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不治の病「人口減少」に、NFTは特効薬となるのか?

はじめまして、村上健太です。宮崎県の椎葉という山深い村で、シェアハウスやキャンプ場を営んでいます。理想とする小さな暮らしを実践すべく東京から移住して7年、自然豊かな地域で穏やかに暮らしていくためには避けては通れないリアルと向き合ってきました。
この村の人たちが、日本三大秘境ともいわれる厳しい自然環境を生き抜いてきた知恵と技、平たく言えば「生きる力」は後世に伝える価値があります。しかし人口減少という病は確実にこの村を蝕み、集落によっては30年後はおろか10年後の存続も危ぶまれるのが現実です。そんな状況を突破するには、かつての常識を発展的に打ち破り、右肩下がりの時代の波を乗りこなし面白がって生きていくことが重要です。都会と田舎は表裏一体、なにも皆がこの秘境の村に定住しなくてもいい。生きる力を受け継ぎ、集落を存続させるべく人口をシェアする新しい村民の形を、NFTというツールを使ってグローバルに展開していけないか。今はそんなことを企んでいます。


日本三大秘境の村

日本のマチュピチュとも呼ばれる風景「仙人の棚田」

僕が暮らすこの村は、日本三大秘境のひとつとされています。宮崎県の北西部、九州中央山地のほぼ真ん中に立地し、村ひとつで淡路島と同じぐらいの広大さがあります。現在の人口は約2300人。村としては多く見えますが、人口密度がたったの5人/km²。九州の山奥にポツンとある、隠れ里のような村です。
宮崎の温暖なイメージとは異なり、気候的には「九州の北海道」と呼ぶ人もいるほど。焼畑や狩猟など、希少な動植物を乱獲しないよう気を配るなどして生活の糧を得る日々の営みが、五穀豊穣を願う神楽などの伝統文化も育んできました。この村で受け継がれてきた伝統的な暮らしは、今後も次世代に継承すべき農業システムとして、国内外で高く評価されています。
とは言え村の人は「なんにもないところだ」と言います。でもそれは、水と緑にあふれ、都会のように手垢にまみれず、余計なものが何もない環境とも言えるわけで、僕はとても気に入っています。

小さなムラの集合体

小さなムラは皆が顔見知り。根気のいる作業もみんなでやれば早いし楽しい!

この村の特徴は、小さなムラの集合体であるということです。自治体としての椎葉村は10の地区で構成され、地区は合わせて91の集落で成り立っています。地元の人でも行ったことのない地区があるというのは珍しくなく、地区によって方言や気質が違ったりして、同じ村でも文化が違うと感じることもあります。個性豊かな集落、つまり小さなムラが集まってひとつの村を形作っているのです。
そんな中で僕が拠点としているのは村の南西部、小崎地区にある川の口という集落です。川遊びもできる源流域とミネラルたっぷりの湧き水に恵まれ、夜には完全な暗闇と静寂に包まれる里山のようなこの環境で、昔ながらの百姓としてマルチな生活技術を身に着けたネイティブ村民たちと移住者が共に暮らしています。
川の口集落では、田舎も都会も単体で成立することはできないことに早くから気付き、「都会と田舎の交差点」をスローガンとする集落営農組織を作って都市部との交流を進めてきました。僕もこの流れに乗って「自給自足2.0」をコンセプトに掲げたシェアハウスを立上げ、都市と農村が日常的に入り交じる汽水域を作り出そうとしています。それは僕がやりたかったことに通じるし、都会からの若者人口を増やすことはこの村の未来のためにもなることだと信じていました。でも、気付いてしまったのです。その程度ではもう間に合わないのだと。

人口減少は不治の病のようなもの

五穀豊穣を願い神様に舞を捧げる神事「神楽」も担い手不足が深刻

人口減少は大きな地域課題である、とは誰もが認めることでしょう。ただ僕は、正直言って人口減少の何が問題なのか、ふわっとしているという印象が当初は拭えませんでした。人口は増え続けるもの、というのはもはや前時代的な幻想だし、人が減るのはそんなに悪いこと?と思っていました。
でも、この村で生きていくと腹を決めたら、その現実がリアリティを持って迫ってくるようになりました。この7年間で村の人口は400人減りました。数字上の話だけでなく、お世話になったのにもうこの世にいない人や、様々な事情で村を去った仲間も少なくありません。
我が川の口集落はまだ踏みとどまっていますが、見通しは同じです。50代はまだ若手と言われるなかで、村の暮らしを支える60代のベテランたちが引退したら一体どうなるのか。消防署がないこの地域の防災を誰が担うのか。草刈りや共同水道の維持管理など、機械化できない作業にどう向き合うのか。補助金など行政に頼るのも限界があり、そもそも人手がなければお金で解決すること自体もできません。
そして何よりも問題は、子どもが少なすぎることです。子どもは未来、とはよく言ったもので、子どもがいない地域では自分たちが死んだ後の未来を想像することは困難です。老いと共に弱気になり、自分たちの代で終わりだという諦めムードが漂い始めます。ウチの地区でも、少子化を理由に小学校が閉校した頃からそんな雰囲気が強くなったと感じます。
人口減少がもたらすもの、それは未来へのあきらめなのだと痛感しています。ちょっと若者が来た程度ではそんな状況を覆すには至らず、もはや焼け石に水です。
それでも、僕はこの村で生きていきたいのです。川の口集落がずっと続いていくことを願っています。
それはどこの馬の骨とも知れない自分を拾ってくれた皆さんへの恩返しというのもありますが、何よりもこの村の自然環境と「自力で愉快に生きるためならなんでもやる」というたくましさを受け継いでいきたい。たとえ人口減少が不治の病のようなものだとしても、座して死を待つのは御免です。その治療の道筋は見えなくとも、とにかくあがき続けるしかない。そんな折に出会ったのが、Nishikigoi NFTデジタル村民という存在です。

デジ村、という希望

とある関係人口創出プログラムのメンバーを空港でお出迎えするの図

デジタル村民(略してデジ村)とは、NFTを参加証のようにして、地域と関わりたい人が仲間になってくれる仕組みだと理解しています。例えば地方創生業界では「関係人口」という概念が定着していますが、僕なりには「顔が見える関係人口」だと捉えています。
関係人口とは、その地域に住んではいないけど関わりを持つ人たちのことです。これまで僕も、その創出拡大の取組みは行ってきましたが、一過性のもので終わる傾向がありました。補助金が付きやすく、瞬間的に新しい風を吹き込むことはできるため、悪く言えば「やった気になりがち」な取組みなのです。地道に土を耕すような作業だと言えば聞こえはいいし実際そうではありますが、ふわふわした顔の見えない存在をいくら増やしても、現場にはびこる未来へのあきらめに影響を及ぼすことはありません。
一方、デジ村の仕組みが頼りになるのは、NFTと紐づけることで関係性に持続性と帰属意識が生まれることです。「顔の見える化」は言うまでもありませんし、移住はできないけどこの地域と関わりたい、という自発性の受け皿にもなります。デジタルだからとオンラインでの関わりだけに閉じる必要はなく、生身での関わりを重ねることで絆や当事者意識が生まれるのはNishikigoi NFTでの取組みが実証しています。
僕はこの村で、移住者としてその存在自体に感謝されることがあります。それはたぶん、ネイティブ村民の皆さんは自分自身とその暮らしを相対化する機会が少ないからです。例えば、稼いだお金で何不自由なく生きてるように見える都会人が、この村に来てその暮らしを羨み、癒やされる様子を見て、自分たちの暮らしの価値を知るわけです。年齢も国籍も、出自も背景も様々なデジタル村民の存在は、必ずネイティブ村民の刺激となります。あきらめていた未来とはまた別の未来を描くきっかけとなり得ます。
子どものように未来そのものとなるのでなく、自立した個人として未来をあきらめさせず、一緒に描く存在となれるのがデジタル村民なのだと思います。子どもは未来、であるならば、デジ村は希望、なのです。

デジタル村民と、秘境の地で挑みたいこと

関係人口とネイティブ村民と大工の棟梁での古民家解体を終えて

デジ村の皆さんと、具体的にやってみたいことはいくつかあります。まずは高校づくり。神山まるごと高専のようなリアルな新しい学校も魅力的ですが、既存の通信制高校の仕組みを応用すれば、時間もお金も必要なハコモノを作らずともこの村に高校(のようなもの)をつくることは可能です。そうすれば流出していた10代後半の若者が定着します。多種多彩なデジタル村民からグローバルを学び、地域に根ざしたネイティブ村民からローカルを学ぶ。通信制でありながら、自宅でなく塾のように一箇所に集まって共に学ぶことで、対面での人間関係や集団生活も養われます。
そして「たくましさの学校」の開設。学びの場作りを通じて、村のマイクロ技術の体系化を目指します。例えばこの村で「水やり」と言えば山から水を引いてくることやそのメンテナンス全般のことを指します。山の水源から長いときは数kmに渡って水を引く作業を、水道業者に任せるのではなく暮し手自身が担います。こうしたマイクロ技術とでも言うべき、口伝で伝えられた知恵と技がこの村での暮らしには点在しています。マイクロ技術の消滅は伝統的な暮らしの消滅に直結します。ここまで脈々と培われてきた技術を、いつでもどこでも学べて蘇らせることのできるように、体系化して残しておきたいのです。
他にも、すべての村民が一体となれる祭り「秘境フェス(仮)」の立上げや、種の保存のようにこの秘境の村で生まれた営みのすべてを記録するデジタルアーカイブプロジェクト、など引き出しはあります。デジタル村民の皆さんからのアイディアも募って、欲しい未来を描き、実現していきたいです。

みんなで作業をやるなら欠かせない、おやつの時間と宴会の様子

未来をぼくらの手のなかに

椎葉のりんごの話、というのがあります。
『2人の幼い兄弟が不揃いのりんごをもらいました。弟は大きなりんごを欲しがりますが、親は身体の大きな兄に大きなりんごを与えました。泣きわめく弟に、兄はそっと、自分の大きなりんごを分けてやるのでした』要約するとそんな話です。
自然界には1つとして同じものはなく、すべてを平等に分けるのは現実的ではありません。そんな中でどうやって公平を成立させるのか。自然の恵みを糧として生きるこの村ならではの親の智慧と兄の優しさを示す寓話だと思います。
今年の元日、能登半島を中心に大地震が起きました。地震ほどではありませんが、この村でも台風や大雨による土砂崩れなどの災害が何度も起きています。災害が起きれば専門業者の助けを待つのが自然なことだと思います。でもこの村は違います。倒木があれば近所の人がチェーンソーを持って集まります。土砂崩れがあれば森や牛舎から重機を走らせます。手持ちの道具と技術を持ち寄って問題を解決する、それがこの村の常識です。たぶん、道路が崩れて村が孤立しても、ヘリで助けに来た自衛隊を自家製のお茶でもてなすぐらいの余裕はあるんじゃないかと思います。
そういう、智慧とか優しさとか災害に負けない強さとか、色々なものを全部ひっくるめてこの村の人はたくましいです。このたくましさに未来がないなんて信じられないし、だったらそれを受け継いで遺していきたい。ただそれは僕一人ではできません。多くの人の力と、関心と、手助けが必要です。
正直に言うと、消費されてしまうことへの恐れもあります。誰も好んで行かないような不便な村だからこそ遺されてきたものを、不特定多数に開くことで荒らしたくはないのです。より多くの人へ向けて世界中に門戸を広げつつ、素顔と気持ちが見える関係性でありたい。不特定ではなく特定多数。多くの人にリーチするための方法は数ある中で、NFTを使ったデジタル村民の仕組みを選んだのはそれが理由です。
人口減少という不治の病に、NFTは特効薬となるかどうか。それはやってみなくては分かりません。ただ、昨日までの古いやり方が砕け散るように通用しなくなる時代です。「それならば今ここで、僕等が何かを始める」しかありません。なり得る、という予感と手応えはあります。厳しい自然の中で、八百万の神様と寄り添うような暮らしで培われてきた逞しい精神性は、これからの右肩下がりの時代を生き抜くスタイルを生み出す鍵となるでしょう。

ポテンシャルしかないこの村の黎明期で、一緒に未来を描きましょう。NFTを通じて、あなたとつながる日を楽しみにしています。

樹齢800年を超えると言われる巨樹「大久保のヒノキ」が向かう未来を見上げて


<最後に、今後の流れについてご説明させていただきます>

Local DAOの新たな地域として発表された椎葉村(宮崎県)及び、天龍峡(長野県)は、「確定」ということではなく、あくまで「候補の決定」という位置づけとなっております。以下のnoteに詳細を書いていますので、こちらもあわせてご覧ください。

今後としましては、4月(予定)に「Local DAO新拠点に関する承認の可否(仮名)」を問うNishikigoi NFT全体のコミュニティ投票が行われます。賛成多数で可決された場合には、今回の次なるLocal DAOの新拠点が確定することとなります。コミュニティ投票の詳細は、Nishikigoi NFT公式Discordコミュニティ及び公式Xアカウントにて随時情報が共有されますので、フォロー等をしていただけたら幸いです。

公式リンク

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