神さまだった。②
ばあちゃんさえいてくれれば
わたしは大丈夫だった。
日々のいろいろから逃げ込めた。
ばあちゃんちに行けば大丈夫だった。
すりへった自分そのものが回復できた。
なんとかやれそうだ、って思えた。
中学生になっても、変わらず
ばあちゃんちに通った。
そして、わたしが高校生になりたての春。
父が突然逝去。
そこから。
そこからばあちゃんとの縁は
プツリと切れてしまった。
色々あり過ぎて。
要するに、縁を切られちゃったって訳です。
そのようになっても
致し方ない正当な理由もあって。
わたしは、その正当な理由とやらは
聞かされなかった。
だけど中途半端に耳には入ってきていた。
弟は幼いから、可哀想だ、
という理由で、わたしよりも
更に何も知らない。
わたし、15歳。弟11歳。
訳が分からなかった。
なぜ、人から避けられなくてはいけないのか。
突き詰めて突き詰めて
やっと知ることができたのだって
割と最近のことだ。
その理由とやらはここでは
割愛させていただくけれど
残酷すぎる事実を、15歳の自分には
言えなかったであろう
周囲の大人達の気持ちもわかる。
というか
取り扱いようがなかったのだと思う。
だけど、15歳のわたしとしてみたら
父がいなくなったその日から
ばあちゃんは敵になってしまった、という
意味のわからない展開を
どうにも腑に落としようがなかった。
いや、そうじゃない。
ばあちゃんにとっての
敵になってしまったんだ。こちらが。
意味がわからない。
あからさまに避けられる。
さーたん、さーたん、と可愛がってくれていた
叔母さんは、わたしを
害虫でも取り扱うかのようにした。
今、大人になったわたしにだって
その態度は…堪える。
当時、父親を亡くして
母は更に生きるのが辛そうになって、
その上、親戚からこの扱い。
それら全ての理不尽に対して
やり場のない怒りになった。
その怒りの収め方を知らないから
発散するしかなかった。
ばあちゃんのことを
あいつ、と呼ぶようになった。
神さまだったのに。
生きられたのに。
ばあちゃん。
一番の忌むべき存在になってしまった。
言えるだけの汚い言葉で
ばあちゃんを嫌った。もう、呪いだった。
そのくらいしないとやっていけなかった。
どうしても手放したくない愛情なのに
触れることも許されない。
なにしろ、拒絶されているのだ。
それならば。
どうしても手に入れられないのならば
その倍で憎まなくては
突っぱねなくては生きられなかった。
バランスの取りようがなかった。
全力で嫌わなくては生きられない。
ばあちゃんが、もう
ばあちゃんじゃない。
それは、もうつまり
わたしが、もうわたしではなくなったということ。
大人全員、何もかもが敵。
それは、当たり前に支えてくれていた
手足を突然切り落とされたような痛みだった。
その手足を乞い、すがるよりも
自分の残された身体で
這ってでも生きるほかなかった。
そもそも、すがり方も知らなかった。
泣いてもいいなんて知らなかった。
手足なんか要るかよ、って。
消え失せろ、って。
精一杯だった。
そうするしか、なかった。
そうやって這うように生きて
地べたからこの世のすべてを呪った。
アチラ側の人間の誰もが
目も合わせてくれない。
口もきいてくれない。
わたしは、存在してはいけないんだと
肌でわかった。
お寺さんに集まっても
異様な殺伐とした空間。
大人、全員。
全員、敵。
いや、全員がわたしたちを
敵だという雰囲気がひしひしと。
言葉ではない、不気味な空気。
非言語で訴えかけてくる。
骨の髄まで不快でたまらない電気が走る。
15歳。多感な時期だった。
異様な空気に、意味も理由も
何も聞かされていないわたしは
戸惑いこそはしたが
次第に怒りが募っていき
言いたいことがあるなら言えよ
と、叫びだして
そこらじゅうのものをひっくり返して
暴れ回りたくなるのを抑えるのに必死だった。
いや、そんなかっこいいものじゃなかった。
ただただ、すべてが気に入らなかった。
ぶっ壊してやりたかった何もかも。
そもそも、父が亡くなる前から
既におかしな人生だったすべてへの憤り
父の死によってピークを迎えたことで
底知れぬ怒りに震えていた。
無力感と共に。
この状況に黙ってうつむいている
母にも納得がいかなかった。
どうなってんだよ、なんなんだよ、
どいつもこいつも、と。
そこから、人間不信が加速して
大人の目を見れない、口がきけない。
人が怖い。という時代を迎える訳なのですが。
そうして
お母さんを悲しませるな、という
ばあちゃんの教えを破るようになっていった。
でも、あれでよかった。
自分なりには生まれて初めて反抗をして
生き直すことができたからこそよかった。
それまでは、
心では両親を嫌っていたのに
反抗せず良い子をやっていた。
良い子をやっていた、とは言え
決して、良い子ぶっていた訳では無い。
良い人間になりたかった。
どうしても。
自分は良い人間ではなかったから。
わたしは、ただ当たり前に
ばあちゃんの言ってくれたことを守りたかった。
ただ、それだけだった。
さくらは良い子だから。
ばあちゃんの孫だから。
それだけが生きる意味だったから。
わたしは良い子になりたいから
良い人間になりたいから
きっと、ばあちゃんに愛されたいから
必死だった。
当時はそんなこと考えもせず
当たり前にやっていたけれど。
それ故に鬱屈した思い
本当の自分を蔑ろにした怒りが
常に自分の内で暴れ回っていた。
母へ反抗をし始めたことで
その得体のしれない、暴れ回る何かを
自分の内から逃してやったような形になり
あらゆる呪縛を解くことの足掛かりとなった。
祖母の教えを守っていたら
いま現在、この年齢を迎えることは
できなかったと思う。
良い子でなければいけないという
その呪縛から解かれた。
だけど、同時に生きる意味を失っていた。
もう、良い子じゃないから。
もう、ばあちゃんの孫じゃないから。
◆
母も母でかなり変わっていて
わたしはかなり参っていた。
母も、大変な環境で育ったのだから
仕方がないことなんだけど
母と話していると気が狂いそうだった。
たまらなかった。
それでも、一番の理解者にはなりたかった。
母の母になってあげたかった。
でも、持たない。自分が。
ひとつに取りまとめようのない
感情に飲み込まれて
それでも、たすけてという言葉を
使って良いことを知らなかった。
そこから2年後。17歳だった。
わたしの夫、パートナーと出会った。
音楽の専門学校で。
彼のことをPくん、としますね。
当時、お付き合いは
していなかったんですけどね。
仲がとても良かった。
クラスメイトだったので。
全員で3人のクラス。
わたし、Pくん、※ちゃん。
しょっちゅう、みんなで
※ちゃんの家に集まっていた。
当時、わたしに奇跡的にできた彼氏も一緒に。
みんなで、互いの家に行っちゃあ
ワイワイやってた。
みんなが大好きだった。
本当に優しくて良い友達だった。
もう、わたしは家に帰らなくなった。
ケータイの充電も切れっぱなし。
やっと充電ができて
電源を入れると、母から何件も不在着信。
普段ほったらかしなのに
不安、ネガティブで
人をコントロールしようとする
その魂胆のすべてが気に入らなかった。
わたしを心から心配しているのではない。
自分の不安に耐えられないだけだ、と。
だけど、自分でも流石に
家に帰らないことについては
罪悪感で、ものすごく胸を締め付けていた。
放任主義の母ではあったが、
わたしが家に帰らない事を咎めるようになり
泊まりに行かないで
友達をうちに連れてきなさい、
と言うようになった。
そんなこともあったのと同時に
Pくんは上京してから
とんでもない体調不良に見舞われていて
しょっちゅう我が家に来るようになった。
みるみるうちに
母や弟と打ち解けて。
わたし抜きに出掛けたりして。
我が家の死んだ空気の中で
彼はお構いなく輝いていた。
うちの家族にズンズン入ってきた。
無邪気に仲を深めていくPくん。
怖いもの知らずだ、と本気で尊敬した。
私を含め、変わり者家族なんかに。
優しくしてくれた。
人から優しくしてもらった経験の
乏しいうちの家族。母、自分、弟。
暗い家。するのはテレビの音だけ。
父がいなくなろうとも
仲は相変わらず良くはならなかった
不穏な空気漂う家族。
そこにズンズン。だ。彼は。
弟は、小学校以外の人と話す機会など
無かったので、嬉しそうだった。
そしてとても怯えていた。
Pくんに対して
憧れの眼差しで見ていた。
かっこよくて、優しいお兄さん。
お兄さん、怖い…
でも優しい…でも怖い…
でも、でも、でも………と
とまどいながら
みるみるうちに心を開いていった。
内向的だった弟が変わっていった。
弟が、人に心を開いたのって
あれが初めてだった。きっと。
Pくんは弟を本当に可愛がってくれた。
実家にも連れて行ってくれた。
家族でクワガタを取りに連れて行ってくれたり。
東京から来た、小さな男の子。
子どもらしさのない、変わった子。
田舎も、大人の温もりも知らない、
そんな弟にPくんの家族全員で
心から包み込んでくれた。
わたしから、弟がどんな事情の子なのかを
聞いていたこともあって
余計に可愛がってくれたんだと思う。
Pくんの父は
俺を本当のお父さんだと思えよ!
と何度も弟に会う度言ってくれた。
言ってくれている。未だに。
家族みんなで、弟の話を聴いてくれた。
弟は、はじめて人を信じて
はじめて泣かせてもらえた。
ちいさな身体中に、これでもかと詰まっていた
苦しみがはじめて流れ出たと思う。
そのことが、小学生だった幼い弟にとって
どれだけ救いになったか。
のちに、弟は大人になってから
伝えたいことがある、と
わたしに電話をかけてきた。
神妙な声だったから身構えた。
Pくんに代わってほしい、と。
言いたいことは、こうだった。
ずっと言いたかったんだけど
本当にありがとうございました。
俺の命の恩人です、と。
結婚をして、子どもができた弟からの
ずっと伝えたかったという
本当の言葉だった。
事実、本当にその通りだった。
彼も、それだけ危うかった。
弟は、わたしよりも過酷だった。
姉であるわたしにいじめられて、
両親の仲は最悪で。
周囲の大人達に人生を掻き乱されて。
わたしよりも。更に、だ。
自分と同じように、
かなり生きづらい日々を
送ってきた姿が焼き付いている。
わたしと弟とは、成人してから
互いにわかり合おうとしては
ぶつかり合っていたが
ある時、完全に氷解した。
こんなわたしを、こんな人間に対して
姉ちゃんは悪くない、と言い切ってくれた。
俺より姉ちゃんのほうが
キツかったよな、よく生きてきたよな俺たち、
と言ってくれる。そんな弟。
《続きます》