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#23愛を感じた日-CEO窪井

こんにちは、株式会社ctow 窪井です。
最近、「愛」を考えることにハマっています。

「愛」こそが、
人間の居場所であり、
「愛」に生きるのが、
人間だと感じます。

ただ、
具体的に、
実生活のどこに、
愛があるのかと自問すると、
全くわかりません!

恋愛という文脈を超えて、
人間そのものが「愛」だとするならば、
毎日の1分1秒過ぎていく人生も、
全てが「愛」ということになります。

そうなった場合に、
「愛」ってなんだ?と、
わからなくなりました。

そんな日々で、
「これって「愛」のカタチの一つ?」と
思う出来事があったので、
日記に残します。

日本橋のイタリアンで晩御飯を食べていた私

一人で、
色々なところに
行くことが好きな私。

今日は、
会社の近くのイタリアンで、
晩御飯を食べていました。

すると、
20代中盤の女性二人が、
楽しそうにご飯を食べているのに、
気がつきました。

二人は、
表情豊かで、
身振り手振り、
感情の表現も大きくて、
楽しさが溢れていました。

あまりにも
幸せな光景だったので、
しばらく見ていると、
あることに気がつきました!!

「二人とも、声を出していない」

どういうことだろうと、
さらに気になって見ていると、
二人とも手話で会話をしていました。

そして、
注文の際、
女性の一人は、
声を出していたので、

声が出せる女性と、
声が出せない女性の二人が、
食事を楽しんでいるんだと、
気がつきました。

「友達のために、手話を勉強したのかな?」
「二人は手話で、何を話しているのだろう?」

色々なことが、
気になりました。

ただ、
ひたすらに、
二人はお互いの目を見て、
楽しそうに食事を続けていました。

一方、
他の席を見ると、
互いにスマホを見ながら、
食事するカップルがいました。
当然、会話は弾んでいません。

「あの女性二人は、心で会話してる!!」

声が出せるとか、
出せないとか、
今回はそこを言及したい
のではなく、

どんな手段であれ、
心で会話している様子に、
「愛」を感じました。

スマホをいじりながら、
表面的な会話をしていたとしても、
そこに何が生まれるでしょうか。

どんなコミュニケーション手段でも、
目の前の人に集中して、
心で会話している二人は、
とても楽しそうで。

きっと、
今この瞬間が、
二人の思い出になるんだろうな、
10年後もあの日あんな話したねって、
戻れる場所になるんだろうな、
と思いました。

「愛」に生きる。
「愛」こそが居場所。

心で会話する二人を見習い、
愛を持てる人になりたいと、
感じた1日でした。