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真の英雄の統率力

はじめに 今回マンデラの話からそれて、最近感じた事を書きます。

定年退職を経て最近ふと思い起こすことは様々な上司のこと「この人ならついていきたい・どんな激務も乗り越えられる」と感じた上司が何人かいた。ちなみにここでいうのは組織のトップや上層部とかではなく、自分よりも少し上の上司のことである。その人の周りには、「ついてこい」などと言ってなくとも常に部下がついてきて、取り巻きがあった。私もその一人だったが良き経験として真っ先に思い出す。常に最前線で人の上に立つ人、人がついてくる人、人を引っ張っていく人、そうでない人の違いは何なのか?

思うに、だいたいそういう部下たちには好かれていた上司は、その人の同期や上司、上層部にはあまりいい印象ではなかったように思う。私のその上司も、職務上の効率や部下たちの過酷な状況について上司・上層部に意見具申してくれたりした、いわゆる嚙みついてくれていたのだ。ゆえに他部署への異動や転勤などですぐにいなくなってしまったのはそうした行為が原因なのかもしれないとさえ思う。似た話がある、これは私の父から聞いた話だが、父は戦時中陸軍にいて連隊に兵や下士官からも人気のある話の分かる中尉がいたそうだ。軍隊では将校といえばとても怖い存在で話し掛けることなんぞ出来ないもんだったが、なんでもこの中尉はきりっとしていて、それなのに末端の兵隊などに気軽に声を掛けてくれ、困ったことはないか?と気遣ってくれるような将校で戦闘の時もとても頼れる将校であったとのこと。父によると兵隊は就寝前に上官の悪口や噂話などしたもんだが、この中尉の悪い噂など一切聞いたことはなく、むしろ良い話で盛り上がる将校だったのだが、この中尉は後に誰がどう考えても無謀な、ある意味無意味とも思えるような斥候(偵察任務)の指揮を司令部に命じられ、小隊は全滅して戦死したそうである。それを知ったとき父は本当に悔しくて戦友とともに大泣きしたそうだ。階級の分け隔てなく対等に人と接して、亡くなった時大勢の人が泣いてくれる存在。本当に人をひっぱっていける人とはそういう人物なのかもしれない。

部下を思いやる英雄とは

近代史においても、のちに語り継がれる英雄とされるひとたちは様々だが、日本においては山本五十六などが有名で部下の信望が厚く慕うひとが多くいたことはよく知られている。その他にも多くいますが、私が個人的に惹かれる人物は日本海軍空母飛龍に乗艦した山口多聞少将(のちに中将)です。彼もまた部下を想い、人望の厚かった日本の誇れる闘将のひとりです。

日本海軍航空母艦飛龍
山口多聞少将

彼の最後は沈みゆく空母飛龍から部下を退艦させ、自ら残り、加来止男艦長とともに艦と運命を共にしました。己の最後まで部下を思いやるその心意気に胸が熱くなります。 以下Wikより抜粋

山口 多聞(やまぐち たもん、1892年(明治25年)8月17日 - 1942年(昭和17年)6月5日)は、日本の海軍軍人。海兵40期次席・海大24期次席。ミッドウェー海戦において空母飛龍沈没時に戦死。最終階級は海軍中将

「皆が一生懸命努力したけれども、この通り本艦もやられてしまった。力尽きて陛下の艦をここに沈めなければならなくなったことはきわめて残念である。どうかみんなで仇を討ってくれ。ここでお別れする」と告げ、一同水盃をかわし皇居を遥拝し聖寿の万歳を唱え軍艦旗と将旗を降納した。部下は退艦を懇請したが、山口は受け入れなかった。 また浅川正治(飛龍主計長)によれば、二航戦参謀、飛龍副長、飛龍各科長(幹部)は飛龍と共に沈むことを申し出たが、山口と飛龍艦長加来止男大佐は「二人だけでよい」として退去を命じた。各員と握手をかわした時の二人について、浅川は「まるで散歩の途中でさようならをいうように淡々としていた」と回想している。 この時、先任参謀伊藤清六中佐が「何かお別れに戴くものはありませんか」と頼むと、山口は黙って自分の被っていた戦闘帽を渡した。 「飛龍」を雷撃処分した第10駆逐隊司令・阿部俊雄大佐が連合艦隊司令部で証言した事によれば、山口は訓示のあと退艦を願う部下達の制止をふりきり「マスクを被り艦橋に昇られたるが後、再び姿を見せられず」だったという。このあと「飛龍」は第10駆逐隊の駆逐艦「巻雲」に雷撃処分されたがすぐには沈まなかった。翌朝、空母「鳳翔」偵察機が飛龍飛行甲板で帽子をふる生存者を発見、駆逐艦「谷風」が飛龍処分のために派遣されたが、既に「飛龍」は沈没していた。

映画「ミッドウェイ」

この山口少将の最後の戦いを描いた映画で「ミッドウェイ」があり浅野忠信さんが演じています。山口少将役の浅野忠信さんの最後のシーンは涙なくしていられません。 参考まで

統率力と英雄たち

海外においても統率力のある名将といわれる英雄がいる。ドイツのロンメル将軍です。ロンメル将軍といえばいまだに語り継がれる統率力に優れた名将のひとりで、近年日本においても経営学・リーダーシップ論などの項目に出てきたり、過去には雑誌プレジデントの表紙にも登場したことのある英雄です。

ロンメル将軍

ロンメル将軍は常に部下とともに最前線に立ち、そのたぐいまれなる巧みな戦略・戦術を駆使しドイツ軍兵士のみならず敵からも尊敬される将軍であったとのこと

砂漠の戦場にて指揮するロンメル将軍


以下Wikより抜粋

エルヴィン・ヨハネス・オイゲン・ロンメル(ドイツ語: Erwin Johannes Eugen Rommel 発音ⓘ、1891年11月15日 - 1944年10月14日)は、ドイツの陸軍軍人。最終階級は陸軍元帥。

第二次世界大戦のフランスや北アフリカでの戦闘指揮において驚異的な戦果を挙げた、傑出した指揮官として知られる。特に、広大な砂漠に展開された北アフリカ戦線においては、巧みな戦略・戦術によって戦力的に圧倒的優勢なイギリス軍をたびたび翻弄し、「砂漠の狐」の異名で呼ばれる活躍を見せた。その活躍によって、敵対する側のイギリス首相チャーチルが、庶民院における演説で「偉大な将軍と申してよいかと思われます」と異例の賞賛を行うなど高く評価し、第二次世界大戦で戦った将軍の中ではもっとも著名で、世界中から賞賛された

ロンメル将軍はドイツ国民にも人気のある英雄だったが、ヒトラーに対し戦況や和平交渉などについて意見具申したことや、ヒトラー暗殺事件の件でゲシュタポに逮捕されたが、自宅で自決することを許されこの世を去った。


この他にも英雄と称されるアメリカの名将パットン将軍、彼もまたロンメル将軍同様に自ら最前線に立ち、多くの功績を残したが、上層部に疎まれ解任させられ閑職に異動後、自動車事故で他界。

ジョージ・スミス・パットン・ジュニア(George Smith Patton Jr.、1885年11月11日 - 1945年12月21日)は、アメリカの陸軍軍人。陸軍大将。モットーは「大胆不敵であれ!
良くも悪くも軍人らしい軍人だったパットンは必ずしも人気のある指揮官ではなかったが、敬意は払われていた。ほんの些細な事でも軍規を守らなかった将兵には厳しい罰則を課した反面、勇敢に戦った将兵や勇気ある行動を示した将兵の事は過剰なまで褒め上げ、その健闘を称えた。また部下の訓示でも『私を見つけたかったら師団の先頭を走っている戦車まで来い』[3]と言っているように常に前線で指揮を執る事を好んでいた。また彼は部下の将校にもそのような積極的な態度を要求しており、北アフリカに着任してから後方に安全な指揮所を開設しただけでそこから動こうとしない将軍などは容赦なく罷免した。これらの策は功を奏し、パットンの部隊は東から攻め寄せるモントゴメリー将軍の英軍と共に、北アフリカにいるドイツ軍を挟撃し1943年5月までには、ドイツ軍を北アフリカから駆逐した。

アメリカパットン将軍
最前線で指揮するパットン将軍


ドイツのクラウス・フォン・シュタウフェンベルク大佐もまた英雄とされる人物、ドイツの行く末を憂い、ヒトラー暗殺計画を行った人物

クラウス・フォン・シュタウフェンベルク大佐


クラウス・フィリップ・マリア・シェンク・グラーフ(伯爵)・フォン・シュタウフェンベルク(Claus Philipp Maria Schenk Graf von Stauffenberg, 1907年11月15日 - 1944年7月21日)は、ドイツの軍人、貴族。軍における最終階級は参謀大佐(Oberst i.G.)。貴族の爵位は伯爵(Graf)。ドイツ陸軍国内予備軍参謀長を務めていた際の1944年7月20日に、東プロイセンの総統大本営「狼の巣」において総統アドルフ・ヒトラーを時限爆弾によって暗殺する計画を実行したが、ヒトラーは軽傷を負うに留まった。「ヴァルキューレ作戦」発動によるクーデタ計画にも失敗し、7月21日に上官の国内予備軍司令官フリードリヒ・フロム上級大将の命令により逮捕され、銃殺刑に処せられた。現在のドイツ連邦共和国においては、英雄として顕彰されている。


彼らに共通する多くの資質とはなんだろう。人が自然とついてくる才能、人を引っ張っていく才能、それは何だろうか?おそらく共通しているものの一つに振り返れば後ろに大勢の仲間がいた!ということ。それはひと口には言い表せない人にとって大切なものなのかも。だが、上層部や絶対的指導者に意見具申したりすることを快く思わない勢力には抗えないということなのかな。現代の世界でも同じだと思うが、昨今の日本はどうだろう?政治家の代表選や某県の知事などが話題になっているが、本当のリーダーシップが取れる人ですか? そこに絶対的指導者の不都合な真実などありませんか? 本当の英雄を潰しにかかるようなことはありませんか?昔の大本営発表みたいになってませんか?

今の私たちに出来ることは情報を確実に捉えていくこと、通り一遍の情報に惑わされず、見極めること。この人ならついていけると思う人に目を向けることが大切です。特に若い人たちが明るい未来の日本を創っていけることを願っています。


ここまで読んでくれてありがとう


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