コトの発端。
とタイトルを付けてみたものの、どこから書き出せば良いのかわからない。
プロットのようなものを書いてみようと思っていたのだが、書き出してみると、遡らなければならないことも多く、あらためて文章が上手な人間というのはすごい才能の持ち主であるとつくづく感じさせられる。
幸いにも、あいにくにも、私はモノ書きでもなんでもないので、過去の出来事を思うままに、また現在進行形のものも思うままに書いている。
おかげで読みにくいかもしれないが、まあそれは愛嬌という大きな括りで許されてもらおうと思っている。
2011年、東日本大震災の年、私はとある女性と結婚をした。結婚後、彼女はすぐに妊娠し、年末あたりに生まれる予定だった息子は彼女の自由きままな性格と自制心の無さをきっかけとなり、また私自身も事の重大さを認識しないままに時を過ごしてしまった結果、帝王切開で超未熟児として8月にこの世に産声をあげた。
子供は超未熟児ゆえに、NICUに入ること数ヶ月、少しずつだが大きくなり、年が明けるころにようやく退院することができた。
子供は小さく生まれたものの、立派に、健気に成長していく。
最初は抱っこされ、おんぶされていた子供も、気づけばストライダーだの三輪車だのに乗りはじめ、徐々に親の体から離れていく。
やがて幼稚園に入り、小学校へ進んでいく。
私も彼女も息子の将来のことを考えることも増えていく。
ああ、お受験なるものをさせてみるか。何気ない一言だったが、小学校で良いところに行くことができれば、例えば中学校で受験するよりも、高校で受験するよりも、はるかに効率良く子供への投資ができる。
お受験はとても大変で、普通の塾はもちろん、絵のお勉強だったり、体育クラブだったり、習い事もいくつも行かせることになる。もちろんお金はかかるけれど、かわいい息子のために使うお金なんてなんとしてでも作らないといけないし、なんとかしてあげたい。
持論として、子供がしたいこと、子供の未来のことを考えた時、お金が無いから諦めてもらうということは意地でもしたくなかったのである。これについてはいまだにそう思っている。
子供がお受験に必死になっている分、私自身も仕事を必死にがんばってきたつもりである。幸いこの時期に働いていた会社ではそれなりのポジションをいただいていたので給料もボーナスもおそらく一般的な同年代と比べても遜色ないくらいあったように思う。
その一方で、私と彼女との相性はすこぶる悪いものであった。
子供のお受験だのなんだのというポイントに関しては一致することも多かったので、問題なかったのだが、そもそもの人間性の違い、相性のいびつさが徐々に表面化していく。
いや、思い返してみると表面化というよりもむしろ表面にはずーっとあったのかもしれない。
夫婦喧嘩は犬でも喰わないかもしれないが、犬に食べてもらいたいくらいにたくさんしてきた。そういうと理由を聞かれることが多いが、理由なんて大したことないのである。ほんの些細なことであれ気に食わなければ喧嘩になるのだ。
とはいえ、私は喧嘩なんてしたくないので、それを抑えるために何にかわからない時もあるが、謝る。それでもモノを投げつけられたりする。
包丁を持ち出したりもする。
財布も携帯も持たされないまま、裸足で外に出されることもあった。
私の部屋にある衣服を切り刻まれ、所有するCDや書物をズタボロにされたこともある。
最後のほうでは家の前で包丁を隠し持って立っていたりする。
なんなら包丁で刺されそうになるのを防ぐために、手の親指付け根あたりを切って血まみれになったこともある。
子供がいようが何しようが、関係ない。
子供は割と私を守ってくれることが多かった。そりゃそうだ、私が攻撃しかけているのではないのだから、子供は私を守ろうとしてくれる。
ほんと、誰か教えてほしいです。
夫婦喧嘩ってこういうものなんでしょうか。
こんなにひどいと感じていてもそれは夫婦喧嘩という一言で納得しないといけないのでしょうか。
ともかく、私は家に帰っても寝ているうちに殺されるのではないか、常に恐怖を感じながら家に帰ることが多くなっていった。
彼女の両親に相談したこともあります。
「私が良くないことをしたのなら我慢するしかない」
「包丁を出してきても?」
「包丁を出してきても夫婦なんだから我慢しないといけない。」
「怒ったりすることは私だって理解できます。でも包丁っておかしくないですか?」
「おかしいとは思わない」
何度かなんとかしてくれという願いをこめて相談したが、こんな調子である。
ちょっとこのままじゃ危険かもしれない。
私は離婚という選択肢に強く引き寄せられていくのである。
こういうことが繰り返されながら少しずつ年月がたち、子供は無事にお受験に成功し、とある私立小学校に通うことになった。
いや、無事にじゃないな。
無事にじゃなかったんだ。
今日はもう疲れてきたので、それについてはまた後日書くことにします。