて書いたって漫画家になれるわけないのにさ。」

「ももこあんたね、漫画がちょっと入賞したくらいでいい気になってるんじゃないよ。まだデビューしたわけじゃないんだからね。」

「短大行ってる間にあんたもちゃんと就職を考えなよ。漫画家なんかなれっこないんだから。」

「お金貯めて上京しようなんて考えてるんじゃないでしょうねぇ。漫画家になんてなれっこないのに。」
「あんた何回投稿してもデビューできないんだから、もうムリだよあんなもん。目指す方がどうかしてるよ。」

そしてデビューが決まったと自宅に電話がきたとき、
「ちょっとあんた、だまされてるんじゃないのかね。まさかそんなデビューなんて…」

お母さんはもっとも我が子を心配して言っているのであろうが、親にこれだけ小言を言われたら自分の努力など報われないのだろうと諦めてしまいそうである。そしてヒロシがアニメ同様「しょうがねぇさ、ももこはそういう性分なんだからよォ。」と一見呑気だがももこを否定することはしない。

はじめは「そりゃももこも漫画家になれるとは思ってないだろ」とお母さんに同調しつつ、「あたしゃももこが心配なんだよ」と憤慨するお母さんに「おまえ、ももこが結局どうなりゃ安心するんだよ…」「ああそうか、…じゃ心配しろ、それが一番正しいな…」とツッコミを入れる。

さくらももこが母親の言葉に屈せず漫画家への道を諦めなかったのは、父・ヒロシのおかげなのではないかと思う。

まさに「子供をのびのび育てる」とはこれじゃなかろうか。ちょうど今日、友人と「父親は仕事をして『おはよう』と『おやすみ』を子供に言っていればそれでいい。母親からも父親からも小言を言われると子供が母親がふたりいると勘違いしてしまう」という話題になった。

なるほど今日から夫にはヒロシを見習ってもらおうと思うのであった。


#さくらももこ #ひとりずもう #そういうふうにできている #育児



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