SABRINA vol.22

僕の友達が僕と会う時にイーロンマスクでお馴染みのテスラ車に乗っていた。

その友達曰くこの車はもしミサイルが降ってきた時にシェルターになるぐらい頑丈だみたいなことを言っていて、僕は「じゃあそんなもの走っていて大丈夫なのか。笑めちゃくちゃ危ないやんけ。笑」みたいなことを言ったと思う。

そうしたらその子は「いや本当にそうだよね〜。もし車に轢かれて死ぬか自分が車で人を轢き殺すかだったら絶対に轢き殺される方が良くない?」と言っていた。

僕は「まぁそうだな」ぐらいの浅い反応だったんだけど今朝村上春樹がファンのお手紙に答えてるような本をペラペラ読んでいると「自分が傷つくより自分が誰かを傷つけたことのほうが人生ひきずるよ。」みたいなことを言っていてなんだかハッとしてしまった。

たったの2票なんだけれどもなんとなくこれって答えなんだろうなと納得できる気がして、でもそう思えるお2人は多分優しいんだろうなという気がした。

人に優しくなるのは難しい。
本当に。

2024/07/31 AM07:37

この前電通で働いている高崎卓馬さんの話を聞いて彼が脚本に携わっている役所広司さんが主演の「PERFECT DAYS」という映画を見てみた。

あらすじで言うと、トイレ清掃員で働いている主人公の淡々とした日常を映して僕たちの幸せを問いただすような映画だったと思う。
この映画もめちゃくちゃ賞を貰っていて、監督もドイツで1番ぐらい有名で僕もこの監督の映画作品はほとんど見たと思う。

簡単に感想を言うと「これは人を励ます映画で人を奮い立たす映画ではないな」という感じなのかな。

僕からして違和感を感じたのはトイレ清掃員と言ってるものの掃除をしているトイレに大した汚れもなく陰毛の一本はさることながらウンコがコッテリとトイレに付いてるみたいな事は絶対なかった。
明らかに撮影前にスタッフたちが掃除したところで掃除している撮影をしているんだなみたいな気がしてしまった。

トイレ清掃員がトイレを清掃している時に陰毛も糞もない。
これってまさにフィクションの世界だよな。

監督はプロだから絶対わかってると思うんですよ僕。
「ここで陰毛とかウンコ付いてるのを見せると日々の幸せを感じるよりもこんなことはやりたくないが勝っちゃうから辞めましょうね」みたいな会議があったんじゃないか。
もしかしたら、監督はリアルにやりたかったけど他の人が止めたかもしれない。
そこにリアルはいらないよねと。

僕が捻くれた解釈をしているだけなのかもしれないけど、結局ちゃんとリアルサイズの汚い物を見せた上でそれでも世の中の素晴らしさを感じられる受け皿は世の中にはないんだろうな、それを産ませられる作品ってなかなかないんだろうなって。

そういう細かい嘘、もしかしたら気遣いかもしれないものが本当にやっている人たちに何か思わすんじゃないかななんて思いました。

僕はこの映画が悪いなとも思わないし、良いなとも思わないけど「なるほどなぁ」みたいな気持ちになったのは間違いなくて世の中がどう思ったとかはまた会って見た人がいれば聞いてみたいです。

見た人がいればぜひ連絡ください。

2024/08/04 AM09:48

僕はセッションという映画が大好きでめちゃくちゃ怖い先生との関係を描いた作品を見て自分の何かを感じたりする。

その映画に関しては良い作品、すごく。
みんなが人生でどれだけ出会ってきたかはわからないけど、僕の周りにはめちゃくちゃ怖い大人ってのは多かったとは思う。まずは両親だし、部活の顧問もすごく怖かったね。
当時少年だった僕からしたら大人っていうものは、よく怒ってる大人なんかを見れば何かそれに値する権威だかなんなのかわからないけど少なくとも僕が大人になればわかる尊敬できる面みたいなものがあるものだと勝手に感じてた。
でも自分が大人になってわかってくるのは、そういう人たちは何かがあるというよりも、ただ人の人生を否定して自分の事を癒すナンセンス極まりない無能なサディストだっただけだ。
それってなんとなく自分が信じてた権力だとか恐怖みたいなものが、僕たちが小さかった頃に喧嘩が強いから怖いぐらいのレベルで大人がなんかやってるだけだった。
それってなんだか凄く寂しい気持ちになる。
多分この文章に出会ってない人で今でも同じようなことを感じてる人が一定数いるんだと思う。

僕はよくお父さんに「お前誰の家に住んでると思ってるねん。誰のおかげで学校行けてると思ってるねん。誰のおかげで飯食えてると思うねん調子乗んなよ。」て散々言われた。
自分で言うんだから仕方ないんだけど、僕の中で自分の両親には経済力とかお金以外の面でリスペクトしたり機嫌を伺う理由なんてなかったな今思うと。
だから当たり前なんだけど、僕は今親父の家にも住んでないし学校にも行ってないし両親から金ももらってないから何も感じてない。
僕はお母さんに一回「金を出さない親なんて価値ない」みたいなことを言った記憶があるけどそれぐらい僕は金以外両親から感じ取れる物はなかった。 
それを特に愛情が欲しいですみたいな感覚すらなかった。
それが全てだから足りてないとも思ってないし、もしサンタクロースが「君には愛情が足りてないからあげるよ」なんて言われても「これの両替機はどこですか?」ぐらいの感じだろうな。笑
毎日「もし金があればなぁ。なんでねーんだ金。」て思ってたね。それはやりたいことがあるとかじゃなくてその時自分の状況が変わると思ってたからだね。

よく今でも周りの人にビジネスが好きだねとか言われるけど、そんなことじゃなくてとにかく家は金持ちそうなんだけどあまりにも俺自身に金がないもんだからイチイチ計算してないとやっていけなくて、自分のお年玉で昼飯を食うみたいな生活をずっとしてたからその時の貧乏性の名残みたいなのがずっとあるんだと思う。

さっきの発言みたいに僕の家庭では金を作らない人はゴミ以下で金を作れないなら作らないで大人の機嫌を取れというのが家族のルールで、僕は特に機嫌も取らないから奴隷のように扱われる世界だったね。
めちゃくちゃ嫌だったよ。笑
そのせいで今がもう毎日「どうなってんだ世の中!!」て叫びたくなるぐらい楽しいね。
本当に嘘じゃないんだけど、こんな人の言うこと聞いてるだけで貰えるもんであんなに両親は偉そうにしてたのかって正直ビックリしたね僕。
両親どっちもだけどあんなに嫌そうに子育てする人ってのはなかなか見ないな。笑

僕が社会人になってからお父さんがガンになって命が危ないから一回会いに来てくださいってお母さんに言われた時「別に死んでも良いだろそいつは」て真剣に思ったね。

僕勘違いしてほしくないのはこれ全て愚痴でもなんでもないんですよ。
だからもっと冷たいってのはあるのかもしれないけど、これももしかしたら家族が見てるかもしれないけど別に感情の波があって言ってるわけでもなんでもなくて毎日思ってることなんですよ。
怒ってるわけじゃなくて起きたことに抱いてる感情で、直接会ってこの話しようよってなったら僕はどちらかと言うと面白い話として笑いながら言ってるんですよ。
これ本当ですよ。笑
両親も嫌いじゃないけどこう思ってるってだけで。
会うかって言われたらもう人生で会わなくてもいいかなって思うだけで。
いやそれが怖いんか。笑 知らんけど。
とりあえず嫌なことなんて誰にでもあるから頑張ろうぜミサトちゃんて毎日言ってますよ。
はい。

2024/08/13 PM16:46

僕はPodcastをしたりここで文章を描いたりそれなりに嘘でも本当でも自分の気持ちを言ってから「ああ言いすぎたかもしれないな、あれは間違えてたかもしれないな」みたいなことは当然思うんだけど僕はあえていつもほっておく。

誰も見てないから問題にならないってのも一つあるけど、それ以上にその場で思ったことを残しておくことにそれなりに価値があるんじゃないかなとも思う。
多分こんなことをずっとやってたら、もし何かで成功してしまったりそうはならなかったとしても数十年後読み返されて恥ずかしいことや墓穴を掘るようなことも必ずあるんだろうけど、もしかしたら事件にまで発展するようなことが起きる可能性もあるんだけどそれはそれで僕はユニークってことで良いんじゃないかとも思う。
みんなそれなりに自分の意見があるけれどSNSとか表では電話する時に何となく声を変えるように自分をよく見せたって、それって面白みにかけるんじゃない?ぐらいの感じで。

僕はよく悩み事をした時に「あー俺って今暇だからこんなこと考えてるんだな。なんかしよ。」と思ってとりあえず体を動かす。
ぼんやり考えてるぐらいだったらアルバイトでもどんな簡単な作業でも何でもいいからとりあえず何かをするようにしてる。
僕が最近友達と話してたのは「どうやら何もアイディアが出てこない時の“とりあえず”のクオリティーで人生変わりそうだよね」みたいな内容でチリが積もればのチリは多分その”とりあえず”のことを指してるんだと思う。

勉強でもバイトでも何でもいいんだけど、微量だけど何もしてないよりは変わるはずだと信じれるようなことをとりあえずやることが大切なんじゃないかと最近は思う。
結局自分が夢中だったらやりたいことは勝手にそれなりに進んでいくからいかにマイナスの時間を減らしていくかが肝なんじゃないかって。

最近僕の友達がSNSで「SNS中毒なんで辞めます。何かあればラインで連絡ください。」と言ってInstagramを辞めていたんだけどそれってなんか面白いなって。笑
まず僕の認識ではラインもSNSなんだけどまぁそれは置いといたとして。笑
そもそも宣言するってどう言うことかっていずれこんな事はやめますって言ってるようなもので、勝ちor負けで言えば負けから入ってるなって思うんですよ。
SNS中毒を辞めるって、はたから見たらクソどうでもいい内容をわざわざSNSで宣言する世界観を持ってる時点でもう辞めれないし、多分みんなそこまでSNSの世界を大切にしてないからむしろそれって才能でとことん入り浸る方が正解だと思うんですよ。
多分どっかの世界であの子が成功するってなればそこまで熱中できるSNSの世界である可能性の方がはるかに高いですよね。

宣言してから変われた人て多くいますか?
僕は見たことないし僕もできたことないですね。
変わるってことは普通に変わるってことで辞めることだけではないんですよ多分。
辞めるより1時間減らす、しかも普通に。
これがかなり難しいけど僕の中で変わるってそういうことなんだっていう認識があります。
大きく変わることなんて僕の中ではありえないからもうその時点で変化の歩幅がそんなに変動しないことはもう理解して諦めたほうが良いんじゃないかってよく思うんです。
その中でどうエッセンス加えていくかみたいな。
SNSまた始めてこれ読んだらあの子感想ください。

2024/08/15 PM15:48

今日何故か夢で自分の大好きな人たち、松本人志さんと高須光聖さんに自分が持っている面白いアイディアを話す機会をもらってそれを披露した。

僕は信者というわけではないんだけど1番尊敬しているクリエイターが松本人志さんでその裏方に存在した重鎮放送作家が高須光聖さんということで僕も夢の中ながらなかなかの緊張感で重い空気があった。

僕は自分では日々面白いアイディアを貯めて行けている気がして生きているんだけどそれをまず高須さんに披露した時に明らかに「んー、なるほどね。」みたいな苦い顔をされた。

その時ハッと気がついたことなんだけど、やっぱり業界人やクリエイターからしたら試してきた数が違うわけだからイマジネーションとやってみた時の仕上がりの差分を重々承知しているわけで、もしアインシュタインが新たな理論を思い浮かべばそれはそれで他人が動き出すんだけど素人の空想理論なんであっちからしてみたら信じてみる必要があんまりないんだなって気がついた。

あれだけの作品数をこなしてきたような人たちであればどんなけこちらが良いアイディアを言ったとしても同じような考えを持っていたけど過去に他の要素で諦めていたかもしれない、やってみたけどそれほどだったかもしれない、そこから始まって分岐して完成した作品があるかもしれない、色んな可能性がある。
だから自分を認めてもらうために実行してきた人にアイディアを提供するよりもう自分で作ってしまったものを見せる方が遥かに信憑性と信頼があるんだなとヒシヒシと感じた。

高須さんがこの反応ではまずいと思った僕は走って違うところにいる松本さんにそのアイディアを伝えて、その時も同じような反応をされた。「んーなるほどね。」みたいな。

やっぱこの人たちは考え出した空想を実行してきた数が違うからエンターテイメントやお笑いに対する蓄積された経験と解像度があまりにも違うから口だけで言っても絶対セルフPRとしては弱い。

「なるほどなぁ。」と悔しい思いをしながら迎えた月曜の朝でした。
やってみた方が早いよ。
誰でもできることだけ踏んで行っても成功するよ。
みたいな話だと思います。知らんけど。

2024/08/26 PM15:22