『キャロル』再訪
恵比寿ガーデンシネマでやっていたクリスマス特別上映で『キャロル』を再見して、やっぱり素晴らしかったので、初見時に当時のブログに上げた記事を再掲しておきます。
映画『キャロル』トッド・ヘインズ監督による、ケイト・ブランシェットとルーニー・マーラが、ふたり揃ってアカデミー賞主演女優賞と助演女優賞に最有力候補としてノミネートされている、「うつくしい人」度が致死量レベルに達してしまった作品です。
何というか、あまりに「うつくしい」がゆえに、もう何というかあまり正面から語る気が起きないので本筋については置いておくとして。
この作品では「ガラス越し」のショットが多用されています。キャロルも、テレーズも、それぞれ自分だけで、自分ひとりでいるような場面では特に、車の窓ガラス越しであったり、ショーウィンドウ越しであったり、オフィスのパーティション越しであったり、何にせよいつも、冷たく透明な何かに遮られた向こう側にいて、その時々の様々な表情の上に、雨のしずくであったり光の反射であったり、いろんなものが重なって映っていきます。
そこで描かれているのは、現実の世界とは相容れるところのない美しさであり、その「一枚向こうにある」彼女たちだけの真実に対し、移ろう現実の光と影はあたかも接して共にあるようには見えながらもその実、重なってはおらず、手を伸ばして無理に近づこうとすると何かが割れてしまう、そんな致命的な隔たりがそこにはあるわけです。
それは、何も彼女たちが自ら望んでそこに隠れたり逃げ込んだりしているということではなく、自然な自分自身の有り様で生きている、ただそれだけで、魂と身体、声と体温が、図らずも世界からガラス一枚分隔たってしまう。そんな撮影がされています。(どんな撮影だ)
ちなみに、撮影監督はエドワード(エド)・ラックマンですが、彼はフランス撮影監督協会(AFC)のインタビューで、撮影機材についてこう答えています。
1950年代という時代の空気を出すために、16mmフィルムによる撮影で、かつ、あえて古いレンズを使っているわけですが、その味わいはけっこう独特で、フィルム・グレインだけでなく、光源の輪郭の見え方(というか緩やかな綻び方)が非常に印象的です。まさにラックマン(そしてトッド・ヘインズ監督)の思惑どおり、こうして撮影された本作は、現代から遠く離れた時代の物語を、今とは別の土台の上に成り立った時代の話として、現代社会の文脈とは綺麗に切り離して成立させています。
本作『キャロル』は互いに惹かれ合う女性ふたりの物語ですが、セクシャル・マイノリティとかLGBTとかそういう現代の「社会問題」の話ではなく、あるいは「個人と社会の軋轢」の話ですらなく、その魂の求めるところが世界とはぐれてしまった、「ひとり」と「ひとり」の孤独な存在が、互いの中に「在るべき場所」を見出していく、という話でした。これをそのように全うして描きつつ、さりとて切り離しすぎたあまりに現実から遊離して「昔話」になってしまわないように、それこそガラス一枚の距離感に封じ込めること。これを見事に成し遂げたのが、監督、原作からの脚色、撮影、それに加えて極めて印象的な衣装と、映画が終わった後も心に残り続ける音楽、そして何よりふたりの女優の素晴らしい演技であって、アカデミー賞6部門ノミネートというのもまったくもって順当な、というか全部受賞しても何も驚くには当たらないような、本当に素晴らしい作品でした。
あまりに素晴らしかったので、観終わった後の帰り道、iTunes Storeでサントラをダウンロード購入してすかさず聴きながら、そうだ原作も読もうと思ってAmazon.comに行って検索したところ、「Genre: Lesbian Fictions」という間違ってはないけれどあまりといえばあまりにストレートな分類にやられて、少しばかり夢から覚めたような心持ちになりました。ということで原作はまだ読んでいません。
ちなみに原作は7年が経った今もまだ読んでいません。