映画技法講座6「イマジナリーラインを越えて」
Break the180°line rule
イマジナリーラインの法則を「カット(切断)を跨いでイマジナリーラインを越えてはいけない」と定義すれば、ショット(持続)の中でイマジナリーラインを越える、前回紹介した方法は、法則を破っているわけではありませんでした。今回は、カット(切断)を跨いでイマジナリーラインを越えてみましょう。
1.Single shot
『周遊する蒸気船』(ジョン・フォード)
ドク・ジョン(ウィル・ロジャース)とフリーティ・ベル(アン・シャーリー)は最初反目しあっているのですが、彼女を連れ戻そうとやってきた男たちを、ドクが撃退し追い払うと、2人の距離が縮まります。この決定的な契機がどのように描かれているでしょうか。
(a)男たちを追い払ったドクと、フリーティを、キャメラは引き画でとらえます。思わず彼女の味方をしてしまい戸惑うドク。
(b)ドクを見つめるフリーティの単独。
(c)もう一度、引き画にもどり、気まずさに背をむけるドクをとらえます。
(d)もう一度、彼女の単独。ここで唐突にイマジナリーラインが越えられている。音楽が流れ、ドクに近づく彼女。
(e)今までとは真逆の異なる背景をもつ引き画。
(c)から(d)へと、カットを跨いでイマジナリーラインが越えられています。つまり、法則が破られています。
観客は、その直前に(b)のショットを見せられているので、それとは顔の向きが違う(d)のショットに唐突に繋げられると、一瞬何が起ったのかわからずドキッとします。イマジナリーラインを越えることで方向感覚を狂わされたのですが、その違和感はすぐさま同じ方向性の引き画(e)に繋げられ修正されます。
その混乱は方角を見失ったことからくるものだ、と観客が気づく前に、その方向感覚を回復させるので、アン・シャーリーの瞳/眼差しの効果だと観客は錯覚するのです——つまり、彼女の眼差しにドキッとしたのだと。
前回も述べたとおり、イマジナリーラインを越えると、見え方(背景、ライティング、顔の向き)が劇的に変わります。
劇的変化だけでなく、さらに観客を動揺させたいのであれば、ショット(持続)の中で越えるのではなく、カット(切断)を跨いで越えればよく、その後、観客が気づかないうちに方向感覚を回復させて、再び法則に則ればいいのです(一瞬の侵犯)。
2.Over The Shoulder shot
次に私が撮影を担当した『天使の卵』(冨樫森)を採り上げます。
たわいもない話で始まる横位置の2ショットから、文字通り180°異なる決定的な台詞「お姉ちゃんに何の用?」と問う夏姫(沢尻エリカ)のショットに、イマジナリーライン(180°line)を越えて繋がれます。その問いに動揺する歩太(市原隼人)のリアクションに切り返しシーンが閉じられます。
『周遊する蒸気船』(d)の単独ショット(Single shot)とは異なり、イマジナリーラインを越えたショットが、夏姫単独ではなく歩太をなめています(OTS shot)。これは撮影者である私が、単独ショットではやりすぎかとバランスをとった結果です。
つまり、上手に歩太をなめることで、それが観客の手がかりとなり、方向感覚の回復が容易になるわけです。結果、『周遊する蒸気船』の単独ショットより、観客の戸惑いを若干ですが穏便に済ませることができます。
3.(Re)Establishing shot
『男はつらいよ 望郷篇』(山田洋次)
例のごとく勘違いした寅次郎(渥美清)が、実は横恋慕だったのだと気づいてしまう残酷な瞬間に、イマジナリーラインが越えられています。
しかし、イマジナリーラインを越えたショットは『周遊する蒸気船』のように寅次郎単独ではなく、『天使の卵』のように肩ナメのクロースアップでもなく、逆側からの引き画(再状況設定ショット)です。ゆえに方向感覚の回復は容易です。観客の混乱は最小限に抑えられています。それでも、もちろん効果的です。国民的人気シリーズであるがゆえの抑制だと思われますが、それがまた味わい深い。
以上のように、イマジナリーラインのルールを破ることで生じる方向感覚の狂いを、演出の効果として利用することができます。その効果には強度があり、位置関係から切り離された単独のクロースアップが最も大胆で、サイズを引いていくことでよりマイルドになることがわかります。
強度に違いはあれ、どれも一瞬の侵犯です。侵犯のあとは再びイマジナリーラインの法則に従わなければなりません。イマジナリーラインの法則によって禁止されているからこそ、(たとえ反動的であっても)その侵犯に効果があるのです。
追記『花束みたいな恋をした』(土井裕泰)
※作品の内容および結末など核心に触れる記述が含まれています。未鑑賞の方はご注意ください。
『花束みたいな恋をした』(土井裕泰)に見事なイマジナリーライン越えがあったので追記します。
ラスト、ファミリーレストランで麦(菅田将暉)と絹(有村架純)が別れ話をします。その二人を(過去の二人が座っていた席をバックに)イマジナリーラインの法則に従って切り返しているのですが、麦が別れたくないと翻意します。麦は絹の説得を試みますが、彼女が言うように「今日が楽しかったから今だけそう思っているだけ」のようでもあり、彼自身本当に別れたくないのかどうか判然としません。
絹の「またハードル下げるの?」の一言で、キャメラはイマジナリーラインを越え、麦の単独に切り返します。それで彼のスイッチが入ったかのように、それでもいいと彼は家族像を語り始めます。恋愛は終わったかもしれないが、家族としてならやっていける。絹もまたそうかもしれないと心が動きます。この一連が前半とは逆側をバックに切り返されます。
素晴らしいのは、このあと過去の彼らの似姿である初々しいカップルがやってきて、彼らとの切り返し、即ち、過去の自分たちとの切り返しになるところなのですが、それを用意する二人の会話が以上のようにフェーズ分けされ、見事に過去との切り返しに繋げているというわけです。