SABRINA vol.8
「家族みたいな関係」があたかもすこく心地よい感覚のように使われているのはなんでだろうと思う。犬を飼った一日目に新しい家族と思う人もいるだろうし、具体的にどういう感覚の話をしているのか別にハッキリさす必要もないのだろうけどなんだか不思議な気持ちになる。
僕の感覚では家族は国が綺麗に管理している書類の中にしかいなくて、その中に心地良いかどうかの感覚は何一つ加わっていなくて、「自分の家族」という感覚もなくて相手に同じように主体的な感覚を抱かれたいとも思わない。
自分は自分で、産んだのは両親で、お父さんはお父さんで、お母さんはお母さん、兄は兄。一定な関係を除いて同じ屋根の下にいたのは間違いないけど、それで感覚がカフェラテのように混ざり合っていくこともなく、同じ機械の中に組み込まれているドリンクバーみたいに自分のボタンを押したら僕の味の液体が出て、お父さんのボタンを押したらお父さんの味の液体が出て、お母さんのボタンを押したらお母さんの味の液体が出て、兄のボタンの押したら兄の味の液体が出る。
だから「家族みたいな関係」と言われても、確かにニュアンスとしてはそれがどういう意味か理解していたとしても本質的にどういうことなのかと聞かれるといまいちピンとこない。それが恋人より優れている関係なのか、友達より優れている関係なのか。
言っても、それもケースバイケースで良いなと思えたり悪いなって思ったりするんだろうけど、改めて説明するということはそれなりに何か意味があるんじゃないかなとか思ったりはするんだけれどもね。
「君も家庭を持てばわかるよ!!」と言われてしまいそうな気はするけど、その感覚を解き明かしてみようという好奇心があるかどうかで言うとまた別の話になってしまう。
僕は今全く責任感の無いフリーターで、唯一その役職になる利点としてはほとんどのことに自分の決定権があることだ思う。なんだか面白いけど立場が弱すぎるあまりに自由自在な決定権がある。
この3年弱の期間、ある程度のことを自分で決めれる範疇は自分で決めてそれなりに満足できているつもりではいる。
名前が大切かどうかは築き上げた関係性の話で決定した行為のことじゃないなと思う。どうせ書類上では変わらないんだったら何だっていいだろと思う。僕が今現時点で自分で決めてないことがあと自分の名前しか残ってないなって数ヶ月前から気がつてそこからだんだんあと一つだから一掃したいような不思議な感覚になってきた。
なんて説明したら良いかわからないけど。
「僕が自分でミサトって紹介してるからって別にミサトってルールみたいに呼ばなくても良いんじゃない。笑」
「俺も周りが思ってるほど俺はミサトだ!!みたいな感覚一切ないよ。笑」
みたいな感じなのかな。
両親は名前を決める権利があるから決めてくれて、それを自分が本当にそう思うかどうかは書面上以外は好きにしたら良いじゃないのかな。
名前が変わって自分のアイデンティティが歪む気にも一切ならないし愛着が湧く名前で各々呼んでくれるのがベストなんじゃないかなと思う。
むしろ「ミサトはミサトだよ」と決めつけられてしまうことが一番僕にとっては寂しい感覚になる。確かにそれは愛情を抱いてくれているからこそかもしれないけど、その名前に関しては僕は一切関与出来てないし2人が決めた看板でずっと生きていくのは物凄く退屈そうな気がして落ち込む。
だからもし自分が何か他人に決め事をして、それを一生背負って欲しいと思ったら何かそうしたいと思わせるような何かがいるのかな。
今の僕だったらそんな気がするからもしその時が来たらそうするんだと思う。
僕に一番合うと思う名前がミサトと思うならそう呼んでくれればいいし、30日ぶりのミサトを聞かせてもらってもいい。
本当に愛着が湧くなら「ソフトエクレアXR」でも「濡れたて干し椎茸」でも「うまうまドルフィン」でも「0.01極厚対応」でも本当に何でもいいです。
変えれないと思ってることは変えれるように変えていけというね。
「とりあえずミサト」じゃなくても良いんだよというお話でした。
2023/10/11 PM16:34