『パラサイト 半地下の家族』モノクロ版の是非
『パラサイト 半地下の家族』が傑作であるのは論を俟たないとして、ここでは、そのモノクロ版の是非を問いたいと思います。
Teal&Orange
被写体を背景から際立たせるテクニックの一つにTeal&Orangeがあります。このTealとは鴨の羽色、青緑色で、Orangeは、人間の肌色を指します。TealとOrangeはお互いに補色(反対色)の関係にあって、下図のように色相環上では正反対に配置されます。
補色同士の組み合わせは、互いの色を引き立て合う効果があるとされてるので、被写体の顔=肌色を際立たせたければ、背景をTeal方向にグレーディングすればいいわけです。
『ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル』( ブラッド・バード)の一場面を使って、Teal&Orangeのグレーディングを説明した動画から抜き出したものです。小窓の中が同シーンの(実際の色味に近い)宣伝用写真なのですが、比べてみると本編の方は、肌色はそのままに、他がTeal方向にグレーディングされているのがわかると思います。補色によって、観客の視線を被写体の顔に集めているわけです。
補色のコントラストですから、これをB&Wにすれば、その違いはなくなります。
もちろん極端なTeal&Orangeもあれば、控えめなものもあり、また、TealというよりはBlue方向あるいはGreen方向(いずれにせよ暖色系の肌色に対して寒色系)であるケースもあります。このような補色の関係を利用した被写体の際立ちは、グレーディングだけでなく、ライティングおよび美術、衣装によっても達成できます。
ライティング
『パラサイト 半地下の家族』ではどうでしょうか。デイシーンを見れば、グレーディングによる極端なTeal&Orangeは見受けられません。しかしながら、ナイトシーン、例えば地下のシーンがわかりやすいのですが、そこにはGreenの蛍光灯とOrangeの裸電球、異なる色の光源(Practical Lights)があるわけです。
裸電球に光を受けて肌色により赤味が増したソン・ガンホの顔が、蛍光灯に照らされ、緑がかったコンクリートの壁の背景から際立っています。一方、モノクロ版はどうでしょう。
明度のコントラストのみで表現せざるをえないB&Wでは、補色のコントラストに頼ることができません。被写体が際立たないのです。中でも、影になっている方の顔、右耳あたりの輪郭が判然としません。明るさに背景とのコントラストがなく、溶けこむような感じです。
モノクロのライティングであれば、ここにバックライトが足され、背景と切りわけられるはずなのです。裸電球(Practical Light)に正当化されたキーライトにしても、暗部の沈みこみを無視できるほど、あたりの角度もよくなく、また光量も十分とは言えません。
つまり、カラーのライティングとモノクロのライティングは全くの別物であるということです。
オリジナルの顔の暗部を見てください。蛍光灯(Practical Light)に正当化されたGreenのバックライトが、ソン・ガンホの顔にうっすら緑がかったツヤを与えています(この補色のコントラストがソン・ガンホの顔を立体的に見せます)。
もし、そこに、明度のコントラストで背景と分離できるバックライトが足されれば、そのライティングはリアルではない時代遅れのものに見えるでしょう。そのようなバックライト(になるような強い光)は、そこにあるどの光源(Practical Lights)にも正当化されないからです。
もう一つ例をあげましょう。
ここでは、ワインセラーの光と、左にあるキッチンから漏れる光、正面奥のガラスドアから見える外の光が、共にシアン系の色になっていて、手前のタングステン照明とのコントラストにより奥行き感が強調されています。
一方、モノクロ版では、補色のコントラストが失われ、あったはずの奥行き感が減ぜられます。特にワインセラーは、背景に退かないどころかチョ・ヨジョンと同じくらい主張しています。
裁かるるジャンヌ
カラーとモノクロで異なるのはライティングだけではありません。次に衣装について考察してみましょう。
オリジナルではさして気にならないショットですが、モノクロ版になるとチョ・ヨジョンの顔の暗さが気になります。つまりB&Wでは、白は白くなりすぎてしまうので、その明度を下げなければならず、結果、被写体の顔が、相対的に暗い印象になってしまいます(この場合、グレーディングで肌と服の明るさを別々に補正すればいいのですが、引きの画ではそこまでしていないようです)。
ではモノクロの白とは、どのように表現するべきなのでしょう。『裁かるるジャンヌ』(カール・テホ・ドライヤー)での逸話が参考になります。
「白」壁に見えるこのセットは、実は、全てピンク色に塗られていました。白のままの撮影では、ノーメイクで演じたファルコネッティの顔は相対的に暗く沈みこんでしまうからです。もちろん、ピンクでなければならないということではありません。「白」に見える明るさを再現するグレーよりも、それと同じ明るさの色の方が、その微妙な明度を再現しやすい(色相、彩度の情報があるためコントロールしやすい)ということです。
チョ・ヨジョンは何色の衣装を身につけているでしょう。「白」色に見えるのではないでしょうか。先ほどの衣装の白と比較しても、ほぼ同じ明度の「白」ですが、先ほどとは異なり、彼女の顔が沈みこむことはありません。
しかし、ここでの衣装は白ではなく、薄いピンクなのです。
つまり、カラーの衣装(美術)とモノクロの衣装(美術)は別物であるということです。
スティーブン・ソダーバーグ
では、モノクロにする意味はなかったのでしょうか。
ここまでみてきたように、撮影監督や、衣装、美術にしてみれば、そんな話聞いてない、ということに違いありません。また、監督にしても、モノクロ版しか観ないという観客は想定していないかと思います。
つまり、モノクロ版の観客は、すでにオリジナルを観た観客のはず、としてみれば、そこにモノクロ版の意義があるのではないでしょうか。
I operate under the theory a movie should work with the sound off, and under that theory, staging becomes paramount.
Steven Soderbergh
スティーブン・ソダーバーグは、映画というのは音声がなくても見れるものであるべきで、それを可能にするのはステージングだと言っています。ステージングとは(ブロッキングとも言われますが)俳優やキャメラをどのように配置し、どのように動かすかのことです。すなわち、演出です。
ソダーバーグは、ステージングを学ぶには、音を消して、B&Wにした映画を観るのが近道だと、実際に、音声なし、B&Wの『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』を、ブログ "Soderblog"上で公開しています。
もちろんこれは、ステージングを学ぶための手段であって、映画監督になろうとするわけでもない観客には関係のないことですし、そもそも『パラサイト 半地下の家族』は、モノクロであっても肝心のサウンドトラックはそのままです。しかし、モノクロにすることによって、監督のステージングによる演出意図は、より明確になるでしょう。
とは言うものの、是か非かと問われれば「非」、これが結論になります。
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