あいまいなままで進み続けるコツ
大きな変化や流れがある日々を感じ、自分が何をしたらいいか迷っていて、それでもやったことのない新しいチャレンジしつづけている。
そうしたら、わたしの感覚は以前に比べたら、相当ましだったことに気づいた。
方向性があいまいなままだけれど、「自分自身を生きているなぁ」と思ったのだ。
また、いいことも悪いことも、自分が判断しているなと、わかるようになってるし、それによって「またか自分」だったり、「これぞわたし」だったり
自分自身にくすくす笑えるようになってる。そして、ほんとにたまにアップデートされた、今日はがんばれたよな、褒められるレベルと思うこともある。
簡単な例では、映画に行きたいって思っても、さまざまな調整の面倒くささで、自分のやってみたいを反故にしようとする癖、あった。せっかく沸いたエネルギーを簡単にあきらめるということはよくしていたと思う。
人と関わるのが苦手や、頭で方法を考えつくすことも苦手で、だけれどいつからかエネルギーを感じることは得意かもと、この方法で「まるっとどんなエネルギーを感じてみたいんだろうと」ハートの中で、それから手のひらの中でこねこね感じてみるとかし始めてて。なんか色がついていることやイメージで変換しているような、いままではうまくいかなかったかもしれないけれど、「変換するとしたらこれがいい」みたいにエネルギーとして感じる。
それを行動するとしたら何ができるかな?とアイディアにつなげる。
これを以前は、偶発的にしか使っていなかったのだけど、もしかして方法としてありなんじゃない?って、コツとして公開します。
もやもやした時や、感情が揺さぶられるときも使えます。たとえば、何か悔しいと思ったときは、その感覚を瞬間的にめちゃ大きく感じてるときにしっかり「うううぅ~」ときには両手を握り締めて体をよじって握り締めるかもしれない、それを手のひらで感じなおしてみるみたいな。
ネガティブなことも、こんなに悔しいと感じる自分って、まだまだ体力あるんだなぁとか、愛おしかったりするなぁとか思うこともある。こんなに悔しさを味合わせてくれて、この状況ありがとうと感謝を感じたりして、そういう体験が次々とできてる。べつに、ちぇって思って終わってもいいよ。
でもさ、わたしはそういうわけにはいかない。そうしたいって思えないみたいで。わたしなりに変換できたときに◎って思う。
そんな風に、受け入れることによって、さらに自由な自分になれそうな気がしてきた。これいいことだ、またはこれ悪いことだと、サインがでたときは、当たり前のように、そこはささっとヒーリングに向き合えるとなってきて、、、
対応する、反応するとかいう、つねに自分の外側の力を借りて、仮の人生っていう感じでは生きていられないんじゃないか、って今は思う。
みなさんはどうですか?
ちょっと前に具現化のワークっていのを久しぶりにしてみて、自分からしかけて、その自分の対応力をアップデートしていくことをやってみた。
そんな52日間というのは、まとめて振り返っても日々いろんなことが起きていた。孤独で心がふさぎそうになったこともあったし、無限にひろがっている世界で自分に何ができるのだろうかと落ち込むこともあった。そのたびに、前向きになるほうがいいよ、身体のケアをしたほうがいいよ、お茶にでも行こうかと、大好きな波長の合う人や考え方にであったり、打ち消していた自分のパワーを思い出したりもした。そしてアイディアも降ってきたりして希望も感じることができた。
面白い世界観なのだけど、いまのところ全部「自分を生きている」でしかない、んだな!と。ようやく何かつながりたいと思えるようになってきて。。今なんだか健全な成長をしているような気がする。
具現化のワークは、13日、4サイクルでテーマやお題があるので、一日のスタートにリチュアルしてサポートの石をえらび、毎日のテーマを夜に振り返る。
個人的に、久しぶりに再会した石もあり、やっぱりみんなかわいい仲間。
52日間は長いなと最初は思ったのだけど、習慣化して楽しめた。
石をずらっと並べてみると、後半はなにか軽やかな色味、光が多く感じる。
そう、それからサイクルを完了したときは、お祝いもした。
お友だちとお茶の予定があったので軽く報告させてもらったり、二日にわけて同じご褒美チョコを食べたりと、毎朝生まれかわって昨日の自分、今日の自分と同じようで毎日期待感があって、なんだかおもしろさがあった。
サイクルが完了してすぐに次のサイクルを始めたくなったんだけど、その理由が、ちょっと不安からきてたから、すぐはやめた。何かやるときは、よろこびから始めたらいいし、その不安は別建てにしてちゃちゃっとヒーリングしよう! そのかわりに、祝福としての時間もとれたのだから、と最後にnote投稿やリール動画を作ってみた。
2024年もたのしくいよう・・・