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《冬至参拝③》


〜妙見神社の奥の院 金毘羅チャシの話し〜




国道をさらに東へ進み、まもなく南へ曲がる。

畑を過ぎ、小さな橋を渡り、小さな踏み切りを越えると
大きな真っ白い鳥居が迎える神社がある。

ここは、幕別の金毘羅神社。


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松前藩が入る前の北海道は、蝦夷地といわれ
陸路はほぼなく、大きな川の河口が、
人と人を結ぶ『古潭(コタン』(村)との道の役目を果たしていました。


もともとこの土地に住んでいた、アイヌ民族は
狩猟採集の生活の原始的なイメージがありますが、
自分たちの使う分より多めに食材や毛皮を加工し
商品として『交易』つまり商売に長けていた民族でもあります。

樺太それから北海道、千島列島の全島、
それから本州 の東北北部あたりにも
アイヌ民族が暮らしていたということがわかっています。

そしてアイヌの 暮らしというのは、
「アイヌ人の社会」の中で完結しているわけではなく
多くの民族、北方少数民族、あるいは中国王朝や日本
ロシアともつながりをもつ。こういう暮らしをしていました。



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(写真は巨木をくり抜いて作った舟)




最果ての地のように感じる北海道ですが、
日本地図をぐるっと逆さまに見てみると、
その様子がわかります。

ロシア、樺太、北方領土。そして中国からも 
人々は、冬の凍った海を越えて交易していました。

北方民族から見れば、蝦夷国(北海道)のその先に
日本人(シサム)や 琉球人( ウチナー)、朝鮮人(カウレン)の
暮らす世界があるので、ここは交易の中継地の大きな島です。


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そしてそこには、自然を敬う高い精神性と
すべてのものは神様の化身であると言う
「アミニズム」的な世界観がありました。


中でも十勝は3方を山脈に囲まれ、
肥沃な大地はコロボックルの精霊とアイヌの地であり
カシワやミズナラなどの広葉樹の巨木の立ち並ぶ
深い森に覆われ、沢山の魅力を秘めていました。


400年前には 今の帯広市周辺には、古いアイヌの系統が住み
音更周辺には 北見アイヌの系統、
そして 幕別札内には、石狩から移住した
アイヌの系統が暮らしていたようです。

そんな自然と共存した暮らしから 徐々に変わってきたのは

和人が入植した18世紀頃からで、蝦夷地を任された
松前藩がまず欲しがったのは、当時高級品であった
金と鷹の羽。

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鷹の羽を集めるための「鷹場所」は当時十勝にもあり
川は大切な『道』でした。




現在の幕別町にはヤムワッカ村(幕別市街)、
チロト村(千住)、イカンベツ村(相川地区)
ヘチャロ村(札内地区)、マクウンベツ村(それ以外の地域)の
5村があったそうです。



中でも中心的だったのが、今の金毘羅神社のあたりの古潭。

アイヌの村(古潭)に、和人が住むようになり
次第に内地の信仰が支えとなり 社を建て
人々の生活の中心となっていきました。


幕別の金毘羅神社は、香川県から移住した方達が
明治26年に開拓安全を願って
香川県金刀比羅本宮より神霊を奉持し
隣の猿別山の山頂に祀ったのがはじまりと、割と若い神社です。

そしてその隣の相馬妙見神社も、
福島からのコミュニティが中心となって
心の拠り所として建てられました。



どちらも猿別山の山頂移される前は
もっと古潭に近い、平地にあったのですが
度重なる水害に脅かされ 高台に移されたそうです。

十勝の川が氾濫し、平野一帯が水に浸かった歴史は何度もあります。


(そしてここからが本題なのですが)

皆が参拝する 今の金毘羅神社の裏山の山頂に
奥の院の本殿があるのです。


なぜなら、この山頂は古い 『金毘羅チャシ』にあたり
古潭を見下ろす特別な場所として 祀られてきた聖域。

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『チャシ』とは、何のためにあったのか 今も謎に包まれていますが
16世紀以降に高台作られた 溝のある構造の聖なる場で
「カムイの遊ぶ庭」や「和解(チャランケ)や儀式を司る場」
そして「戦いの砦としての役割」などといわれ
普段の生活の場より格式高い大切なスペースでした。



この『金毘羅チャシ』と、隣の『稲志別チャシ』のラインが
十勝の中心ではないか、、というのが

5年前、とかち麻の会で行った
『十勝白十字プロジェクト』のひとつの答えでした。
(※このプロジェクトについては 後に詳しく紹介させていただきたいと思います。)


(④へつづく)


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(参考資料)

松浦武四郎が安政5(1858)年釧路のチャシを訪れた際に残した記録にはその地の乙名メンカクシ(和名 精一郎)かから聞いた伝説が記されています。
『何処よりかは知 らず一 人の男 夷雲にのり来り此の場所へ下 り、自ら「ヲニシトムシ」といひて此辺りに住ける女の子を妻とし当 所へ城郭を 築 き此 近隣の土人を随ひけるに其 二人の中に 男子二人を産み其 兄は トミカラアイノといひ 其会所元より八丁程南なるハル トル といへるへ城を構へ弟 トミチアイノ,此 の川筋十絵里上のシ ラリウトルといへるへ城を築き之に住し其 辺り よりニシベツ辺り迄を境とし居りけるが其 を聞 て東西の夷人共其処へ下り来て此 辺りの酋長と称して城棚を構へ居る事不法なりとネモロ,ア ツ ケシ,シ ヤリ,ト コロ,ト カチの土人四方八方より申合て此処へ攻来 りし』


面白いことにアイヌの伝説では、全ては神の国から来たカムイなので度々変身したり、雲に乗って現れたり、屋根の煙の窓から空を飛んだりします。


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