方法としての構築主義
現実に存在していると考えられる対象や現象は、客観的もしくは物理的に存在しているのではなく、人々の認識によって社会的に構築されていると考えることが構築主義であるが、その特徴としては、対象や現象の実体がなくても、人々の認識があれば現実として構築されると考える点で、例えば、好意を寄せる相手をつけまわす行為を「純愛」として人々が認識していれば問題にならないが、それを問題視する人が「問題だ」と認識することで「ストーカー」が社会問題として構築される。 本書は社会構築主義のブームを越え、改めて社会学の経験的探究の方途としての構築主義的アプローチを見直しヴァージョンアップを図る。個別具体的な事象がどのようにして構築されるのか、あるいはされてきたのか、その状況的もしくは歴史的な過程を観察し記述し分析するのに構築主義はどれだけ役立つのかを再検討するチャレンジングな試み。第一部は経験的なフィールドワークにもとずく構築主義で「ひきこもり」や「安心安全」などを題材にしている。第二部は「1960年代のレズビアン」「団地論における個人主義や家族中心主義」などから構築主義を分析していく。