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ここ一か月のこと

私は心が高まったときにnoteを更新するようにしている。自分ひとりの身体だけじゃ受け止めきれないことを世にひっそりと排出している。ペースは月一以上。スマホにも日記をつけているが世に出すようなものではない、と思う。私はnoteに投稿するからには人に伝えたいこと、見てほしいことを書こうと思っている。しかし、それが裏目に出て第三者を意識しまくった極めて気持ちの悪い文章になってしまうときがたまにある。レポーターじゃあるまいし。

先月の投稿から約一か月経った。私は一か月前衝撃の経験をした。

大袈裟かもしれないが人生捨てたもんじゃないと思えた。私はあれから謎の”衝動”が体の中を駆け巡っていた。私も何かしなければ。ここじゃないどこかへいかなければ。昼過ぎに起きて家にひきこもるばかりじゃ何も生まれない。今までも心の奥底で感じていた焦燥感が熱を持った。情熱が私を襲った。違う景色を見たい。
とあるバンドマンは言った。「この曲がきっかけでギターをはじめた」とある芸人は言った。「あのテレビがきっかけで養成所に入った」空気階段の単独ライブをきっかけに人生第二章の幕開けだい!ずっと同じ速度でレールの上を走っていた電車が急にスピードを上げて方向転換するような予想外の展開だった。自分にもちゃんと分岐点が存在していたことに安堵しながら、私は小説を書くことを選んだ。昔からそれなりに読書好きで小説を書くことに憧れがあった。今なら書ける気がする。以前より景色がくっきり色濃く目に映っていた。

それから作業に取り掛かった。ノートを広げ、描きたいテーマを並べて、主人公の人物像を思い描いた。しかし、出来上がるのはいつも自分だった。描きたいテーマは自分が経験したことでないと分からないし、主人公も自分のような陰キャ少女しか思いつかない。色んなシチュエーションを考えるも自分と重ねてしまい、振り出しに戻るの繰り返し。全くコマが進まない。これではエッセイと変わらないじゃないか。つまりこれと一緒。小説の計画は平行線のままだ。

結局私は私のままなのだろうか。静かに街を覆う夜空を眺めながらぼんやりと思った。私は中学生の頃から表現者に魅了され、救われてきた。退屈な日常を色づけてくれるかけがえのない存在だった。もしかしたら自分もそっち側の人間になれるかもしれない、つい一か月前まで本気で思っていたその欲望はやはり夢のまた夢なのかもしれない。このままいくと地獄の就職活動が待っている。私は派手髪を真っ黒に染め、自分に嘘をつき続け、精神を限界まで削られる運命なんだ。就きたい仕事も特に無いし先が思いやられるばかりだ。

とりあえず今はスマホに日記を打ち込んでいる。創作でも何にもない、ただの事実を書いている。スタバが美味しかった、芥川賞作品を読んだ、サークル活動がだるいとか。本当はこんな凡人が浮かれているだけの様を公開すべきではない。青臭すぎる。しかし、生々しく苦悩している今を記録しておく。綺麗なものを見せようとしなくていい。今というのは思っているほどに流動的である。自分の中身も無自覚に時と共に変化していく。月の満ち欠けのように徐々に形を変えていく。今しか書けないことには十分に価値があるはずだ。

衝動的に行った阿佐ヶ谷駅の写真をヘッダーにして今日は終わります。

中央線沿いに住みたい。

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