その4:橋渡し役から、事業再生の当事者へ
叔母の会社の事業承継問題、
友人に引き継いでもらうことになり、
僕の橋渡し役としての役割は成功、そう思ってました。
その会社が抱えていた有利子負債は、
叔母の所有地を売却でチャラになるはずでしたし。
しかし、
コロナによる土地の価格低下という想定外の事態。
しかも、調べてみたら驚くほどあった隠れ負債。
この局面で、どうやって負債を返済できるか、
いろいろ考えました。
最初に考えた対策が、リバースモーゲージ。
自宅を担保に資金を入手し、
家賃を払い続けて自宅に住み続ける方法。
これは金融に詳しい人に話を聞くと、
一見いい金融サービスに見えるけど、
利率的にはかなり不利で、
正直、おすすめしない、
と言われてしまいました。
しかも、賃貸契約が変わったり、
打ち切りになったりと、そうした可能性もあるし、
賃貸料も結構するはず、と。
だから、金融機関からそのサービスの提供を受けるなら、
僕が叔母の自宅を買い取って貸すことができたら、
それが一番、と。
しかーし、叔母の家を買うなんて、軽ーくいわれても...
自分ちが賃貸で、マイホーム、もってないのに。
僕も妻も親がいながら、親以外の身内に大金を使うのも...
そもそも、そんなことしたら、
自分の将来への蓄えに余裕がなくなってしまうわけで。
こんなことを考えながらも、
その会社の財務諸表を過去にさかのぼって調べました。
すると、またとんでもない発見がありました。
とある法律事務所に、過去20年に渡り、
1億円ほども支払っているのです。
有利子負債とほぼ同額を、
法律事務所に払ってるって、どういうこと?
しかも、その弁護士は、なんでこんなことを?という
善良な弁護士では考えられないことを
いっぱいやらかしていたのです。
この話は長くなるので、
別の機会に書こうと思っていますが、
その異常な状況を把握した段階で、次の手として、
その法律事務所から
お金を返してもらおう、と考えました。
そして、弁護士会に相談し、
紛議調停という手段に出ることを決めました。
そのために、弁護士職務規定を購入して勉強。
紛議調停申請書を苦心して書き上げました。
義憤に駆られての行動ではありますが、
義憤というのはネガティブな感情。
それを資料にまとめるエネルギーは、相当なもの。
夜にやると寝られなくなるので、朝やるようにしたり。
と、まぁ、このことを語ると長くなるので、
ここまでにしておきます。
で、どうだったか。
残念ながら、調停が成立せず、
これによる資金回収の見込みが
残念ながらゼロであることが確定したのです。
(この貴重な体験については、後日書こうと思います)
じゃぁ、どうしたらいいんだ、と、
またスタート地点に逆もどりです。
もうこうなると、叔母の自宅売却しかないのか?
叔母は、「ミノルちゃん、いいのよ、自宅を売って
私は公営住宅にでも入ればいいんだから」と言うのです。
いやいや、絶対それはない。
高齢者を社会から孤立させるようなことは避けないと。
そうなると、事業を再生して負債を返済していく、という、
真っ当なやり方に向き合うしかないのですが、
でも、いまだに負の遺産であるリース代も残る中で、
事業再生のためにまたお金を借りるなんて、
もう勘弁です。
だから、腹を据えて、決めました。
早期退職でいただいた退職金の加算分を、
事業再生に使おう、と。
まるっと家を買うことはできなくても、
有利子負債の整理と、再生のための軍資金として、
退職金の一部を注入することに決めたのです。
30年強も働いた会社を退職した際、
独立してやっていけるか、不安がありましたが、
退職金に加算金が上乗せされたことは
その不安を乗り越える、大きな支えでした。
当面、2〜3年はトライ&エラーができる、と。
で、独立して3年近くたって、退職金は幸に手付かず。
ならば、退職金の加算分を丸っとそのまま
叔母の会社再生のために、有効に使おう、
そう決めました。
この決断は、妻の理解なしには不可能でした。
彼女には、心から感謝しています。
想定もしていなかった、余計なリスクを背負う覚悟を、
彼女は後押ししてくれたのです。
僕の本業はもちろんそのままに、
こうして、叔母の会社の事業再建に
取り組むことになったのです。
友人の会社への事業承継は、負債返済後に後回し。
それまでは、販売委託先として
協力いただくことになりました。
次回は、事業再生のために、
どんなことをやってきたのか、
書いてみようと思います。
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