連載小説|恋するシカク 第19話『覚悟』
作:元樹伸
第19話 覚悟
救急車が病院に到着し、手嶋さんは治療室に収容された。同乗していた僕は酷い頭痛と耳鳴りに襲われていて、廊下の椅子に座ったまま動けなくなっていた。
「君も少しベッドで休むか?」
当直の若い先生が来て僕を気遣ってくれた。羽織っている白衣には「研修医」と書かれたバッジが付いていた。
「……すみません、大丈夫です」
「これでおでこを冷やすといいよ」
研修医さんは横に座って小さな保冷材をくれた。
「手嶋さんは大丈夫ですか?」
「発見が早くて出血が少なくてすんだ。お手柄だよ」
「彼女のご両親は?」
「まだ連絡がつかないんだ。君はお友だちかい?」
「手嶋さんは部活の後輩です」
「大変だったね。悪いけど、もう少し一緒にいてもらっていいかな?」
「もちろんです」
彼はとても落ち着いていて、一緒にいると安心感があった。
「それにしても、何であんなことを」
研修医さんが深いため息をついた。
僕は中学時代、ずっと自分が被害者だと思っていた。でも今は違う。紛れもなく加害者だ。自殺に追い込むほど彼女を傷つけた。何よりも最悪なのは、こんな事態になるまで手嶋さんの苦悩に気づけなかったことだ。
「僕のせいなんです」
僕は涙をボロボロ流して泣いていた。
「君は彼女を助けたんだ。よくやったよ」
研修医さんが肩に手を置いて励ましてくれた。やがて廊下の奥から看護師さんが来て、研修医さんを呼んだ。
「先生、ちょっといいですか?」
「どうしたんですか?」
「先ほどの患者さんが病室からいなくなって……」
看護師さんは小声で伝えていたけど、夜の静かな病院内では筒抜けだった。たぶん病室から消えたのは手嶋さんだ。今の彼女は、死に場所を求めているに違いなかった。
僕も中学時代に死にたいと思ったことがあった。学校でいじめられていて、トイレに呼び出されて自慰をするよう強要された。女子も見学している中で自分の手を使って果てた後、汚されたパンツを履きながら死のうと思った。その時、絶望した自分の頭をよぎった場所は、飛び降りることができる学校の屋上だった。
急いで最上階まで駆け上がり屋上への扉を開けて外に出ると、落下防止用の低い金網を隔てたむこう側に手嶋さんがいた。病院着は脱ぎ捨てられ、彼女は下着姿で背中をむけて立っていた。夜空に浮かぶ乾いた月明かりが、血の気がない彼女の肌をさらに青白く際立たせていた。
「手嶋さん、危ないからこっちに戻ってくるんだ」
僕は彼女を刺激しないようにゆっくりと近づいた。手が届きさえすれば、無理やりにでも掴んで引き戻すつもりだった。
「辛い悩みがあるならどんな話でも聞くし、解決するまでずっと協力する。だからお願いだ。絶対に死のうだなんて……そんなこと思わないでくれ!」
「トン先輩」
手嶋さんがゆっくりと振り返った。
「手嶋さん、一緒に帰ろう」
彼女にむかって手を伸ばした。もう少しで掴めると思った時、手嶋さんがぽつりと呟いた。
「私が映画を断らなければ……」
「え?」
「最初から出るって言ってれば……こんなことにならなかったのかな?」
刹那、目の前で彼女が夜空に身を投げた。
「ふざけん……!」
紙一重で手嶋さんの手を掴んだ。でも片腕だけで彼女の体重を支えられるわけがなく、僕の身体は手嶋さんと一緒に宙へと放り出された。
数十メートル下の地面が見えて死を覚悟したその時、誰かの腕が素早く伸びて僕の服を掴み、彼女もろとも強引に屋上へと引き戻した。
つづく
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