1月8日『文男スポーツ』産経新聞の社説がとにかく恐ろしい

1月6日の産経新聞の『主張(社説)』には呆れたしとにかく恐ろしい。会社の考えとしては、今苦しんでいる国民を救うことより五輪開催が大切ということなのでしょう。

そして、この記事にはいろいろと突っ込み所が満載である。

「開催準備の中で、日本は障害の有無や老若にかかわりなく、誰もが暮らしやすい社会へと変わろうとしている。パラリンピックの大きな功績だろう。」

とあるがそう思っている国民はどれだけいるのか?
今でもコロナを理由に医療従事者は差別を受けている。
日本こそ"誰もが暮らしにくい"差別社会だ!

「五輪開催は社会経済活動の活性化の延長線上にある。」

とあるが、インバウンドが期待出来ないで何が社会経済活動の活性化だ。
直ちに五輪中止を発表して、五輪予算を医療体制を始めてとしたコロナ対策、そして失業者等の救済に使う。そして、消費税を0%にした方が社会経済活動の活性化されるだろう。

これは全くもって個人的な感想だが、2020年東京五輪開催に向けた歴史とは、"スポーツを利用した日本の堕落と右傾化"への歴史なのではないかと。
リオデジャネイロに敗れたが、最初は2016年の招致を目指していた。その招致をすることが決まったのが第1次安倍内閣の発足と同じ2006年である。

「◯◯に元気と勇気を与える」、「◯◯のために戦う」的な発言をする選手が増えたのもこの頃からのような気がする。

お国のために、天皇陛下のために…。

ある種の洗脳で自己犠牲をして戦うことが美しいという雰囲気を作り出している。まるで太平洋戦争時みたいだ。

恐らく"自分を主語としない発言は使える"と踏んだマスコミは優先的にこう言った選手のコメントを広い、それをテレビや紙面で使ったのだろう。そうすれば見る側は擦込まれて、選手も使われそうな言葉がインプットされコメントとしてアウトプットされますから。

「自分のことだけではなく、バドミントン界のためにも金メダルを取らないといけない」と桃田賢斗選手は五輪開幕200日前にコメントを出したと彼を記事内で称賛している。

選手は誰しも自分が勝ちたくて競技しているはずだ。"◯◯のため"は全て後付けなのに、その後付のコメントがクローズアップされ称賛される日本のスポーツ界を取り巻き状況とは、右傾化が進んだ恐ろしい社会である。

森喜朗氏や電通はスポーツ利権は儲かると悟り目を付けたと言われている。スポーツが利権で間違った方向に進んでいるから五輪開催に固執している。そればかりか、思想的にも日本が間違った方向に進んでいる。それをスポーツが片棒を担いでいる状況なっていると私は思えて仕方ないのである。

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大勇 (Daiyu) プロボクサーでお坊さん
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