SABRINA vol.24
ジムで走ってる時には色んなことを思い浮かべる。
いつも1時間は走ったり歩いたりとにかく自分をよりしんどい方に仕向け続ける訓練をしているんだけど。
そんな時にまともに時間とかある意味普通にある世界の時間の流れを同じように浴びてしまうとなんだかとてつもなく長く感じて死にたいような気持ちになる。
高校の時みたいに僕がまだバスケットボールを僕なりに真面目にやっている時は同じように周りに仲間がいて同じように違った時間の流れを浴びて「なんで俺は自らこんなことをしてるんだ。」と言わんばかりの顔を浮かべながら走っていた。今思うとそれはすごくいい思い出で、今の僕にそんな友達はいないし、時々横にノロノロとあるくおばちゃんやおじちゃんがいるだけで、「それじゃあ僕もできることとできないことがあるんだよ。」と言いたくなる。
だから僕はいつもNBA選手の練習風景とかとにかく自分よりしんどそうな人を眺めながら走るようにしている。仲間までとは言わないが、むしろ弟子にしてくださいと言った感じでよくそんな辛そうなことをできるなと尊敬の念を感じながら走る。
※僕も年間数億円の契約を彼らみたいに結んだらできそうだとも思うけど多分できない。
それでも1時間はその空間では長いから。NBA選手のしんどそうな顔を見て頑張れる時間なんかせいぜい20分ぐらいだろうな。そうなると僕はだんだん自分の世界にダイブしていく感覚がある。
その時は僕の友達が出てきた。
別に会話が思い浮かんだというわけではなく、なんとなくカメラロールをスクロールしていくような気持ちで僕のこれまでの友達の顔が浮かんで行った。
それが終わってしまって僕は気づいてたんだけど僕の友達の中で今でも関係性が続いてる人が0人だった。
そう思うと僕は家族とは仲が良くないからいよいよ自分の思い出を共有できる相手てのは本当に1人もいないことになる。
唯一続いている中学校から付き合いがある美容師の友達も実は美容師になってから深く関係を作っているので社会人になってからの関係と言った方が近いのかもしれない。
みんなの中でおそらく最後の後ろ盾である家族も僕にとってはないようなもので、僕を息子のように育ててくれた家族とも今も良い関係を持てているのかと言われればわからない。かといって瓶の中にある何かをすっからかんにしてしまったというわけでもなく今は手につけてないだけなんだとも思うけど。
僕がそう感じてまず最初に思ったことは「僕は思い出にそんな時間を使わなくていいんだな」ということで別に寂しいとかなんとかは特に思わなかったな。
そう思ってることがより他人から見たら寂しいことなのかもしれないけど、じゃあ今僕と付き合いがある友達はどうなって行くんだろうとも思った。
昨日僕が映画を見た時に、その映画の設定は戦後間もないイギリスである家族は戦争に行った息子の白黒のポートライトの写真を飾っていた。
つまり、僕たちはその家族をカラー映像で見ていてその家族たちの時代にはカラーテレビはないから世界に色はついてるけど写真は白黒というわけだ。
息子への思い出は白黒の写真に収められそれを見てる家族。その家族を眺める僕たち映画館にいる人たちは彼らを色を通じて認識している。
じゃあ、その映画館で見ている僕たちをまた何かを通してみている人たちがいるとしたら次はどうなってるの?
匂いを感じてるのか、色のさらに次の世界に行っているのか、僕の想像では到底思いつかないような表現になって僕たちを見てるのか。
僕はそう思った。
結局どちらも先のことなんて分かるもんかということなんだけど、それは過去の友達と今の友達の思い出をさらっと並べてみるときの気持ちと似通ったものがあったと思う。
2024/10/06 AM08:31
全く理由もないのに急に不安になる時が僕の中で月に1回か2ヶ月に1回ぐらいあるんですよ。なんか急にとてもつなく体が重くなって目がシボシボするような変な感じ。
フリーターですから特に土日なんかに思いますよね。
周りの人が休んでどっか遊びに行ったりしてると「ほっといてもどうにもならない僕が同じようにみんなと遊んでてどうなるんだ。」とかちゃんと思うね。笑
この人たちは週5日頑張れば良いんだけど僕の場合週5日頑張ったところでどうなるんだろうとか色々暗いこと考えることはよくあるし土日ほどある意味で怖いものはないな。
その都度「好きなことを好きなようにやりながら生きるのは目に見えない要素全部不安に自分で追い込むのと同じだからな。」と自分に言い聞かせながら何か作業してるんですけど、そんなの分かっててもそれはそれでなかなか怖い時間ですよ。
そもそも評価してくれる土壌が自分の中にしかないようなことやってるから頑張っていたらいいていう話でも全くないんでね。
とにかく、わかるのは目に見えない世界に対して一切の保険も持たないのが日本のフリーターの世界だと僕は思ってます。だから、特に僕は日本だとその状況で好きなことを継続さすためには本当にいろんなことしないといけないなと感じてる。僕の中で、全くその不安を感じない人or一生抗っていける心がある人のどちらかがこの世界に向いてると思う。
一億稼ぐ奴はすごいですからね極端な話。
その人が何をしてるか、どんな人間か、どんなビジュアルか、全部の情報シャットアウトしたところでその人は年収言うただけで多分100人中100人がリスペクトしますよ。
これ考えれば考えるほどすごいなとか思う。これほどまでにわかりやすい、全員が持っている物差しはなかなかない。
はたまた逆もあると思う。
金がない人はどんな理由があったところで多分可哀想て思われると思う。僕は日本にそんな空気をひしひしと日々感じてる。その空気感が嫌だとかもなく一億円の人を見て自分でもそう思うわけだからなんら不思議にも思わない。
ただ外圧の面では日本は厳しいんじゃないかなとかは確かに思う。いろんな人が世間体みたいな仮想世界をとっても重んじるなと思う時もある。
上京すると両親に言ってから事あるごとにお母さんに「バイトみたいな給与で税金どうやって払っていくの?」て聞かれたのを鮮明に思い出す。
どういう意図でそんな質問するのかわからないけどそれぐらい金がない奴は税金も払えない、フリーターになるような奴は金がないと思われてる。
少なくとも僕は負けず嫌いだからどうにかしようと思うからどうにかなってるけど、その価値観と争うことに疲れる人は別に相手にしない方がいいんだけども勝手にそんなこと思われるもんだから生きづらかったらやりたいことやめていくんだろうなと思う。
大切なことは情熱だとかなんだとかいろんなこと言うけど、そんなのは本当に当たり前の話で多分当たり前のことをできてる人にその人たちが何か言うとしたら「お金はやっぱりでも大切だよね」て言ってる気がするんだよね僕。
そういう意味で僕もその土壌とクソみたいなヒエラルキーで上がれる限りは上がっていきたいなと思う。
みんな自分以外の要素、実際には存在しない雰囲気みたいなものに自分の本来好きなものが犯されていって辞めていってしまうんじゃないかと思う。その防衛力に値する力が僕はお金だと思っていて、仕事は筋トレで知らない人には自分を強く見せないといけないと思って励んでいる。
それがもし自分では無理でもできるように引っ張り上げてくれるチームみたいなのができていけばいいなと思ってる。早い話僕はそれが二十代前半でできたから人生変わってきたなと思う。
理想なのはそれができない人を巻き込めたらもっともっと人生変わっていくんだろうなと思うしね。
仲間と価値観を共有してそうじゃない人には強く思われるみたいなのが僕の理想なのかな。
大変だけど世の中はそれぐらいある意味でわかりやすくできてるのかなと思った。なんとなく今日は。
2024/10/08 AM11:35
昨日の夜なのか今日の朝なのかはわからないけど僕は自分でもどう噛み砕いたらいいかわからないような夢を見た。
僕はその時中学校にいて、僕が今は関係を保てていない僕は親友だと思っていた友人に僕が謝って一緒に家が近いので下校している場面だった。僕たちの地元はみんなが驚くぐらい坂道が多くて1人で帰るにはとても辛く、仲間と帰るならそこそこ良い距離といった感じだった。僕がわからなかったのは僕と僕の友達の年齢で、夢の中で僕は鏡を見れなかったから僕はどういった出で立ちをしてるのかわからなかった。僕の友達は中学から僕の記憶の中では見た目に関しては全く変わっていないので彼を見ただけでは判断できなかった。中学生の頃から見た目で大きく変わったのは僕の方で、だからこそ自分を鏡で見てみないとその時の僕たちや出来事が過去の思い出をなぞって描いた妄想なのか僕が0から作り出した完全なイマジネーションの世界なのかは知る由もなかった。
僕は坂道を歩いている途中で起きた。
朝の4時だったと思う。僕はその夢を頭の中で反復しながら歯磨きをして仕事の支度をしていた。ダラダラと準備をしながら僕が気づいたことがあって、それは僕の中で特別な関係を築いた歴史の中で良い終わり方をしたことがないということだった。特別な関係なんだけどあるべき物がなかったら、普通としか思えなかった人を特別に思った矢先に何かが変わって行ったり、僕は僕が生まれてから自分の手で築いた特別な関係ですらも今では現在進行形でどこかへとうっすら消えかかってる。将来のことなんかわからないから僕はその瞬間で特別に思うことで何かその人との関係を高揚させているつもりだったけどどうやら後ろを振り返ってみる限り結果を見るとそうなってはないような気がした。
もうすぐ僕は26歳になって僕はその結果をある夢をきっかけで知って、それから僕にある先の時間に対して新たな発見を模索することよりも未熟ながら積んできた自分の中での経験で何かを学び結論を出すことに自分を委ねていくことが自分でも寂しいことだと思う。それはもしかしたら僕の中では生きるか死ぬかよりも確かな価値のある感覚で、それに対して答えを導くことは何か大きな欠落を抱えたまま自分でも把握仕切れない距離感を進んでしまうことになる。そんなものは一時的な底力であって飛び越えたからといってそんな筋力は持続できないから。そこを飛び越えた先で得た報酬で多分もうかつての場所とは扱っている紙幣価値が違うからいくら稼ごうとも紙切れを増やし続けていくだけなんだと思う。かといって僕は苦労して橋をかける努力はしてこなかったわけだから僕はもし戻りたくなって後ろを見た時に僕がもうそこに戻るすべがないことを知る。
僕の中で特別な人は僕の一定に流れることのないフローの餌食になっていつも終わってしまう。1番の問題は僕以上にその人たちが僕以上に傷を負うことだ。ある日突然、僕がその人たちを僕の等身大以上あるミキサーに強引に詰められてバラバラになって帰される。そんな気持ちになっているんじゃないかとも思う。僕はその人たちに申し訳ないと思う。
そして、そうこう言っても倒れることなく自立して毎日同じようなことをできる自分に対しては非情だとも思うし物騒に感じる時もある。僕には自分でも扱えないようなパワーがあって僕はそれを知っておきながら平然と相手と接していくことが何かいつも問題をはらんでいる気がしてならない。それは僕が何か成功を収めたり財をなしたりといったそんな能力ではなくて、勝手に人のドアの色を知らない間に変えてしまうようなことなんだ。塗り直してるだけで気づかなかったり。とても小さい色の変化かもしれないけど、時にはその人が外にいたり部屋の中にいたり、もしかしたら僕は知らぬ間に鍵穴すらも変えてしまうのかもしれないけど、その人の場面と心で大きく物事が好転してしまうような些細で大きなパワーだと思ってる。必ず通るところに何か触れるものがあると思ってる。もしかしたらみんなあるのかもだけどね。
2024/10/16 6:46 AM
僕の25歳があと残り2日ぐらいで、自分に対して最近何か発見があるかというと、やっぱり自分が不得意だと思っていたことは思っている以上に不得意で自分が向いているかもしれないと思ってたことはもしかしら感覚よりもう少し得意かもしれないということ。
僕の場合もう人付き合いというものが明白に不得意で向いてないということがわかった。うわべだけの付き合いだと得意なんだけど深い付き合いになればなるほど全くうまくいかない。
それは今決めつけることでもないのだけど、家族との関係は上手くいかなかった、小学校から大学までを経て今会うようなましてや連絡を取り合うような友達なんか1人もいない。僕から消えていったのか周りが離れていったのか自然の流れとしてふんわりと透明がかっていったのかそんなことは知るよしもない。
寂しいよりかはそういった実際に蓄積された結果があるという感じで、短所を見つけてへこもうと思うというよりかは学ぼうと思って今書いて意識している。
もっと具体的にいうと約束とか確証とか確かなものに疑問を感じるのかもしれない。
もし今の環境が恵まれていると思ったらその将来すらも確定させる何か公約を作るよりも「今自分がある場所は夢物語の中なんだから今やってみるしかない!!」と思ってみるほうが僕にとってはもしかしたら数段有益なのかもしれない。
僕は自分の短所を治そうと努めることは意識的にはやめている。それはすごく難しくて人生のほとんどの時間を使ってしまうようなことだと思ってるから。それだったら長所を使って楽に生活したいと僕の堕落した心が言ってます。笑
僕の25年間の歴史だけを振り返ると僕には続いた人間関係というものが100%存在していなくて僕は今日本人が平均的に生きる寿命の大体サンブンノイチを使い果たした。
その事実だけは僕の心の中にふんわりと空中に溶け込んで浮いている。
今から振り返ればただの結果論だともいえるこの事実に、過去僕と何かの関係を結んで(※そこにプラトニックもロマンスも関係なく)実際に目の当たりにして傷ついた人たちがいると僕は思っている。
その人たちに僕はとても申し訳ないと思ってる。
それが今僕の思うこと。
2024/10/22 AM05:01