SABRINA vol.20
僕みたいな人間は頭なんか動かさずに何も考えずに手だけ動かしとけと自分に言い聞かして毎日24時間消費する。
この頭で考えたって仕方ない。一体何が解決するんだ。
とはいえ、僕には目標も無いし、ああなりたい、こうなりたい、という感情が大体社会人一年目以降全くと言ってもいいほどなくなってしまった。
これはかなり適当な数字だけど、思い返してパッと出た数字がそんなんだからそう思うことにした。
そんなもの無くても生きていけてしまうのが幸か不幸か、僕はそういう人なんだから仕方なく受け入れるしかない。
これが良いことか悪いことかなんて出会った人たち一人一人に僕の雰囲気を感じ取ってどう思うかみたいなところにしか答えはないんだろうけど、僕自身は不便だったり便利だったり、だからみんな抱えてるものと大まかにいえば一緒なんだろう。
誰だって悩みなんかあるからね。
ただ僕の場合生きて何かするような動機がないと何かを始めた時に現れる進行方向が前に進んだような悩みというよりかはもっと自然発生的で、分かりやすく言うと教室に溜まっていくホコリみたいなもんだ。
あんなものほっておけば知らずの間に溜まっていくだけで、まぁそんなことより僕は例え心の中みたいなところでも毎日掃除してはいるはずなんだけど詰めが甘いのか今日は何故か部屋を開けると全部が真っ白ホコリが溜まっているような感覚になった。
あそこまで真っ白だとどこから手をつければ良いのか分かりゃしないので一旦真っ白なベットに寝そべってみた。
起きてみると周りが綺麗さっぱり掃除されているなんてことはまずないんだけどいつも何かを期待して一回眠る。
それを繰り返していくうちに時々完全にそっちの世界に行ってしまう人が一定数いるんだと思う。僕はそれをどう思うとかは特にないんだけど、僕はそれで心理的にこの世から消えて行った人を何人かはみたことがある。
もしかしたら僕がいるようなフリーターの世界にはその境界線に立つ人が比較的に多いかもしれないななんて思う。
だってそうだろうそういう世界だろうと今でも思う。
でもそんなのって本当は分かっていたんだとも思う。
すごい子供じみた話だけれども、朝まだ何もできてない頃に自分の中ではご褒美気分になれるアイスクリームをコンビニに行って買って、強引に自分の中の何かを持ち上げに行ったことから何か始まっていったんだ。
僕の中で自分を蝕むものも幸せになるものもどちらも白いものでできているなんて変な話だけど対極なんかじゃなくて表裏一体なんだということで強引にまとめ上げて終わり。
重い腰を上げて掃除します。
とほほ。
2024/06/06 13:24
僕がよく人に言われるセリフ(もっとリアルにいうと定期的にその場のタイミングで会う人に言われるセリフ)が「何考えてるかわからない」なんだけれど、なんとなく僕がなんでそれを言われるか最近気が付いた。
それも僕の予想でしかないんだけれど。
僕は本当は色々考えて物事を進めるタイプではあるんだけれど、その節々で説明するのがめんどくさくなって人の問いに対して「別に何もしてないよ」とか「全く何も考えてないよ」とか答えてしまうから多分面倒なことになるんだなって。
結局その人が家に帰って数日後にこうやって文章に起こしたりどこかで話しているもんだから、さらに拍車を掛けて何考えてるか分からない化現象が進んで行くんだろうなって。
逆に言うと、僕がやっていることに対して切実に時間をかけてくれさえすれば比較的何を考えているかは分かるタイプの人間なんだけれど、みんなそれぞれの時間はとっても大切な物だからそれを僕で削ってやろうなんて特に思わないしね。
まぁでもかと言ってその人の時間が一日24時間から98時間に変わったところで多分その人は僕の何かに触れる時間を増やすことなんてないんだろうなとも思う。
それを悲観的に感じるとかいう訳でもなく「欲をかくな自分」程度の話で大体のことは分かる人伝わる人だけに話してたらなんとなく事は上手く進むみたいな楽観的な時間の進め方してます。
僕なんかなるべく長生きしたいんだけど、それについて真剣にある日考えてたことがあってね。
それはそれはなかなか最悪な会議ですよ。
長生きしようと思えば何故か人生の幸せみたいなものを結構手放さないといけないことになる、何故か。
その時出した僕の答えが「甘い物減らさないと!!」なんです。
多分僕の体内に隕石みたいに糖分が毎日降り注いでいて、それを食い止めないといずれ僕は、いや、現在進行形で何かを失っているんだと思う。
だから僕はせめて隕石を落とすのは一日一個だけにしよって決意したんだけど、今日は最近ハマってるアイスとハリボーを食べてしまった。
そういう意味では僕も自分に対して「何考えてるか分からない」。
僕は自分の基礎代謝という1800前後の数値で構成された世界に対して500のパワーを持った隕石を落としてしまった!!
そうやってものすごく幸せだった思い出を残酷な記憶で上書きしてどうにかしてこの糖分戦争に勝とうとする。
俺だってわかんねぇもんはわかんねぇ〜よ〜。
2024/06/11 PM12:33
僕はよく村上春樹の作品を読む。
今考えたら誰にどう薦められて読んだか、どうやって彼の作品に辿り着いたか一切記憶にないんだけど、でもそんな他人からのレコメンドなんか無くても誰でも一度は手に取るぐらい有名だからもしかしたらきっかけなんか必要なかったんだと思う。
彼のファンという訳でもなく、全てを読破しようと思ってる訳でもなく、基本的に僕は友人から途切れることなく話に出てくる本を読んでみたり映画の原作になっている本を読んだりと、要するに色んな人の本を読んでいく中で、彼の本だけ綺麗に僕の本棚に残っていった。
とは言っても、他の作家の本も何冊もあるんだけど彼の本が一番多いと思う。
僕の家はすごくユニークだなと自分では思う。
基本的に誰かが家に来て興味を持つ物なんて何もなくて、常に僕が一瞬でも今は必要ないと感じた物たちが友達の手によって知らない人たちの所へと売り捌かれていく。
そのまるで工場みたいに色んな物がドライに梱包されていったり消えていったりするそのシステムが僕は見ていて面白いなと思う。
「また必要になったらどうするの?」
「また買うんだよ」
この基本方針にならって色んな物が流動的に動いていく。
彼の本の好きなところは基本的に主人公が面白みに欠けているところでどれを手に取ってみても退屈そうなところに僕は何かを感じてしまう。
僕は主観的にみて自分がものすごく退屈な人間だと思うから。
もしかしたら僕は世界一面白みや人生における旨みがない人間なんじゃないかって思ったりする。
僕は何かに期待せず物事を進めれる人間だと思う。
僕はこの先どうなるか分からないけど一旦走っておける人間だと思う。
もしかしたら、こんな退屈そうな主人公を描ける彼もそういう人なんじゃないかって勝手に妄想していつも読んでる。
僕の場合彼みたいに立派な要素は全然ないから現段階では「自走し続ける何か」でしかないんだけど。
ある人に「モチベーションとか感情をとりあえず切り離してる気がする」と言われたことがある。
それは僕が作為的にしている習慣ではないんだけど多分自然にそうなってるんだと思う。だからその発言にはおおよそ賛成できる。
僕があまりにも淡々とやり続けるからある人は怖がったり、ある人は接しにくいと思ったりするんだろうなとも思った。
ウサギと亀のレースで言えば僕は完全に亀だと思う。
ある僕が尊敬する人が「ウサギと亀が同じゴールのわけがない」みたいなことを言っていて僕もその通りだと思う。
もしゴールが一緒だと思ってるウサギがいるならそのウサギにもっと遠いゴールを目指せと話しかけるべきだと思う。(そんなお節介なことはしないけど。)
あの話は僕の解釈ではウサギは一喜一憂して亀は健気に走り続けた。
もしも世の中にはウサギみたいな感情で動く人の方が多いとして、でもそれがもしゴールが違って、同じレースでもなかったらどうなるだろう。
多分何匹かのウサギはもしかしたら横をゆっくりでも歩いて過ぎ去っていく亀を見て「あ、そろそろ俺も走り出すか」なんて思うような気が僕はする。
僕の希望的観測かもしれないけれど、たとえゴールが違っている生き物だったとしても何かを感じるウサギはいると思う。
僕は今日の朝彼の本を読んでいる時にそんなことを思った。
それはおそらく僕ができることで、そう思うと自ずとやることも見えてきた気がした。
多分この先も彼の本は読み続けると思う。
2024/06/17 PM14:39