その1:広告マンが、畑違いの中小企業再生?
はじめまして。
僕は、長年勤めていた広告会社を早期退職でやめ、
独立して3年のクリエイティブ・ストラテジストです。
それって、何かというと、
広告をはじめとした
様々なコミュニケーションの戦略立案や、
コンサルテーション、
コミュニケーション設計のディレクションなど、
目に見えるコミュニケーションアウトプット、
その背景に存在する黒子的なお仕事です。
このブログでは、そんな僕の本業の話ではなく、
中小企業(規模的には零細企業)の立て直しに
期せずして深く関与することになった
その経緯と奮闘、
そしてその過程で学んだことを、書いていきます。
正直、ここまで足を踏み込むことは
全く予期していませんでした。
て、いうか、そもそも会社の事業再生の話などではなく、
70歳すぎになる叔母が代表を勤める会社、
その事業承継問題を相談されたのが始まりでした。
信頼できる友人を紹介したところ、
とんとん拍子に話が進み、
橋渡し役の僕としては、
スムーズな承継を最大限にサポートする、
そのスタンスでいたのです。
それが、なぜか...
その会社の取締役になって事務所整理に奔走したり、
その企業の有利子負債を整理するために
退職金の一部を貸したり。
それでも善意の債権者から借りている
無利子負債はかなりの額。
これでは、そのまま友人に承継できないので、
資金づくりをどうするか、頭をなやませました。
元顧問弁護士から回収する試みもしました。
高額報酬を取り続けながらも依頼事件を放置していた
中小企業を食い物にする弁護士が実際にいたんです、
ドラマの中だけだけじゃなくて。
でも、その試みはそれはうまくいかず、
そうこうしているうちに
運転資金が枯渇しかけてきたので、
これはもう、僕が資本を注入して
事業の再建を図るしかない、と...
さらに退職金を注ぎ込み、
自らがリスクを背負うことで、
真剣に再建に取り組まなきゃ、と...
ということで、
現在は、僕がこの会社のオーナーになりました。
細かいことはおいおい書こうと思いますが、
既存の株主様には退出していただき、
僕の退職金から捻出した新たな資本金で
再スタートとなりました。
もちろん、これは一時的なこと。
友人に負担なく承継してもらうために、
負債を整理しなきゃなので。
この一連のプロセスに手を貸してくれている
僕の友人の弁護士から、
「おまえにとって、何かいいことあるの?」
と聞かれました。
うーん、いいこと..かぁ…
目の前に重傷の人(しかも知人)が倒れていて、
その人が「私は大丈夫だから、自分の用事を優先して」
と言ったとして
はいそうですか、と通り過ぎることはできないし、
ましてや、
コロナ騒ぎで救急車がずっと来ないとわかっていたら、
その場でなんとかしないと。
そんな気持ちです。
身寄りのいない高齢の叔母が、
負債返済のために自宅を売って、
ご近所付き合いさえも失ってしまうことは、
社会的孤立をうみ、寿命さえも縮めかねず、
あってはならないと、
そんな思いから、
いつの間にか沼にハマりました(意味が違うけど)。
今は事業再生のための体制が整い始めたばかりの段階。
これからが、勝負です。
本業の傍で、絶対に成功させるぞ!
と自身の気持ちを引き締めるためにも、
このブログを書いていこうと思います。
20年前まではかなり収益の出ていたこの会社の生業、
そこから大きな負債を抱えるようになっていった経緯、
そして、僕が絡むようになってから現在までのプロセス、
その過程で学んだビジネスの非条理などを
これから書いていきます。
そこには背任行為あり、
中小企業を食い物にする弁護士の存在あり、
事業継続の大前提でしかいい顔をしないリース会社など、
土曜サスペンス劇場になるようなエピソードが
沢山ありますが、どこまで紹介できるか。
全く同じような経験をされる方は
そうはいないと思いますが、
僕自身、この体験で知的好奇心が更に刺激され、
多くの学びがあったので、
それをシェアすることが、
誰かの何かしらのお役に立てるのではないか、
と期待して、このブログを続けていきます。
次回は、僕が事業再生を手がけることになった
その会社の話を紹介します。
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