大学におけるアクセシビリティやUD研修の取組
大学からの報告もいろいろあった。学内のアクセシビリティをどうやって進めているかといった話から、授業をアクセシブルにするためのUDL(Universal Design for Learning)に関する話も多かった。フィンランドの企業が大学卒業生に対して聞いた結果も面白い。また、もはや定番になってしまった感のある「TeachAccess」チームからも、企業や大学のアクセシビリティ研修についての状況報告があった。
1、大学サイトのアクセシビリティ(ワシントン大学セントルイス校)
大学のWebアクセシビリティ推進に関する報告を行ったのは、ワシントン大学セントルイス校である。淡々と話していたが、内容はかなり濃かった。中規模の地方大学で、全学のWebサイトをアクセシブルにするというプロジェクトだ。それもほとんどお金をかけずに、ファカルティやスタッフの仕事を増やさずにUDにできるか、作成も保守もトレーニングも可能になるか、という話で、他の教育機関や企業にとっても役に立つ内容であった。使っているツールはシンプルにWordPressである。これは、アクセシビリティの機能を最初から備えているので使いやすいのだ。フォームなどはサードパーティのプラグインも使っている。
大学のブランドカラーを適切に守りつつ、カラーリングやコントラストを無理なくカバーする方法を全学で共有する。BOXなどを使ってUDなサイト更新の方法を学内のファカルティ、事務室、ゼミなどで共有する。アクセシビリティに関する情報を、自然に素直にシェアできる方法を編み出している。聞いていて、まったく肩の力が入っていないのが印象的だった。また、デジタルアクセシビリティについて紹介するページを設け、なぜこれが必要か、重要かを全学にわかってもらいながら、研修やメールベースでのサポートも行っているという。日本でもとても使えそうな内容であった。
2,OPTUM レフトシフト 大学でのアクセシビリティ研修
アイルランドの企業OPTUMが出してきた「レフトシフト」というセッションも面白かった。レフトシフトというのは、要するに、デザインの最初、できるだけ左から、UDやアクセシビリティを考えるというときに使われる言葉である。UXやデザインにかかわる人が、全てこの意識を持てば、社会のシステムはもっとずっと使いやすくなり、後からの手直しも不要なため、コストも下がる。ユニバーサルデザインの設計プロセスでは当たり前の概念なのだが、建築や公共交通の世界ではかなり普及してきたものの、情報システムの分野では、まだ世界各国で常識になっているとはいいがたい。アイルランドのこの会社は、大学や企業へのコンサルを通じてそれを普及している。デザインの上流工程から、という意味のレフトと、できるだけ若いうちから、大学生の時期から、アクセシビリティやユニバーサルデザインを前提とする、という意味の、二重のレフトシフトである。
アイルランドの企業に聞き取り調査をしたというデータはかなり詳細だった。WCAGのガイドラインに沿っていないとされた項目で、最大のものはコントラストの低さで80%を超えている。これは私も日本で常々感じていることだ。50%以上がALTテキストの不備やリンク先が空という点である。今はチェッカーが充実してきたのでこのあたりはかなりカバーされてきたと思うのだが、まだまだ理解は足りていないということだろう。
ワークショップで、アクセシブルでないサイトを、アクセシブルに切り替えたらどうなる?という例も見せてくれた。地道な作業だ。
また、大学を卒業して数年後のUX専門家やWebデザイナー、グラフィックデザイナーたちに、大学でアクセシビリティについて研修があったかなどと聞いた結果も面白い。これまで大学などで受けてきたコースの中で、デジタルアクセシビリティについて触れられていたかという問いに対しては、ほぼ半々がいちおう受けたと答えている。だが、内容については、その7割が「ほんの少しだった」というのだ。言葉は伝えても、詳しくはわかっていないということなのだろう。
コース受講者はこのように語っている。「卒業してから、この問題について、自分自身で学ぶ必要性を感じました。デジタルアクセシビリティに関する教育は、デジタルコンテンツにかかわる全てのコースにおいて、必須科目にすべきだと思います。(インタラクションデザイン卒業生、2020)」「UX/UIデザイナーとして働くようになった今、デジタルアクセシビリティは私の仕事の大半を占めています。デザインを行う上で必ず行うべきことです。(グラフィックデザイン卒業生、2021)」
またこのセッションでも、EAAについて触れられていた。アイルランドはEU加盟国なので、この法律の影響下にある。今後はアクセシブルなシステムやアプリ、サービスしか作れないという環境にあって、ニーズはますます増大するとされる。今後は、大学や企業だけでなく、このようなアクセシビリティのコースを、高校にも広げていきたいと語っていた。さらなるレフトシフトである。
3,TeachAccess(GAFAなど企業がファンドする大学のUD教育)
この、アクセシビリティがきちんと学べていないという状態は、本家のアメリカですら同じように見える。この数年、GAFAやMSを始め、多くの米国のIT企業がファンドしてきた「Teach Access」のセッションでも、ニーズと現実のギャップが語られていた。産業界においては、508条やEAAの成立でデジタルアクセシビリティに対するスキルのニーズが高まっているのだが、大学側はそれに見合う人材を供給できていない。そのため企業がアクセシビリティのコースを大学で講義するよう、資金を提供するというものである。アクセシビリティと教育の間のGAPに橋をかける、というのが設立目的だ。ボードメンバーには。かつてWGBHにいたLarry Goldberg、アクセシビリティ専門の弁護士であるLainey Feingold、スタンフォード大のデジタルアクセシビリティ部長のSean Keaganなど、この業界のキーマンたちが揃っている。ICTや情報システム、UI/UXデザインなどの分野で、アクセシビリティを常識の一部として知る卒業生を輩出することが目的である。
ここが行ったアンケートでも、かなりリアルな現実が示されていた。回答を寄せた107の企業、大学、NPOなどはこのように言ったという。
・52%:今のスタッフはアクセシビリティのスキルが全くかほとんどない。
・56%:アクセシビリティのスキルを必要とするコーディネーターを見つけるのはとても難しい、または難しい。
・74%:アクセシビリティスキルを持つ従業員の必要性は、かなりもしくは大幅に増大している。
これをカバーするため、TeachAccessでは、大学にファンドして、新たなコースを設定している。日本でいうなら寄付講座の扱いだろうか。2018年の創立から22年までに、44の大学で2600人の学生が学んだという。
日本では、情報の科目の中にセキュリティはあっても、アクセシビリティが入ることは稀である。UXデザインやWebデザインの専門家集団の会合でも、アクセシビリティを語る人は多くない。508条やEAAのような法制度がないからといって、人口の半分が50代を超える日本で、今後の情報システムがUDでないものばかりになるのは、シニア市民の一人としては、大変残念な気がする。日本では高専でUDを教え始めているようだが、ぜひ多くの大学でUDを教えて欲しいと思う。