ハイパーグラフィア
※今回はガチで自分でも何言ってるかわからないです。
中二病が好きそうな名前
別に自分がこれだと言い切るわけではないが、何かイベントがあると、無性に文字を書きたくなることがある。
ここでいう文字を書くということは、日記帳に、鉛筆で、自分の手で、文字を描くわけではなく、こういった電子版でも、文を紡ぐことを指す。
自分に文章力があるとも、語彙力があるとも思わないけど、何かしらこういった形で、文字に下さないとどうしようもなくなることが度々。
それこそ「ばらかもん」で主人公が、何か心理的に動かされることがあると、インスピレーションが下りてきて、手が震えると言っていたが、それに似た症状だろう。
「クジラの子らは砂上に歌う」の主人公がまさにこのハイパーグラフィアを患っており、常にノートのようなものとペンを手にしており、仲間が死んだりすると、泣きながら文字を書きなぐっている描写がある。
別に自分がそういった主人公的素質が、ハイパーグラフィアを通して現れているといいたいわけではない。
ただ、無性に書きたくなる。
読んでくれた方に、自分もこんな症状出る!って人がいればコメントしてくれると嬉しい。
いやでも仲間が欲しいわけではなくて。
てか今がまさにそのハイパーグラフィア状態で、適当なことでもつらつらと書き続けていたいタイミングで。
自分語り
基本的に私のnoteは98%自分語りで構成されていますが、まあ自己満足ために始めたものなんで。
だから別に多くのスキがついてほしいわけでもなく、共感が欲しいわけでもない。
個人的に、将来のために環境保護をしなければっていう考え方は、インターネットでは嫌われそうな意識高い人達のみができる思考であると思っているので、だからどれだけ意識高い系が動いても、環境保護に動かない現状で。
スタバが紙コップにするかもって話が出たと思ったら、タピオカミルクティーのごみが社会問題になるし。
ほんとバカみたいな世の中。
基本的に100年も生きられないのに100年後のことなんて考えられるわけがない。
というか考えられたとしても、結局自分は死んでるし。
だから私は食とか、旅行とかの一環で、自然が楽しいものだと皆に知ってもらえればと思って、環境保護しようぜとは書かない。
今は書いてるけど。
脳内的に、
将来資源がなくなっちゃう⇒環境保護しよう
っていうより
自然って、楽しいじゃん! 美味いじゃん! 面白いじゃん! ⇒なくなったらやだな
っていう思考になった方が、環境保護をやりたくなると思う。
だって紙ストローにしましょうって大声上げても、あんな不便なもん普及するとは思えないし、環境保護を謳う自分だって、ガンガンプラスチックストロー使っている。
もうこれは自慰行為です
話があっちこっち。
口で喋っているときもなるんですよね。これ。
自分で何言いたいかわからなくなっちゃうの。
でも今回のこの記事は良いんです。
このタイピングの感覚とか、左上の文字数が増えていくのとか、これがある種の快楽を生み出しているんです。
これはそうするための記事ですから。
多分面白くないですよ。普段の記事も面白いとは思ってないですけど。
まあスキがつくと嬉しいのは性ってもんで。
でもむしろこれにスキがついたら気持ち悪いっていうか。ただただ吐き出すだけなんで。
あー眠くなったので寝ます。