声のお悩み、結構ありますよね。
ご近所の方で、顔を合わせると、
挨拶をして軽くお話をして
別れたあとに残る
「良いなぁ〜この感じ…」という方がいます。
今考えると何がその「良い感じ」なのか…
言葉は少なくても何か伝わってくるものがあって。
サラリとした粋な方なんですよね。
すごい疲れた日にその方と
たまたまお会いすることがあると、
どこか疲れが軽くなっている。
特に優しい言葉とか、
名言を言ってくれるとか
そういうことではなくて
本音をサッパリと話してくれて、
存在が気持ちの良い方だなぁって思っていました。
疲れているって、憑かれていると同義ですよね。
わたしのツカレをフッと飛ばして
くれるような感じがあるのかな。
この頃は、お会いしても
二言、三言、くらいの会話という
パターンになることが多かった。
昨日、道でまたパッタリ顔を合わせたら
今日はたくさん話しかけてくれた。
ただ、いつもと様子が違って
「歌は、歌は、声は…歌うのは…」
と言葉に詰まっているようで。
わたしは、うんうん、と聞きながら
「歌のことをわたしに聞きたいけれど、恥ずかしいのかな…」なんて思って。
歌うことって、恥ずかしいっていう
感覚の人が多いので、
勝手にそんな風に察して
「歌うことは、好きならできますよ」
とか、
もしかしたら、きっと
こんな事が言いたいのかな、
なんて事を促すような感じで話し出すと
「脳梗塞…やっちゃって…声が、歌うのが…声が…」
と、言葉を出そう出そうとしても
上手くいかない事に戸惑いながら
困ったように笑って
なんとか言葉を伝えようとしてくれた。
全然知らなかった。
そう言えば、前はチャキチャキとしていて
軽やかに話しかけてくれていたのに
この頃はポツリポツリと
言葉が出るような感じで話していたっけ…。
「歌えなく…なっちゃったんだけど…
先生のところに行ったら…出るんですか…」
と、一生懸命声に出してくれた言葉。
わたしには何が伝えられるんだ。
レッスンには脳梗塞になった方も
来てくれていて
どんどん声が出るようになっている事を伝えた。
真剣に聴いてくれて、
その方も何か言いたそうだけど
言葉がなかなか出て来ないのがもどかしそう。
少ししてから、うんうん、とはにかんで
照れたようにその場を去っていった。
わたしは何が伝えられたんだろう…。
◆
そう言えば、その方は
前に顔を合わせた時にも
レッスンのことに興味を持って
話しかけてくれていた。
でも、社交辞令というか
話のタネ的にちょっと話題に出してみたのかなと
思っていたけれど…
わたしが気づかなかっただけで
前から、声と向き合う場を求めていたのかも
しれないな…とか
その方は、というか
わたしの中ではその方のことを
好意的に「おじさん」と呼んでいて、
名前も良く知らないけれど
きっと近所に住んでいるっぽい、
そのおじさんは
話す声がとても品のある方だと感じていた。
言葉は下町っぽい感じで
飾らないし、ぶっきらぼう。
だけど、しっかりと胸に響いている声で。
おじさんは、静けさのある領域を
感じている人なんだなと思っていた。
きっと歌うことが好きだったのに
病後は歌も思うように
歌えなくなったりしているみたいだった。
わたしは、何ができるんだろう。
直接、おじさんに何かできることならば
して差し上げたいとは思うけれど
こちらから誘ったりするのは
何だか気が引けるから
やっぱり、こちらへと
相手が気軽に訪ねて来られるような
場を作りたいなと思った。
かと言って、来てください来てくださいと
お誘いするなんて営業めいているし、
押し売りのように感じさせてしまったら
どちらも良い思いはしないから嫌だ。
わたしには、何ができるんだろう。
わたしは、何がしたいんだろう。
ただ、おじさんと話した時の声は
これまでと変わらずに良い声のままだった。
ということは、
言語領域では障害が起きていても
感覚領域は上手に使えている。
発話する時や歌唱する時の条件として
言語領域、つまり左脳を使うことが
多くを占めていた場合、
これまでのようにはできないだろう。
これまでの脳の使い方とは
まったく違う領域で歌うことで
みるみる回復するだろうと希望的に観ている。
左脳的アプローチではなく
感覚と身体との一致を促していけば。
◆
その日の朝は朝で、SNSでわたしを知り
オンラインレッスンを
何年か前に受けてくださった
遠方の方からかなり長い文章が届いた。
悩みに悩んでいる様子が伺えた。
あれから、長時間かけて大手ボイトレスクールに
通って本格的にを習っているけれど、
その指導法は
「力づくで口を開かなくてはならない」
「思い切りいきむ程に下腹部に力を入れて歌わなければならない」
やがては声枯れに悩み、
言語障害の専門医のところにかかり
スクールでの指導法を伝えると
「ボイトレのせいで障害が起きている」
との診断を受けたのだとか…。
そのような指導法で、壁にぶつかり
「さくらさんはお腹に力を入れて歌っているのですか?」との質問だった。
愕然とした。
身体からヘナヘナと力が抜けていくようだった。
「お腹に力を入れて歌わなくてはならない」
「力づくで口を開かなくてはならない」
その言葉が苦しくて仕方なかった。
もしかしたら、そのやり方や
言葉のイメージにより
上手くできることもあるのかもしれないけれど
それで上手くいかないのなら
それは…違う。ごめんなさい。
一生懸命信じてきたものを否定したくないし
そのひたむきさはリスペクトした上で
それでも、その指導法は違うと思います。
その先生にアドバイスを仰ぐと
「プロの歌手はみんな楽な発声はしていない」
との言葉。
発声にトラブルが起きたら、病院受診を勧められ
「喉が回復するまでスクールを休むように」
と指示されたのだとか…。
それって、どうなんだろう。
わたしの腹の底では
ここぞとばかりに、ちゃぶ台返ししたい思いが
湧き立っていますが。
話は戻り
「お腹に力を入れて歌っていますか?」の質問へは
「わたしはお腹に力を入れて歌っていません」
と、答えた。
この質問者さんは
とにかく力みまくることを
ひたすらにやってきたのであろうと推測したので
わたしは、むしろ必要なのは脱力だと思った。
お腹や胴回りの大きな筋肉が効率良く
動くことを邪魔している無駄な力みを
抜いていくことだ、と。
特に発声を妨げるような
首肩の力みの一切を。
だけど、そんなことを
身体操作としてやろうとしたら
尚更、不自然な緊張が走ってしまう。
だから、身体の使い方の話しをする段階ではなくて、
何よりも先に感覚を呼び覚ますこと。
それだけが最重要。
ボイトレ、というサービス提供をしている所では
そのことに気づかせてくれる場所って
正直、あまり無いと思う。
トレーナーさんとの相性により
自分の感覚が呼び覚まされていったり、
歌うことで何かしらの感覚が目覚めていくことも
あるとは思うけれど
大抵は感覚についてのアプローチはなし。
身体勝負にしてしまっている指導法だし、
指導者自身もそれを信じてやってきたから
悪気はないんだろうけれど
指導者になれるくらいのスキルを得るためには
素地に必ず「感覚」がなければ不可能なのに
そのことに自分でも気づいていないから
その「感覚」についての言及が皆無。
生徒さんがその感覚を使わずに
歌っているのだとしたら
それはもう声出しの「作業」になっている。
その作業を続けたところで、
感覚が育つことは難しい。
作業をした努力によって実るものは
一体なんなんでしょう。
十中八九歌いながら感動の生まれる状態には
なっていないと思うんです。
今回そういった
生の声を聞かせていただいたおかげで
自分は何を伝えられるのか、
何を伝えていきたいのかが
より明確になった出来事でした。
よく、こういった
お悩み相談やアドバイスも求められるので
対面もしくはオンラインで
お伝えできるようにしました。
きっと、少なからず持っている
悩みだったり疑問があると思うんです。
実は誰でも。
Googleやchatgptで解決することも
あると思いますが、
わたしに歌などで悩んでいることがあって
話してみたい方、聞いて欲しい方、
アドバイスが欲しい方、
アドバイスは要らないけれど
わたしと悩みについて話したい方でも大丈夫です。
「声と歌のお悩み相談」から
いろいろ聴かせてください。
どんなことに悩んでいるのかを
教えてもらえたら嬉しいです。
難しいことじゃないんです。
歌うことって。
難しいやり方をこなさなければ
上手く歌えないと思っていたら
難しいと思います。
それらの条件を満たさなければ
上手く歌えたことにならないし、
納得がいかないというマインドが
難しくさせています。
難しさを感じながら歌うのが
好きならば、それはそれでいいんです。
自分の思い通りに歌えていたら
それが自由さを感じることだから。
何を想い、何を感じて歌いたいか。
上手いと思われたいと思いながら歌う歌は
聴いている人へと
「上手いと思われたい歌」が届いています。
たとえ悩んで歌っていたとしても
「悩みながら、違和感を感じて歌っている歌」
「悩んでいるけれど、それを無視して歌う歌」
「悩んでいることを、人にバレないように歌う歌」
などなど
内訳はいろいろあります。
そういった中で
「悩んでいるけど、それすらも歌の原動力にしている歌」というものが
一番力強いものだと思います。
悩みは邪魔なものではなくて
自分に必要なものを気づかせてくれるサイン。
あなたの歌がより一層輝きますように。
【声と歌のお悩み相談】