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苦悶の貴女へ、ドクダミを摘みながら。

月坂弦『苦悶の貴女へ、ドクダミを摘みながら。』からhttps://note.mu/ifname_i/n/n7eb6a1a91879

涙がこぼれて、ソファーにちょんぼりと座ったズボンを握りしめても止まりそうにない。外に出てドクダミを摘むことにした。

どうしてそんなにポジティブなの?
どうしてそんなに行動力があるの?
どうしてそんなに楽しそうなの?

と聞かれることがしばしばある。たしかに、相対的に見るとそう見えるのことがあるのかもしれない。そしてたしかに、そういう側面が真実だとも思う。
でも、私はとても弱い。

梅雨の雨が降りしきるより先に、私のすべてが今、霏霏と苦悶している。

何年後か、何十年後か、何百年後かの私へ。
貴女は今まで、弱さについて、つらさについて書くことを、大変苦手としてきているらしい。SNSやブログで書くことは「大丈夫?」という言葉がほしいみたいでできない。将来見返して元気が出ればとメモしている #悩み タグの日記は、コトの記述と、露わにした少し遠慮がちな感情の記述だけで、結局悩んだときに見返すことをしないものになっている。結局、これといったものを残してこなかった。

今のこの霏霏とした苦悶は、大変に結構なものだ。
夜更けに眠りに落ちるまで悶々懇々として、起きてもまだそんな調子だと、たちまち鬱々とまでしてくる。
例の、左胸がキュウーッと縮まる思いがする。苦しい。泣きたくないのに、涙がこぼれてしまう。
とても苦しく、とても情けない。自分が情けなくてたまらない。
この状況から立ち直った後はもうこんな思い、したくないけれど、私は弱いから、何年後かの貴女がこの弱さを克服していなければ、またこんなにも苦しむかもしれない。人間というもの、なかなか変わることはできないでしょう。
だから、少しでも貴女が顔晴れるように、見返せるような代物を書いてみようと思う。きっとはじめての、苦悶についての文章だ。書けるかな。

まっすぐに前を向いた文章、向日葵のように顔をあげて世界を抱擁する文章というのは、通常、いつでも書ける。でも、頼りなく閉じてしまいそうな眼差しを懸命に保ちながらでしか紡げない優しさがある。なんとか生きていようとする、なんとかもがこうとする。なんとか、今日を生きようとする。きっといつだってそうやって毎日を過ごしているのだけれど、それをかるがるとやってのけられないときだから、まっすぐに向き合うことが苦しいときだから、きっと。貴女に届け。

↓(つづき)『苦悶の貴女へ、ドクダミを摘みながら。』https://note.mu/ifname_i/n/n7eb6a1a91879

「月坂弦」です。ここでよくスキを押してくださっていた方々に読んでいただきたい記事をたまにあげようかな、と、いうシリーズです。

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