【極東見聞録第二部】『The Rose』に聴く、別れゆく人への愛は花のよう【ログ】
日本語が通じる海外にいる
極東の島国と呼ばれる日本で、遥か南に1000キロの島に今、私はいる。海外が近くなった今の時代、手軽に海外へ行けるというのに、小笠原へは24時間かかる船に、往復五万の金額を払わないと辿り着くことが出来ない。
最初こそそんな稀有な場所への旅はより自分の文章を面白くするだろうから、さっと行って帰ってこようと考えていた。その気持ちが表れたかのように、島で働いていた仕事の契約はたったの二か月半。コンビニもカラオケも映画館もまともにない島での生活に、最初こそ文句を垂れ、早く帰りたいと悪態をついていたものの、私が小笠原に居られる時間はもうあと三日もない。
私が書く極東見聞録はより心に残ったことを遺すために、その場所にいる間にその場所のことは書かないと決めている。今現行している檜原神戸編は小笠原で書き、小笠原編は次の目的地である北海道で書くつもりであった。しかし帰ることが明白になってきたこの一週間で私の心から溢れ出る言葉たちが、私にこの気持ちを今書けと叫んで仕方ない。
だから本来最後に書くはずだった小笠原の最終部を檜原神戸編すら終わっていない今別れを惜しみ、抑えきれない落涙を拭わずに私はこの文章を紡いでいる。
愛についての答えは『The Rose』に聴いた
ベット・ミドラーの曲である『The Rose』はアメリカ映画の『ローズ』の主題歌になっているほか、ジブリ映画の『おもひでぽろぽろ』の主題歌になっている。
静かなピアノの旋律から始まり、優し気な歌声が歌詞を紡ぎ、愛とは何かについて語りはじめる。
愛は川の様に、愛は刃の様に、愛は飢えの様に。でも私は愛は花だと思う。
そんな語るように紡がれる言葉たちは、優しく別れを惜しむ私の心を確かな方向へ向かせてくれているような気がした。
私は大学時代の飲食のバイト先を愛してやまない。店のご飯も、店の雰囲気も、店で働く人たちも全てが私の愛を象徴していると言っても過言ではない。私が新卒で入った会社で体調を崩したことを知った彼らは、電話をかけ、優しく店への復帰を促してくれた。
仕事も慣れていて、人も全員見知っていて。そんな場所でずっと働いていられたらどれだけ幸せなことか。でもそれは優しさへの甘えで、愛への甘えだったからこそ、私は旅を、決別を決意した。
そして辿り着いた二拠点目の小笠原で、より人との近さを痛感している。人を好きになったり、嫌いになったり。仕事が楽しかったり、辛かったり。酒で騒いだり、次の日二日酔いでトイレから出られなくなったり。
まるで内地で経験できるような全ての事柄が、島という小さな社会の中であるからか、より鮮明に、より濃厚に記憶というか心に刻み込まれて行っているのを感じる。
この帰りたくないという気持ちは、これだけ島への思いが強いと言うことで、島への、島で私と出会ってくれた人たちへの、感謝であることは確かだ。それでも私は帰らなければならない。ここで帰らないのは、私と出会ってくれた人への甘えになってしまう。
幸か不幸か、人は生きていかなければならない。生きると言うことは選択することだと誰かが言っていた。私は今帰るか、帰らないかその選択に迫られている。
極東見聞録や旅、自分の義務や夢を全て投げ出して、島に甘えることだって出来る。でも私はそれを選択しないだろう。ここで帰ることが、私と出会ってくれた人たちへの一つのけじめになると信じているから。
小笠原で僕が咲かせた花
私は一つの種を抱えて小笠原に上陸したのだと思う。それを咲かすも殺すも私の自由だった。帰りたいと思いながらきつい仕事を続けて、普段見ることの出来ない景色を適当に書き、極東見聞録第二部としてあげることだって出来たはずだったが、生憎この島の環境はこの種を腐らせるなんて選択肢を与えてはくれなかった。
共に笑い、共に酒を飲み、共に喜び、共に生きる。
この島で生きていた。人生100年の時代にたったの二か月なんて月日はすぐに忘れ去られる長さかもしれない。それでもこの二か月私はここで生きていた。
私を好きになってくれた人も、嫌いになった人もいただろう。それでも少しずつ、少しずつ彼らがくれた水のおかげで私の種は鮮やかで綺麗でいて、そして掛け替えのない花を咲かせてくれた。今の時期、内地で咲き乱れているような桜や、それこそ薔薇でもこの美しさは語り切れない。
でもこの花もいつかは枯れるだろう。これほどまでに島を離れることを惜しんでいたことを笑いながら疑問に思う日が来るかもしれない。それでも小笠原で出会った人たちに咲かせてもらった花はいつしか、また種になる。
私はそれを持って新天地を目指すだろう。そしてまた新たな人と出会い、彼らと共にまた別の花を咲かせる。その花は小笠原で咲いたものより綺麗なものかもしれない。はたまた醜いものかもしれない。それでも小笠原での証をどこかに残していて、またどこかで思い出すだろう。
こうのすけと、ひろと、りんと、うたと、とおやと、ともさんと、かいとと、かいせいと、そうたさんと、ゆうさんと、おおのさんと、ゆかさんと、かのんさんと、はらくんと、みどりさんと咲かせた花の美しさを。
彼らが僕を忘れても、僕は彼らを忘れない。
彼らが咲かせてくれた花を抱いて私は明後日船に乗る。笑っているか泣いているか、その両方かわからないけれど、私は明後日この島を離れる。
私は今初めて人のために文章を書いている。自慰さながら自分のためにしか書いてこなかった文章だから、上手く伝えられているかはわからない。でも口下手だから面と向かっては綺麗に言えない。
だからこの場を借りて。
小笠原で僕と出会ってくれた全員の人たちに感謝を込めて。
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