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第八話 MES QUE UN CLUB 「偽装」

今回はリバプールにてこの記事を書いております。グディソンパークでのエバートン戦、アンフィールド、マンチェスターへの日帰り訪問など、フットボール母国に興奮しております。長期休み直前の授業内容はGovernanceでした。クラブがどういう体制で所有・運営され、誰がステイクホルダー(クラブの利害・行動に直接・間接関係を有する全ての者)なのか?いくつかの例を出すとこんな感じ ;<CIES, 2019, "Governance and Financial Landscape of Top European Football Clubs">

FC Barcelona

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Dortmund

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Manchester U

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バルサはソシオによって選ばれたメンバー、つまりファンがクラブを保有している。ボードメンバーもスペイン人のみ。レアル・マドリードも同じ。"ファン自らクラブの一員としてクラブに関わる、内向きなクラブアイデンティティ"が強い。

ドルト株式上場をしており、特定のオーナーがいない(ブンデスは50+1ルールというのがありクラブが過半数の経営権を所有しなければならない)。ドイツはスペインより範囲が広まりクラブやファンだけでなくドイツの企業や文化も守ろうという志向。

マンUも上場しているが、経営権のほとんどはグレイザー家が所有。ボードメーバーも国際色豊か。プレミアのビッグクラブは基本、外資が所有ビジネス志向が強くファンとの対立も見られる。

って感じでリーグによって特徴が表れていたりする。今後、日本のフットボールが更に発展し強い代表・クラブ、世界で活躍できる選手を多く輩出するためにはどうすれば良いか?今までは、プレーヤーが欧州に出ること、欧州や南米のトレーニング・技術を学ぶことで事足りると思っていたのだが、勉強することでこういったガバナンスやビジネスの仕組み、国の文化がそれ以上にフットボールの発展に大きな影響を与えると考えるようになっています。

クラブ以上の存在

ここからは自分が今後こんなことしたい、こうなれば面白いんじゃないということを広く浅く語ります。自己満色が強くなるのでご注意を。

MES QUE UN CLUB(メス ケ ウン クラブ)= クラブ以上の存在
これはバルサの掲げるスローガンみたいなもんです。

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昔の自分なら「強い=クラブの価値 or 存在意義」と考えていたし、バルサだからこんなこと言えるんだろうって思っていたはずです。でも世界にはビッグクラブや強豪クラブでなくてもしっかりその社会に根付き、ファンやその地域のシンボルとして確固たる地位を築いているクラブもあります。スポーツの役割、特にプロスポーツの良い所は「人に夢を与えられる」ことだと考えます。人並外れた努力と才能によって常人にはできないことを成し遂げてしまう。そこに人は惹かれるのでしょう。しかしクラブ以上の存在になるためには、競技から外れ、夢からかけはなれたむしろ現実的で生々しい存在である必要があるのではないかというのが自分の仮説です。

箱に押し込む社会→オーダーメイドの社会へ

戦後、高度経済成長を経て、今の日本人のプロトタイプが形成された(終身雇用・一括採用・結婚し一戸建てを買い女性は家庭に入るなどなど)というのは言われて久しい話。ベビーブーマーたちが数に物を言わせ、がむしゃらに頑張り、日本を世界トップの経済国にしたというお話。それを成功と捉えて、大したアフターケアや振り返りもせず、昔の恩恵におんぶに抱っこ。その時に築き上げられた一方的な共通の価値観で物事を推し量り、多様性を抑制し、大きな箱にみんなを押し込む社会。本当にここまでの日本の繁栄は成功なのか?偽装じゃないのか?おそらく自分と同世代の30代やそれより下の世代は、こういった日本社会や制度に疑問を抱き、定年を待って逃げ切るだけのしょうもない大人たちによる根拠のない根性論やパワハラ体質にうんざりしていると思います。その矛盾に気づき、社会も働き方改革をはじめ、個人の生き方・考え方に沿ったオーダーメイド社会になろうとしています。しかし、企業はいまだに一括採用。大学院や博士課程に進み勉学に励もうとする人への補助は少なく、むしろそうすれば就職に不利。文句ばっか言わず、国や社会にも期待せずに人生設計しろよ!と思うこともありますが、世の中自分のように行動し、強い人間だけでもない(自分で言うなよ)。そんな憂うべき項目過多の状況の中、日本のフットボールが強くなるわけないよなと思うわけです。南米や欧州のようにフットボール文化が根付いているわけではなく、歴史が浅いのであればなおさら、私たちはフットボール文化を受け入れるだけの余裕が必要なのにそんな余裕が社会にない。つまり、人が人としてやりたいことを実現できるようになる社会=オーダーメイド社会の実現がフットボール発展の鍵だと考えます。

アマチュアクラブが社会を変える

すいません、熱が入ってしまいました。不満はこの辺にして、「クラブ以上の存在」をどうやって実現できるかについて、アイデアを述べます。私が日本にいた時、10年以上所属したアマチュアフットサルチーム、春駒を例にしてみます。

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<歴史>
2009年:大阪府フットサルリーグ3部参入(Amazon Pivo Osakaとして)
2012年:名前を「春駒(はるこま)」に変更しメンバーも大幅に変更
2014年:2部に昇格 → 現在に至る

私はAmazon Pivo Osaka(初期)からのメンバーで2017年度の途中から代表もしていました。お世辞にも決して強いチームではなく、人数が集まらなくてチーム解散の危機、また昨年度は3部降格の危機もありました(入れ替え戦で辛うじて勝利)。そんなチームですが、自分にとっては何よりも大切でした。仕事、留学の準備、人間関係、全てがこのチームの活動を中心に動いてました。おかげで婚期も留学のタイミングも遅れました(ここ重要笑)。合宿したり、練習日以外もトレーニングして、多少食事も気をつけて、30を超えて学生時代と同じようなことができた。そして何よりチームメイトの家族や友人、恋人など、どんどんチームの輪が広がっていく。チームコンセプトは「チームはファミリー」。多くのチームが数年で解散する中、そんな強くないチームでも10年以上続いてる要因がこのコンセプトだと信じています。

ここからが本題。さらにその輪を広げていくことはできないか?個人的なアイデアですが、選手のフットサル以外の能力を社会に還元することができれば可能だと考えます。社会人チームがユースチームを持ったりアカデミーを開くことはよく聞くのですが、その感覚でフットサル以外の講座でも開くってとこでしょうか。例えば;

①学問やスキルの提供
私の場合は銀行と英語講師の経験を生かし簿記の基本や英語(将来スペイン語もしたい)を教えられます。その他、阪大院で数学、京大院で航空宇宙工学を学んだ者、フランス語を専攻し留学経験もある者、SEとして働く者、帽子を作れる選手の彼女、デザイナー、料理が得意な者などなど。学校では触れないような知識や経験を子供たちに提供できます。大人向け講座も面白そう。

②コミュニティの提供
更に、選手の奥様子育て情報共有会などコミュニティが広がれば、ある奥様がどうしても仕事が外せない時に、代わりに他の奥様が両家の子供の面倒をみることもできるかもしれない。また実家が小料理屋の元メンバーの店やその商店街でイベントを開いたりすれば街の振興にも繋がる。

しかしそのためには社会が変わる必要もあり、上記の活動実現のためには以下の条件を最低でも満たす必要があります。

・企業が副業を認める
・地域のインフラ(学校・保育園・商店街)などと連携を取る
・対価に見合うお金を受け取る・支払う意識が育つ

始めはチーム内での活動だとしても、それを世間に認めてもらい、ビジネスとして社会のインフラが対応できない補助的な存在で広がればより個人としても社会としても充実したサイクルが生まれるのではないでしょうか。

個人の能力を適材適所で生かす

公的機関・既存の民間が対応できない柔軟なサービスを提供

利用者が生活の選択肢を増やせる

選手も対価を得られ所得が増える(時間を効率的に使える)

選手の責任感が増す(仕事・チーム活動)

チームが強くなる

と、裏付けなしの理想論をとりあえず語りました。でも人が、より良い社会にしたい、より良い人生を過ごしたいと思えば行き着く先ではあるのではないでしょうか?受け身で幸せになれる時代は残念ながら終わってしまいました。個人的には多少リスクはあろうが「ガンガン攻めろ」の精神で生涯チャレンジしていきたいです。長文失礼しました。それではAdéu!

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