「人生の一冊」として挙げる人も多い本著。
胸打たれるキラーフレーズも多いのだが、わたしは、強制労働中、極度の疲労と空腹で今にも死んでしまいそうなフランクルが、空想の中の妻と会話を始めた時に、場違いな事を考えてしまった。
推し活そのものなのである。
大体のオタクが、極限状態でもないのに、日々このテンションで生きている。
フランクルは、妻とは別々の収容所に送られた。
だから彼女が生きているのか死んでいるのかもわからない。
それでも極限の疲労状態の中、幻の妻は自分に微笑みかけてくれる。会話にこたえてくれる。厳寒の森の中で、監視兵にどやしつけられる現実をよそに、妻は光に包まれてそこにいる。
以前SNSで「推しという言葉が生まれる前は、何と呼んでいたか」という質問に対して、
「命じゃない?」
という回答があった。つまり「あのちゃん推し!」は「百恵命」と同じ意味だったという話である。
なるほど。
推しは命か。