道徳の罠。いい人で悪い気分より、ただ心地よくいる方が良い。

noteを書いてるクリエイターにも、どうやら、私と同じ感じの人が沢山いるようです。

スピリチュアル実行でどうなるか、人体実験ね。

世間に良く在る、道徳的な鏡の法則や引き寄せの間違いも、スピリチュアル的な物の味方を混乱させているってのも、本当にそう思う。(リンクのやり方が分からないけど、どなたかが書いてました。)

宇宙は、もっと、本当にシンプル。

心の周波数を反射するだけです。


道徳では。。。

1・良い事をしたら、良い事が帰ってくる。悪い事をしたら悪い事が帰ってくる。

2・自己犠牲は尊い。

3・人生は修行だ。修行は尊い。辛い思いしなきゃ一人前になれない。

4・辛い努力は報われる。

あと何だろう。分かんないけど、良さそうな観念がいっぱい入ってます。

日常でそうゆう人をほめたり、ドラマが面白かったり。創作ドラマの中では報われてたり。

でも嘘ばっかですよね。報われないですよね。

何が間違ってるかって、どうして、望む結果が出ないかって、道徳的格言的なことは、現実の行動だけ見ていて、心の周波数をみてないからです。

例えば、その時の、自己犠牲が、喜びに溢れていればいいんだろうけど、私のは、自己卑下が根底に在りました。私なんかは、どうでもいい人間なので我慢すればいいので泥水かぶって黙ってます。それで丸く収まってみんな幸せなら。みんなが大事なので。。。みたいな。その結果、どうなるって、ゴミ扱いされて最後には捨てられます。

え?自己犠牲って犠牲になっておわり?何が尊いん?なんで自己犠牲の精神世間でほめてるん?てなもんです。

みんなのために我慢したら幸せになれるんじゃないん?いい事してるから、いいこと帰ってくるって聞いたよ?みたいな。

違います。

みんなのために犠牲になるために、「私なんか」という自己卑下を使ったので「私なんか」と感じる現実しか反射しません。そして、その反射した現実に、ひどい!!って反応して、なんでこんな目に!!って発したので反射されます。なんでこんな目にって感じる現実が次、来ます。のスパイラルです。

自分の体感している周波数だけに注意しましょう。

行動は、どの周波数でやってるかだけが問題です。「あなたが大好きー」ってだけ体感しながら「お前アホだな」って言っても多分大丈夫みたいなことです笑。心の片隅に、大丈夫かな?って疑いがあったら大丈夫を疑う結果になります笑

自分の人生分析したくなりますね。

しなくていい、てか、しない方がいいかもしれないけど。

そのとき、周波数出してしまうんでね。うらみつらみ。。。私は分析しまくりました。そして、分析では袋小路でしかなくて、変化は、気付きか来るって言うのは、ほんとかも。と思ってます。

とにかく、そのスパイラルから抜けるには、現実に反応して、嫌な気分で居る事をやめて、現実と自分を切り離して、いい気分でいる!コレしか無いです。スピ的には。だいたい長くて3ヶ月で現実は変わって行くそうです。

長!

しかも、本当に良い周波数で存在し続けるって。そこがなかなか。でもさ、ましな方を選ぶ。それでいいと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?